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物を大切にしているつもりなのに

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こんばんは。いつもお世話になっています。
今までとはだいぶ話が変わるのですが、前から困っていることがあり、質問させて頂きました。

昔から、どうしても人より物を汚してしまうのです。例えば洋服だったり、教科書だったり、
最近はノートパソコンを汚してしまって…。

もともと物を大切に扱う方なのですが、物との相性があるみたいで、大切にしていても汚してしまうのです。かわりに相性が合って長く使えるものもあります。
古典が好きで、古典の教科書を毎日のように持ち歩いているのですが、その教科書だけはいくら雑に扱っても大丈夫です。あとは、気に入ったネックレスはいくら使っても錆びないので驚いています。
長く使える物と汚してしまう物との差がひどいです。

これは私が神経質になって気にしすぎなのでしょうか?
それともみなさんはもっと物を大切にしているのでしょうか?家族の中で私が一番綺麗好きで、物を大切に扱うのですが…。

昔から気になっていました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

物には「使われ方」がありますによって

私もお気に入りのパソコンが調子悪くなっています。
パソコンでもデスクトップとノートでは長持ち度が大きく異なります。
私は時々バイクでパソコンをのっけて出かけていたこともあったので、知らずのうちに衝撃をうけてすぐダメになってしまったのかもしれません。
本はいくら衝撃を受けても「壊れる」ということがありません。ただよれよれになるということがあります。
さてこれを機会に自分自身の扱い方についても考えてみましょう。
人間だって心が痛くなる、傷つくということがあります。
そういう心を癒し、立ち直ったり、救うメンテナンス教が仏教でもあるのです。
最強のメンテナンスは治すだけじゃありません。
本だったら、全ページに水濡れ防止コーティング、洗濯もOK!撥水加工!パソコンならば工事現場で落としても大丈夫!タフブック!くらいになることが最強のメンテナンスです。
人間はこの世に生まれて凹んだり傷ついたりしながらも生きていかねばなりません。
お寺や仏教を学ぶところは、人生の最強メンテナンスなのです。
メンテナンス職人の最高峰が仏教の悟りを提供してくれる人です。
私がこのサイトで活動をしているのもそういうお坊さん「井上貫道老師」に出会えたからといっていいでしょう。サンガジャパン(27号)という仏教誌にその老師のことが載っているので関心があれば取り寄せてみてください。
もっと若いうちに聞いて学んでおけばよかったと後悔することがあります。
人生、学校では自分のことを学ぶ勉強はあまりありません。
英語数学理科社会…外のことを学べる機会は大けれど、この自分自身のことを最良の状態に保つ、大事にする、より良くする方法は教えてくれませんので、仏教を学び自分自身を明らかにすることであなたの人生は大きく飛躍することと思います。本を大切にする、パソコンを大切にするという大切にする方法として、この自分自身の向上の為に、本の中身をよく吟味すること。パソコンでこの自分自身をより良くする、最上の方法を探してみてください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人生の一部ですから

拝読させて頂きました。
多少過敏になっておられるように感じました。
あなたの周りには沢山のものや生き物や人との巡り合わせがありますよね。それ一つ一つがあなたの生活の一部になっております。
確かに相性はあるとは思いますけれども、過剰にならない範囲にてそれぞれの出会いを大切になさっていってくださいね。
あなたの人生がそのように大切なものや人とのご縁によって創られていくのですからね。

あなたの未来が沢山の大切なものや人と共に豊かな生活となりますように心からご祈念申し上げます。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答ありがとうございました。
少し気持ちが楽になったような気がします。
自分自身の扱い方ですか…おろそかになってしまっているような気がします。
この気に考えてみます。

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