死の乗り越え方について教えてください。
私は2人の父親を亡くしました。
血の繋がりのある父は自殺。
義父は孤独死でした。
血の繋がりのある父は、私が高校三年生の頃、自殺しました。
遺書も残されておらず、父がどんな思いを抱いて死んでいったか、知るすべもありません。
ただ、死ぬ数日前、私に「もっと話そうよ」と寂しそうに言ってきたのが最後の会話でした。
辛い過去を背負いつつ、前に進もうと結婚をし子供を産み、幸せな日々を過ごしていましたが、ある事情で家族と別々に暮らしていた義父が、孤独死をしていました。
文章では表現しようのない辛さを、10年の間に味わいました。
家族も同じ苦しみを味わっていると思うとなかなか本音で語り合えません。
寝る時には、二人の死の姿がフラッシュバックで蘇り、自分を責める日々。
本気で、私の実家、主人の実家には呪いがかかっているのではないか、と有り得ないことかもしれませんが、今後の行く末が心配でたまらなくなります。
どうしたら二人の死を乗り越えられる事ができるのでしょうか。
回答宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死が教える仏の心
死には二つあり、自分の死!周りの人々の死!どちらも決して避ける事はできません。
何時如何なる時に向かえるか誰にも命の終わりは分からず予測不可能なのが死なのです。
残念だったでしょう。お二人のお父さんの突然の死!
色々と考え込み何かしてあげられたのではとつい自分自身を責めてしまい苦しくなる。
もう苦しむ事は止めです!
お二人のお父さんが教えてくれたものがあります。
それは人はどんな形でも死はやってくる。諸行無常の教えです。この世の流れは常ではないのです!
この世の皆が諸行無常の中にいる事。この世は「一切皆苦」全てのものが苦でであると御釈迦様説かれておられます。
死をしっかりと受け止め自分もいつか来る死への覚悟をする事で安心できます。
又、不安になられてら投稿してください!
功徳・追善
ゆで玉子様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「死」は終わりで「無」になるというような、「虚無」・「絶無」的なところで、不安や恐怖に陥ってしまうことが、どうしてもございますが、仏教では、「死」で終わりとは考えません。
死後も存続していく心(相続)についてのありようを考えていく必要がございます。
その心(相続)をどのように、清らかな流れ、より善い流れに調えていくべきであるのかが、仏教においては重要となって参ります。
貴女様も、貴女様のお二人のお父様も、またご家族皆も、その流れが良いものであるようにと、仏教を実践していく中で、できるだけ功徳や追善にも努めたいものとなります。
まだまだお父様方にもしてあげれること(功徳・追善・供養・回向)がございます。是非、仏教の修習に取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
山口秀徹様、柳原貫道様、川口英俊様、回答ありがとうございました。
皆様の回答を見て、自然と涙がこぼれました。
家族や友人にも言ったことのない想いを受け止めていただき、本当に嬉しいです。
これからは、過去に囚われるのではなく現状を受け止め、自分の死が訪れるまで今を一生懸命生きてみせます。
家族全員で二人の父の死を受け入れ、心の相続について話し合うことも、一つの供養になるでしょうか。
これを機に仏教を勉強し、心の在り方を学ぶのも自分自身を大切にする一つの方法だと思えました。
大切なことを気づかせていただき、本当にありがとうございました。
山口秀徹様、柳原貫道様、川口英俊様、回答ありがとうございました。
皆様の回答を見て、自然と涙がこぼれました。
家族や友人にも言ったことのない想いを受け止めていただき、本当に嬉しいです。
これからは、過去に囚われるのではなく現状を受け止め、自分の死が訪れるまで今を一生懸命生きてみせます。
家族全員で二人の父の死を受け入れ、心の相続について話し合うことも、一つの供養になるでしょうか。
これを機に仏教を勉強し、心の在り方を学ぶのも自分自身を大切にする一つの方法だと思えました。
大切なことを気づかせていただき、本当にありがとうございました。