修験道?修験者?密教やお坊さんとは違うの?
いつもお世話になっております。お陰様で無事に仏壇の発遣、開眼も済みました!ありがとうございます!!
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本題です。修験道、修験者さんって何ですか?
仏教、密教、お坊さんとは違うんですか?
半聖半俗の身ともどこかで聞きましたが、そうだとしたら法名はどうしているんでしょうか。本山も、真言天台各派ではないんですか?
教えて頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「仏教≒修験道」であるけれど、「仏教=修験道」ではない
修験者とは、山中で修行して験力(げんりき)を感得しようとする宗教者や修行者のことを言います。そして、それら修験者が集団となって修行を行う過程で、修行方法や宗教儀礼が形成され、「修験道」が成立しました。修験道とは、修験者による教団を示す名称であると同時に、修験者が行う修行を意味する言葉として使われております。
ネットで検索すれば、もっと詳しい説明が出てきますが、こちらのサイトをお薦めします。
「役行者霊蹟札所会」
http://www.ubasoku.jp/presentation/shugendo.htm
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、役小角(えんのおづの)もしくは役優婆塞(えんのうばそく)とは呼ばれる人物で、修験道の開祖とされております。
日本人は、古来から山岳を神霊の居る聖なる場所、あるいは神霊そのもの姿であると考え、信仰の対象としてきました。但し、聖なる場所であるが故に、山に入ることをタブー視されることも多く、山中に入る者は少なかったと考えられます。しかし、仏教の伝来に伴い、山中を修行の場と考え、実際に多くの僧侶が山中で修行するようになりました。そういう影響下で、仏教の僧侶ではないけれど、山中で修行することで験力を得ようとする修行者も多く登場するようになりました。儀礼や修行方法は仏教の影響を受けているけれど、必ずしも仏教の教理教学にはこだわらない。日本独特の宗教であると言われております。
但し、江戸幕府による宗教政策・宗教統制によって、多くの修験者とその寺院は当山派と本山派に所属するようにされ、本山派は聖護院門跡の配下とされ、当山派は醍醐寺三宝院の配下とされました。(全国には、本山派当山派に所属しない、独自の修験者教団も存在しました。羽黒、戸隠、石鎚、英彦山など)
江戸時代には、峰入りという修行期間以外は街中に寺院やお堂を構え、信者の求めに応じて祈祷などを行う「里修験」という形態も多くみられるようになりました。
明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈によって、多くの修験寺院が廃寺とされたり、神社に業態変更し修験者が神職となったりしました。修験寺院として復興した事例もありますが、廃寺されたままという場合も多いです。
質問者からのお礼
【吉田俊英 先生】
ご回答ありがとうございます。
いちおう聖護院さんのHPも覗いてみたら、少しわかった気がします。ありがとうございます!