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一難去ってまた一難

回答数回答 2
有り難し有り難し 7

パートで短時間で働いています。
オープン当時6人いたメンバーも一人辞め二人辞め、この2年で 私たった一人になってしまいました。この2年色々ありました。
女同士、仕事の世界。ぶつかり合いもしょっちゅうでした。そんな中でもお互いが理解し合い、ようやく本当に落ちついて働けると思ったら、
上司の態度に皆が憤慨し、辞めて行きました。
私は今の仕事が好きです。
でも身体がえらい体力仕事でもあります。
しかし、私以外のメンバーが新人ばかりで、
頼られるばかりになりました。
また、新たな人間関係も出来始め、また初めのような、不満が出始めました。
私は今までなら、オープ二ングメンバー同期で
なんとか、皆でうまく回そうとしてきましたが、
今度ばかりは個性の強い人に愚痴られまくり、
仕事関係なので適当に聞き流すわけにもいかずに、毎日仕事以外で疲れてしまいます。
辞めたくないし、新たに1からの人間関係だなとはわかっていますが、
この先、自分が古株で皆を引っ張っていけるのか?フォローに回れるのか?不安でいっぱいです。一応1番の先輩になってしまうので、
この先おもいやられます。
この不安や、私の中のストレスをどうしたら良いでしょうか?
私の上司は頼りになりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

特別何かしようとしなくてもいいのでは

特にリーダーとか引っ張ろうとか思わなくてもいいのではないでしょうか。
あなたのもつ人間性のまま、ただお仕事をしていたらどうでしょう。頼られるなら、サポートしてあげたり、話をただ聞いてあげたらいいし、自分がどうにかしようとせず、みんなで、みんなの力でできることをしたらいいです。
結束力を高めたいなら、飲み会でも企画してみたらどうでしょう。食事会でもいいですが、そんなことだけでも人間関係は変わってくると思います。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

上司に交渉

「これをさせてもらえなければ私も心労、ストレスでやめさせていただきます」大作戦。
実際あなたもおつらいはずです。
新人さん、後続のスタッフがあなたくらいに仕事ができなければ仕事もまわらないはずです。
よって、一度あなたを中心とした若手教育時間を1時間でももうけるべきです。
効率よく仕事をこなしてお互いが楽できるようにあなたの知っている仕事スキルをシェアして周りを楽させる大作戦です。よく世の中でも「はたらく」とは「はたを楽させる」といいますように、仕事は奉仕です。仕事しながらお互いが奉仕し合うことでいい関係性になります。自分だけ突出していても益になりません。自分の知っている知識やスキルを若手さんは知らないのですから、公式に教える機会を上司なり店長に頼んで「あなた講座」を何らかの形でやらせてもらうように言ってみてください。そうでないとお店にとってもマイナス、あなたにとってもマイナス、皆でチンボツです。
いずれあなたも現場を離れる時が来るのです。
ならばこそ、申し送り、ではなく「チエの分かち合い」であなたが「助ける」行為であなた自身を助けるのです。
世の中は「たすけ」によって成り立っているのです。「たすけ」の精神には相手を思いやる人間性、宗教心があります。ただドライに仕事をしているだけでは「たすけ」がありません。自分が自分の為だけにやっているのは死んだ仕事です。枯れ木に花を咲かせるためにも、あなたが言いたいことを言えるようになるためにも、思い切って踏み進めてみてください。
それによって、みんなが助かるのですからやる価値はあります。やらない理由はありません。
たとえパート短時間であっても、事実上、そのお店のナンバー2なのです。
他に人がいないのです。
あなたがやるよりほかありません。
頼りない上司であっても、頼りないからこそ、イカメシイ上司より、話しも進めやすいはずです。それを推し進める上で「居ていただく」だけでよいからです。
人生が変わるのは40代からです。自分で自分を変えるのも知識や経験が詰まった40代からです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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