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死について

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仏教では親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされると聞きました。
もし自衛官や消防士などの危険な職の人が任務中、多くの人を救うために親よりも先に死んでしまった場合もそうなってしまうのでしょうか?

2017年9月26日 11:25

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そのお話はお経に書いて無く元々は仏教ではないようです。どのような状況で命が終わったとしても極楽浄土に生まれると私は信じています。ですからそれまで安心して生きてくださいね。
南無阿弥陀仏

2017年9月26日 11:51
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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

変な話をつかまされています

この話は仏教というより、仏教をモチーフにした民間信仰ですね。
私はお寺で生まれ育ち、曹洞宗系の大学を出て、曹洞宗の道場で修行し、今でも毎年研修会に出ていますが、この賽の河原の話は観光地とネットでしか聞いたことはありません。そんな次元のお話です。

それでも押して補足するなら、「親より先に死んだ人が賽の河原で石を積む」のではなく、「10歳にも満たない子供が賽の河原で石を積む」という設定です。自衛官さんや消防士さんは大人なので関係ありません。

そして「永遠に石を積まされる」のではなく、「お地蔵さまが救ってくれるから大丈夫ですよ」というハッピーエンドの話です。「永遠に石を積まされる」と話した人は「桃太郎が鬼が島に鬼退治に行きました。桃太郎たちはきっとフルボッコにされたことでしょう。」というような酷い話し方をしています。信用しない方が良いでしょう。

2017年9月26日 16:18
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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

仏教では無く、民間信仰の考えですが

 死後の世界すなわち他界観念について、それぞれの宗教、それぞれの民族が独自に観念体系を構築すると同時に、宗派宗教民俗を越えて共通する部分も多く認められます。例えば、善行を積んだ者は死後に天上界に昇り、悪行を重ねた者は地獄に堕ちる。これらの観念は多くの宗教文化、民俗文化の中に認められます。但し、具体的な様相となると、同じ宗教であっても其々の地域の文化や民族性が反映されてかなり多様なものとなってきます。

 インドでは、最初に死んだ人間が死者の世界の神となり、Yamaと呼ばれております。これが中国に伝播して閻魔大王となってます。我々がイメージする閻魔様は、中国撰述の経典、更には儒教道教と習合した他界観の中で描かれていることが多いのです。そして、そうした他界観や来世観が日本に伝わって、日本独自の展開を展開を示しているのです。その一例として「賽の河原」があります。

「世界大百科事典 第2版の解説
「冥途にあるという河原。小児が死後に赴き,鬼から苦しみを受けると信じられている。《法華経》方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。 」

仏教の教えから来る考えでは有りません。「三途の川の渡し船」「奪衣婆」なども、日本独自の民間信仰です。俗信です。

 私の推測ですが、「親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされる」という考えは「親より先に死ぬのは、親不孝」という考えを死後の世界に持ち込んだのだと思います。病気や事故や災害や戦災で早逝することは決して珍しいことではありません。。

仏教的に言って、「親よりも先に死ぬと地獄へ行き、賽の河原で永遠に石をつまされる」ということは、有り得ません。

2017年9月26日 21:43
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「死について」問答一覧

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

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人生の決着をつける

私は今死ぬことについて悩んでいます。というのも、ある本を読んで「人は確実に死ぬにもかかわらず、その恐怖から逃げる為に死を連想する物事を日常から遠ざけてきた。本当によりよく生きるなら、自身の納得のいく終わらせ方を考えるべき。」という旨の文章に感銘を受けて、それ以来自身のやるべきことを放ったらかして自分で自身の息の根を断つことばかり考えるようになったからです。 私がなぜここで相談しようと思ったかと言いますと、身近な人に相談しようものなら確実に反対されることが目に見えているからです。 私は、今のところ他人から見て不自由な生活はしていないと思っていますが、これまでただ死ぬのが怖いという理由だけで勉強を頑張ったり体を鍛えたりするばかりで、夢のない生活を延々と続けています。そんな中先述の文章に出会った、「死の権利を自由に行使する」という人生で初めての夢が出来て、しかも運良く自身の満足のいく死に方を見つけたことで今すごく充実した気分で生きています。 ‥ただ一つ気がかりなのが、両親や数少ない友人といった私が死んだ時に残された人たちの気持ちです。 私の満足のいく死に方というのはぶっちゃけ自殺の一種にあたるやり方で、一応人に迷惑をかけるつもりはないのですが、それでも私が事情を説明せずに突然死ぬと両親や友人に影響を及ぼしてしまいます。かといって、馬鹿正直に自分の夢について説明したら、絶対反対されるとも思っています。だからといって、他人の為に興味ない生き方をするのは生殺しにされているようで凄く嫌です。でもでも自身の夢だからって人に迷惑かけていいのかなぁ‥ こんな感じで中途半端に人の心が残っているせいか、自身の夢と他人への影響のジレンマで悩んでいます。 一応自身の見解としては、「生殺与奪の権利を握られるくらいなら、自身で決着をつけたい。たとえその為に人が死ぬとも、例え地獄で残酷に裁かれようとも。自分の意思を貫くなら今じゃあないのか。」といった自己中の極みみたいな結論に至ったのですが、一応取り返しのつかない事なので相談してみたいと思い、文章をしたためることになりました。 あまりにも生物として気の違ったような質問で申し訳ないですが、何卒ご返事の程宜しくお願い致します。

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自殺の身勝手さ。第三者を巻き込む死

私の大切な家族が自殺の第一発見者になりました。会社で、恨みつらみを書いた遺書がありました。トラウマになりました。会社に行くたびに思い出すだろうし、顔が頭から離れないみたいです。私は、亡くなった人を悪く言うのはいけないとわかっていても許せません。 そんなに恨みがあるなら生きて戦えばいいし、それが無理なら社長の前で死ねばいい。その死をもって何か変わると思ったのかもしれませんが、変わらないし逆恨みらしいです。そんな風に恨みながら死んでいった人を、恐怖の中で懸命に救おうとした家族の気持ちを考えると、怒りが込み上げてきて、私の方が恨んでいます。きっとつらくて当人にしかわからない苦しみがあって自殺に至ったので、 責めるのもおかしいですよ。でも、これからってときなんです。もしこの先、PTSDになったり精神が病んでしまったら、誰も責任はとれません。ハスノハでも自殺したいという書き込みを見ます。 死にたいなら黙って人目につかず死んでください。私は大切な恩師を亡くしました。最後まで生きることを願い、余命との恐怖の中でも諦めず、死と正面から向き合いながら必死で生きることを教えていただきました。だからこそ、自殺したいとか自殺した人を軽蔑します。人それぞれの人生ですから、生きられない人の分まで生きろとか思いません。関係ないですから。でも、死ぬならどうぞ人目につかないところでお願いします迷惑です。自殺するということは、それを発見する人が必ずいる。その人の家庭を追い込み、その人自身が病んで病気になったり、最悪自殺することもあり得るかもしれない。自分勝手に一人で死んだつもりでも、誰かを巻き込み誰かの人生まで狂わすんです。もうサスペンスやドラマを見れなくなるかもしれない。完全な日常には戻れないかもしれない。自殺する人に死なないで、生きてたらいいことある!なんて言っても本人の辛さはわかりませんから。ただ、発見した誰かの人生まで巻き込まないでもらいたい。それを踏まえて自殺なんてしないでほしい。そんな自分勝手な死は私は最低だとおもいます。私なりに家族を支えていくつもりです。考え方が自分でも最低だと思います。許す、許さないという立場でもないです。頭ではわかっていても気持ちがどうしても故人を恨んでしまいます。 一人で解決できそうにないです。

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安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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人が死ぬと言うこと

初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。

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