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前厄

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不運の連続と前厄もあり、すがる思いから先日厄払いして頂きました。お払い中は身体の芯から温まり悪い気が無くなった様に感じたのですが、厄払いにはどの様な効果があるのでしょうか?また、厄年はどの様な気持ちで乗り越えるべきか教えて頂きたいです!


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今年、「大厄」であることに今さら気付く・・

みぃ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

よくよく考えて調べてみましたら、今年、「大厄」でした・・

前厄も含めて、特に何もしていないのに今さらながらに気づきました。

しかし、昨年に、自身の「生前葬儀」として覚悟しての大きなご仏縁を受けることができ、一つ大きな安心を頂くことができておりました。これにより、多少は何があろうとも、揺るがないものを手に入れることができたのではないだろうかと僭越ながらにも存じております。

人生、色々とあるのは仕方がありませんが、それらをどう捉えるかは己の心次第にもなります。

「厄年はどの様な気持ちで乗り越えるべきか」・・

あえて申させて頂きましたら、「人間万事塞翁が馬」という感じになりますかね。。

是非、また機会がございましたら、確かなるご仏縁(受戒・得度・灌頂など)を頂くことによる安心を得ることも、ご検討を賜れましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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厄払いは、昔の人々の生活の知恵

みぃさん、こんにちは。

厄払いのご祈祷をされてきたのですね。それで気持ちが変われば良かったです。
厄払いの年齢の設定は、信仰的に必ずその歳に起こるものと考えるのではなく、その年頃になると、生活パターンや体の変化があらわれる時期にさしかかっているのです。だから、昔の人はその人生の節目として厄の歳と定め、厄払いの儀式を行って注意喚起をしたのだと思います。

 大切なのはご祈祷をしたからだけで不幸がなるなるわけではありません。自分の心をや生活態度を振り返り、今まで違う生き方の受け入れを迎える心構えを作ることが大切です。そのために寺社にいって、心の栄養となるような有難い法話や説教を聞いて心を見つめる日、年だと受け止め、実践すればよいでしょう。そうすると変化にも対応がしやすくなり、失敗や不幸が起こりにくくなります。厄払いとはそういうものなのです。

女性にとって33歳前後は、女性としての肉体の変化が現れ始める時期でもあります。そういう意味で健康管理をしっかりとしなければならないし、子供を作りたいのであれば、早くしなければなりません。現代の日本の女性観の風潮には、個人の生き方優先だけが取り上げられ、子供を作るのがどんどん遅くなってきてしまいましたが、ここに来て医学的に警笛をならす意見もたくさん出てきました。高齢出産は母体も子供にもリスクが増えてきます。そうことも考えなければなりません。

厄払いとはそういう人生の節目に、自分の生き方を振り返る儀式なのです。合掌

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おきもち

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私は全くスルーしています。仏教とも関係ないですからね。気にしないのが一番かなと思いますよ。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

厄払いには今まで起きた不運をリセットする意味合いも込めお参りしてきました。
厄年だからと気負いせず、強い気持ちでこれから行動していく為の素晴らしいお言葉ありがとうございました!

「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

私は千葉県の在住です。成人です。 観音様への関心が強まりまして、 毎月・朔日/月初にお参りに通うなら在住市内に在るお寺の方が良いかなとも考え、検索して近所に見つけましたが、お寺って、中規模以上くらいにならないと、御札等がある程度の種類の取り扱いが無いところが多いな…と思いまして。 自宅の神棚にお祀りして毎朝お祈り/祈願したいのです。 それで、例えば、東京浅草の浅草寺は生まれてから2~3度お邪魔した事はあるのですが、 遠くはないが、行きたい時に難無く赴けるほど近くはない距離感で、郵送での購入を検討していますが、 「Q:普段から正月のお参りやある程度定期的にお詣りして馴染みがある訳でもないのに、御札やお守りだけを頂く事でも本尊様方のご利益に与れるものだろうか?と思いました。」 そこまで考えるのは少し考え過ぎかどうか…。 自宅近所に見つけた車で5分程度の同じ市内のお寺も聖観世音菩薩を御本尊として、他にも不動明王様もいるお寺で行き付けにしているのですが、浅草寺様と同じ観音様だから関連している…と考えて良いものか、と。 普段現地に顔を見せないのに御札だけねだられても…とは浅草寺の観音様も思わないんでしょうけど…。 或いは、その発見した近所のお寺にお参り時に、同等の金額を浄財としてお布施すれば意義的には同じなのかな…とも一縷考えましたが。 ※勿論、一番良いのは直接その場で授与していただける事、何か御祈願したい時にいつでもお参りできる事だとは承知はしているのですが…。

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聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

有り難し有り難し 4
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ