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自分を棄てたい

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

自我がなければ、何も感じなければと考えます。なにも無くなりたい。存在を放棄したいのです。
どうして物質の力を借りないと生きていけないのでしょうか。
私が求めるのは永遠の安寧、静謐と停滞です。ただ、安全な場所で安心したい。ですが生まれてしまった以上それは無理です。所属した組織では悉く上手くいきませんでした。
私って何なんでしょう。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

痕跡。

多くの方が、潜在的に感じることかもしれません。
『自分を棄てたい』
まともな社会適合者であっても安全な場所、安心できる場所は保障されてはいないのですから。皆が皆その状態を心の底から楽しんでやっているわけでもないでしょう。

むしろまともで優秀な分、大きな仕事をしなくてはなりません。「より大きな困難を引き受けてやってるんだ!」という思いや覚悟が強くなるだけですから、いわゆる自分に甘いといわれるような「弱者」を見ると蔑みたくなったり怒りたくなるのも無理はないのです。

『ただ安全な場所で安心したい。ですが生まれてしまった以上それは無理です。』
多くの方が、あなたと同様に苦しんでいるのです。覚悟であったり、責任であったりを背負いながら。
あなたほどその苦しみに向き合っているかどうかは分かりません。

何かあなただけの痕跡を残してみてはいかがですか。
物を作ってみたり、写真を撮ったり。自転車でどこか見学に行ったり。これも立派な「痕跡」です。私はそれを見てみたい。
どんなに忙しい人でも大事にするそうですよ。痕跡をのこすの。周りが「そんなことして何になるんだ。」って言おうと、関係なく。

「私」ってなんなんでしょうね。仏教には『無我』という言葉がありますね。本来は『諸法無我』ですが。
いわゆる「私」ってその「痕跡」を言うのだと私は思います。
今現在にはどこにも「無い」。ただあゆみだけがそこにある。その意味では『無我』ですね。アクセサリーを作ったり、楽器を演奏したり、本を読んだり、レビューを書いたり。掃除をしたり。そのときは、ただ「する」だけがありますけど。振り返ってみたらやったことがちゃんと痕跡になるでしょう?

あなたがちょっとやってみようかなって思ったことなら何でも。ちょっとずつでも。その「痕跡」を嬉しく思えたとき、その「痕跡」があなたですよ。

私だったらその痕跡を認めたいって思います。

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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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自我は自分とは違うもの

素晴らしい所にお気付きのようですね。自分自身の自我、これがイライラしたり、好き嫌い、損得、善悪などの判断をします。人を苦しめるのです。
お釈迦さまも、こうした自我ではなく六根(眼耳鼻舌身意)に目を向け、悟りを開かれました。体の働きは損得や好き嫌いは一切言わないのです。過去を引きずらず、今を当たり前に生きています。未来の心配もありません。

本当はない想いという幻は相手にせず事実に生きるのです。「意」という思またり考えたりできる機能はあります。それはそれとして握らず放っておく、手をつけないことで消えていきます。そのまんまにしておきましょう。
手をつけない、手放す、色々な言葉はありますが何にもしないんです。

禅はそうしたことを伝えています。
学んでいただきたいと思います。
仏道を実践すれば必ず良くなります^_^

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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生きるエネルギーの充電を!

赤土さん、こんにちは。

以前の相談も読みました。虚無感で悩まされているのですね。
お釈迦様の苦しみの脱出の第一は、まずは世の中は苦しみの世界と認識しなさいということでした。世界に「永遠の安寧、静謐と停滞」「安全な場所で安心」はほとんどありません。日本は恵まれた安全と安心の場所です。多くの国は生きること自体が難しい、毎日の食事さえできない世の中なのです。その中で多くの物質的な幸せの世界にいる人が生きる苦しみを感じて死を理想とし、死ぬ思いで生きている人は、少しでも生き抜こうと、命がけで戦っています。

 人間は物質に満たされると生きる力が弱まります。だから高度成長期の70年代物質に満たされたことに疑問を持った多くの若者は、原始生活もあるインドに行きました。差別の中で目の前で苦しむ人を見て、自分の生きる力を見出して、心を入れ替え日本に帰ってきた若者がたくさんいます。

 もし自分が日本社会の不適合だと思うなら、あなたのおじいさん世代と同じように是非お釈迦様の故郷インドのスラム街に行ってボランティアしてみてはどうですか?人手不足なのでボランティアであればすぐにお手伝いさせてもらえると思います。。死を知るには死体と触れ合わなければなりません。そこであなたより先に生きたくても生きられない命を見つめることも良いと思います。

虚無に負けないで。合掌

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