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若すぎる死

回答数回答 3
有り難し有り難し 42

私は今年の五月友達を亡くしました。
その友達はまだ私と同じ高校生。

亡くなった理由は突然死であり不明です。
彼女はとても明るく、活発で、
太陽の様な人でした。
私は今日まで彼女のことを考えなかった日はありません。
なんで彼女でなければいけなかったのか。
どうして助からなかったのか。
毎日考えてしまうのです。

学校で保健で心肺蘇生の授業を受けている時に
私は彼女を思い出し、
遂に泣いてしまいました。

最近彼女のことを考えると、
涙が出てしまうんです。
こんなに泣いていたら彼女は悲しむでしょうか。

なんであの時喧嘩しちゃったんだろう。
なんであの時彼女に会ったのに、もっともっと話さなかったんだろう。
会いたいなと思った時に会えばよかった。

どんどんと悔やんでも悔やみ切れないとても
深い後悔が押し寄せます。
気持ちのやり場がなく、
この気持ちをどうしたらいいのかわかりません。
相談に乗っていただけないでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その子の影響力を浄化するべくよき行いをつとめる

昨年私は弟を亡くしました。厳密にはおとうと弟子です。
血のつながりはありませんが、同じ師匠の兄弟弟子でした。
「お坊さんになってもいいかなって思えるようになったんです」とにこやかな顔で私に語ってくれたのが印象的でした。
私は何が彼への供養になるだろうかと考えた時、彼の分も世の中に善玉菌を増やすべく説法しなければいけないと思いました。
説法と言っても、いるだけでもいいのです。
存在しているだけでもいいのです。
聞いてあげるだけでもいいのです。
何かしてあげるのでもいいのです。
共感してあげるだけでもいいのです。
このように確実にその子も存在して、おとうと弟子くんも確実に存在して、確実にわたくしどもとかかわりを持ってくださったのです。確実に何らかの影響を生きた説法として残してくださったのです。自らの死を以て真実を示してくださったのです。
そして、そこで終わりではなく人生は続いている。
次は何をするべきか。
次はどうするべきか。
それが、今日のいまこの時です。
もちろん、毎日、毎秒彼女のことを考え続けていくわけにもいきません。
だからこそ、何かしてあげられることをしてあげる。
仏教では仏教としてお墓を立てたり、供養することは、故人さまをたたえて恩返しの行為であるとともに、自分自身も恩に報いるべくこの世界において、よき行いをして功徳を積む、世の中の人が幸せになれるような行為をして、お互いに幸せになることを大事にします。それが供養塔であり、菩提心という皆が幸せになれる心です。
私は彼の死後、自分自身の菩提心を見つめなおし、私ができることで他者の目、耳、鼻、口、身体、頭を通して、誰かが幸せ、安らぎを得られるような活動を今後も続けていくことを決意しました。それが彼との約束であり、彼が思いおこされれば彼によって私の菩提心が燃焼して、今日もどこかで誰かを助ける力になって彼が形を変えてこの世で生き続けるようになることを確信しております。
どうか彼女のために何かを誓ってみてください。
仏教では四弘誓願と言って四つのお誓いを重んじます。
自身の迷いの心が救われるまで「たすけ」の活動を怠らない。
煩悩を立ち、学ぶべきを学び続ける。
悟りを求めて仏菩薩の道を行なっていく。
この誓いが菩提心の具体的中身です。
さらにそれが具体的になると愛語、利行、布施、同事という行いになるのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

供養とはいつまでも忘れないこと

美奈子さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。

美奈子さんの友だちは高校生で亡くなられたのですね。太陽のような友だちは、突然にいなくなってしまったのですね。

美奈子さんのできることは供養だと思います。法事をするとか、お墓参りをするとか、そういうことでなくても構いません。

私が思っている供養とは、「故人を忘れないこと」であると考えています。
いつまでも故人を偲び、折に触れ美奈子さんが思い出してあげてください。「あのときに、何なことを言っていたな。こんな事を言っていたな」と。

美奈子さんが泣いてしまっても、悔やんでしまっても構いません。きっとお友だちは太陽のように笑ってくれるでしょうから。

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有り難し
おきもち

徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

真心込めて

拝読させて頂きました。
大切なご友人の死に際して大変悲しい思いや悔やんでおられるのですね。
大切な方の突然の死を受け入れることは本当に辛いことです。
様々悔やんでも悔やみきれないでしょうね。
あなたのお気持ちをお察し申し上げます。

私はそのご友人が必ず仏様のお導きを正しく受けて仏様の元で心から安らかになられます様にと仏様に願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
あなたもどうか仏様にお願いなさった心を込めてご供養なさってください。

仏様は必ずその方をお導きなってくださいます。そして仏様の元にて心から安らかになられるます。そして心清らかにご成仏なさいます。

あなたのその悲しみは尽きることはないでしょう。
どうかこれからも合間合間その方を思い真心こめてご供養なさってください。
あなたのそのお気持ちは必ずその方の元へと届きます。

そしてその方はこらからもあなたをお見守りなさって下さいます。
あなたとその方とのご縁はこれからも続くのです。
どうかこれからもそのご縁を心から大切になさってくださいね。
どうかその方にこれからも身近にて見守っていてくださいとお願いなさってください。

あなたがこれからもその方とつながり心豊かにご成長なさって下さいます様切にお祈り申し上げます。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

3人ものお坊さんに回答していただけるなんて、
とても有難かったです。
お礼を言うのは気持ちの整理が付いてから、と思い、今日まで毎日頂いたお言葉を読んでいました。
毎日毎日泣くことはなくなり、あの子は頭がとてもよかったんだ。運動はなんでも出来て、小学校のマラソンは一位でね?あの時は楽しかった。など前向きな話ができるようにようやくなりました。
今でも彼女の顔を毎日思い出して、
毎月彼女の亡くなった日に手を合わせます。
続けていけばいつか彼女に届くのではと思っています。
本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ