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過去の嫌な思い出が湧いてくるとき、どうすれば止められますか

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学校でいじめにあったことや、資格詐欺にだまされて高額なお金を損したことや、人にだまされたこと、貧乏だということで馬鹿にされたこと、病気だったのに親が病院に連れていなかったこと、顔にけがしたこと、学校でいるものさえも買ってもらえなかったこと、人に馬鹿にされたことなど、わーっと思い出して、いたたまれない気分になることがあります。
辛いことばかりだったかというとそうでもなく、嫌なことを思い出すことは馬鹿なことだと思います。どうやったら嫌な思い出を思い出すことを止めることができるのしょうか。顔の怪我はまだ傷が残っているので、鏡をまじかで見るたびに思い出し、憂鬱になります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去のことは記憶でしかない

あなたがおっしゃっているとおり、過去の出来事は過去なのです。
現実は、目の前のこの瞬間しか存在していません。過去のことは記憶でしかないのです。もう二度と戻ることのない、過去の記憶を呼び覚まし、考えを付け加え、取り扱うと苦しみ出します。人間はそうなってます。

傷は傷でしかない。そこに思いを付け足すのはご自分です。目の前の現実のみを見て、聞いて、感じてください。
静かに見つめていると、ただ目の前のものがそこにあるだけだということに気づきます。音もそこにあるだけ。そこにご自分でマグネットのように思いをペタペタと付け足して吸い付けているのです。過去の記憶、思いは現実とは別物。付け足す癖に気づき、それをやめましょう。
まずは現実目の前のものをただそのまんまありのまま受け入れてご自分が生活しているだけだということを知ってください。そのようになってます。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

思いのセカンドインパクトを引き起こさない。

思いは出てきた、だけです。
打ち上げ花火のように、遠くから眺めるだけにしておきましょう。
今度フラッシュバックが出た時にやってみてください。精神科医いらず、薬要らずです。
思いは、全自動で出てくるだけ。
ぽん。
どういう訳か、それを連想、想起させるものに触れると出てきてしまう。
ぽん。
その時に、ファースト時点で起きただけにとどめておくことを選択してください。
いつも、あなたは、その思いにかまって来たのだと知ることです。
かまうから思いがセカンドインパクト、サードインパクトを引き起こす。
思いのファーストインパクトは人を傷つけません。
思いのセカンドインパクト、サードインパクトがいつも自分を苦しめている。
ぽん、と出ただけの時は、ファーストインパクト。
それを放っておく。自滅させる。
セカンドインパクトは自分がそれをつかまえてこねくり回すから自分の思いでやられるのです。
ぽん、と出た思いを放っておいて、滅すに任せてみてください。
それを見届けられたとき、あなたはあらゆるフラッシュバックを克服した実績をそこに産みだしたことになります。それの為に、今日、真剣にやってみてください。
一度、思いの起こりを、そのまま滅するままに見届けることができれば、あなたは自信がつくでしょう。できるようになったら返信ください。
そして、一人のものにしないでください。自分が救われただけではもらいっぱなしです。
フラッシュバックに悩んでいる多くの方にシェアして、苦しみを取り除いてあげてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

邦元住職様へ
たしかに過去あったことに自分でさらに付加価値を付けてさらに悲しい過去にしているふしがありました。貧乏人と馬鹿にされてきましたが、今は普通に生活できていますし、欲しいものは買えます。小学生のとき、人のことを貧乏だとなじってきた浅ましい男子たちも、いまはどうなっているか知りません。このご時世、彼らは、貧乏に苦しんでいるかもしれず。

あの時のことはあの時のこととして、今に持ってきてはいけませんね。私は銀行員として働いています。貧乏だった小学生とは違います。
人をイジメた浅ましい人たちが憎らしいですが、自分がいじめをする人間ではなかったのはラッキーだったと思います。継母やいじめをしてきた女子のその後の人生を見届けましたが、夫の看病に10年以上お金も時間もついやす365日介護と仕事、妊娠し高校中退、40過ぎても未婚派遣社員など幸せではないようです。
いじめをする方ではなくて、本当に良かったです。

顔の傷はもうしかたないのです。お医者さんにも相談しましたが、メイクで隠すしかないのです。
化粧で隠せる程度で済んだと思い、あまり気にしないことですね。とりあえず就職も結婚できましたし、それほど醜い傷でもないのでしょう。自分では、ぐちゃぐちゃだと思ってますが、他人からみたら軽い傷なのでしょうね。自分の考え方でどうにかしていくしかありませんね。

丹下住職様へ

返事が遅れました。嫌なことを思い出さないように、頑張ってみました。一番思い出して嫌なのが親のことなので、思い出しそうになったら無視することにしてみました。でも思い出させてるのは自分なのですよね。悪い私が「ねーねー、あのさ聞いてよ」ときっと嫌な話題を持って話しかけてきているのだと思います。嫌な友達を疎遠にするのは、やっぱり無視が一番です。電話に出ない、話さない、会わない。嫌な思い出話をしたい嫌な自分がやってきたら、徹底に無視することにしました。忙しいふりをする。出かける。ネットで動画を見る。掃除し始める。お菓子や作り置きの料理を始めるなど。「悪いけど、私いそがしいので、嫌な話している暇ないの」と言い捨てて、別のことをする。かまって、色々思い出すと。悔しいとか、なんであんな理不尽な思いをしないといけなかったのか、むかつくとか次々と嫌な気持ちになります。それでイライラして自分も家族も嫌な思いをする。過去の業や記憶に振り回されて、再び嫌な思いをするのはまっぴらです。来たら無視する。架空請求詐欺と同じで相手にしてはいけないのですね。来た!と思ったら無視。

まだ完全にはできていないので、またお返事します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ