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家族(夫)

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有り難し有り難し 25

現在生まれたばかりの娘と、夫の3人で暮らしています。

主人は、精神的に問題があり、なかなか続けて働ける仕事がなく、今は無職です。仕事については私は娘をゆっくり二人で育てていくのに、今は無理して働くこともないと考えていますし、娘をみていてくれれば、私が早めに仕事に復帰するつもりです。

今日は、主人のネガティブな思考についてそうだんです。

すぐそばに私の母が住んでいるのですが、その母と裏でこそこそと私が連絡をとり、そのために自分はここで暮らしていけないと言いだしました。
私のことも信じられないと。

時々こうして私のことや母や近所の人が信じられないと言い、家を出ていくとか、自殺すると言い出すのですが、私と母のことは全くの誤解で。。。。

どう説明しても信じられないというし。

私は親子3人とコーギーで、仲良く暮らして行きたいだけなのに。こんなことは近しい人には相談できる人もいなく。

まだ一ヶ月にもならない娘を抱えて困るばかりと、連日の育児疲れからの疲労に私も参ってしまいそうですし。つかれました。

どうしたら仲良く穏やかに暮らせるのでしょう。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生いい意味で「自分の事だけやってりゃよい」

旦那がどうしたこうした。それをやっているのは自分ですから、自分の事なんです。
子供の世話しなきゃ、ご飯作らなきゃ。世話をするのも、ご飯を作るのも自分がやるのですから、自分の事なんです。自分の事だけやってりゃいいのです。冷たい意味とか、悪い意味ではありません。超~良い意味で、心が軽くなれる魔法の言葉「人生、いい意味で自分の事だけやってりゃいい」のです。
旦那の食器を片付ける。
誰のであっても洗うのは自分の手。
ネガティブ旦那と会話する。相手が誰でも口を動かすのは自分の口。
全部自分のことなんです。
それがわかると「分断」がありません。
相手の事、子供の事をやる、子育てしなきゃ、ということが無くなります。
「子育てしなきゃ」と思うと、やることが「他人事」になるでしょう。
私以外の事をやらなくちゃと思う。
そうすると心って疲弊するのです。
今日は夜に近くの幼稚園が探検隊にやってきましたが、引率の先生だって、たくさん子供がいたとしても、やっているのは自分の事なんです。
世の中、沢山の事、沢山のやらなくちゃいけないことがあると思っちゃいませんか。
私も爆回答していると思われていますが、この回答はアナタだけに向けられた、この時間にやっている、たった一つの行為なのです。たくさんの事がないからこそ、今の自分の事をたった一つだけやっているのです。誰もがそうです。
みんな自分の事をやっているのです。
今日から、旦那の面倒も子供の面倒もめんどーくさいことも全部、自分の事と思ってやってみてください。他人の事だと思っていた無駄なオプションが無くなって、わがことだけになります。
お釈迦様は、ありもしないのにあると思い込んでいる想念を取り外すことができた人です。
現代人は「ありもしないのにあると思い込んでいる妄想」に苦しんでいるだけです。
明日子供のこれをしなくちゃいけない、主人のこれをしなくちゃいけない、とどこかで思っておられるでしょう。ですが、今は明日じゃないです。やるべきことも、シンプルに考えれば、野菜をチョチョイと切って調味料という液体を混ぜ混ぜして火を入れて皿に乗っけるだけだったりするもんで。ハイ。自分の事だけやってりゃいいんです。そん時やることは「ひとつこと」しかどのみちできないのですから。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

旦那様を治そうとしないこと。

旦那様の相談相手は奥様ではなく、第三者に任せることです。奥様は旦那様をサポートする立場として、どっしりと構えていてあげてください。言葉と気持ちはちがうものと捉え、今すぐは難しかもしれませんが、旦那様をカウンセリングできる場所に促してあげてください。もし必要なら夫婦で話をしに行くのもいいですが、心を開くまで時間がかかるでしょうから、何度も通えるような旦那様が信頼できるところがいいと思います。
もちろん信頼できるお坊さんがいればお寺でもいいと思います。その方がお金もかからないでしょうし、いいかもしれません。

あまり奥様がまに受けていると奥様が病んでしまいますから、受け入れつつも、本音は構って欲しい、頼りたい、助けて欲しい。ということでしょうから、まともに聞かないことです。

奥様は、なおそうとか、相談に乗ってあげようとかするのではなく、あくまで応援するだけです。子育てに専念してください。

お体に気をつけて子育て頑張ってください。また、楽しんでください^ ^

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

御言葉ありがとうございます。
昨日旦那さんは自分の思い込みが逝けなかったと、話してくれました。
これからもいろいろあるかと思いますが、家族で幸せに暮らせるように、気がまえず、気持ちを楽に過ごしていきたいと思います。

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