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あの頃の自分に戻りたいと思ってしまう。

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有り難し有り難し 16

はじめまして。自分でも混乱しており申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

昔から文章を書くことが好きで、いつしか作家になるという夢を持つようになりました。日課のように執筆活動を続け、社会人になってから出版社へ投稿を始めました。

就職や上京のための引越し、その後も部署移動など......仕事を中心とした環境の変化により、体力的に辛い時期もありましたが、小説を書き続けてきました。とにかく無我夢中でした。

今年の春、いつものように小説を書き終えたあと、プツリと、糸が切れたような心地がありました。その後、小説を書こうとしましたが、いつものようにイメージが少しも湧き上がってきません。

頭の中の引き出しが空になってしまったのだ、少し休めば書きたい気持ちが戻ってくる。
そう思い、しばらく筆を置いております。しかしながら、書きたい気持ちは一向に戻ってはきません。

無理矢理に書こうともしましたが、気持ちが上手く文章に乗りません。自分の書いたものではない文章を見ているような心地です。自分の気持ちがどこか、文章からは遠いのです。

最近、わたしは別に文章を書くことが好きではなかったのかもしれないと思うようになりました。

ふと思い立って、昔に書いた小説を読みました。(少なくとも今自分が書いたものよりずっと)面白いなと感じます。あの頃のような小説が書きたいなと思います。
あの頃の感性を取り戻したいです。あの頃の自分に戻りたいです。

書きたいものもないのに、筆を置いていることに焦りと不安があります。小説を書かない毎日はとても空虚です。

わたしは、このまま文章が書けなくなってしまうのでしょうか。

話が上手くまとまらず、申し訳ありません。楽しく穏やかに日々を過ごしたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『熱』があるかぎり。

はじめまして。こんばんは。
「書きたい」気持ちが出ないことに、さぞ不安もあるかと存じます。
人と違う生き方はそれなりに苦労もおありでしょう。にもかかわらず、あなたはそこに『夢』を見出したのですね。それが消えてしまうことへの不安でしょうか。

あなたにとって、文章を書くこととはなにか。
それを見つめなおすための「書けない」時期かもしれません。
でももし
じんろさんが「書けない空虚さ」を文章に出来たら、
まさにそれは文章ではなく「文学」だと、私は思います。

多くの文豪が名言を残しておられます。中にはあなたと同じように苦しんだ方もいるはずです。ぜひ探してご覧ください。
もしくは書くことにこだわらず、いろんなものに見て触って、嗅いで、歩いて、求めて、求められたりしながら歩いていっていただきたいです。
きっと心動かされるものに出会うはずです。
あなたの心が動けば、きっと指が動く。指が動けば文ができる。それを楽しみに日々過ごすのもよいではありませんか。

『あの頃の自分の小説』が今書いたものより面白く感じるのはなぜでしょう?それだけあなたの心が動いていたからではありませんか。

人があなたの文章に感動するのは、あなたの心の振動が他の人の心に伝わるからです。
心が動けば、胸が熱くなる。
その胸の奥の『熱』が、原動力なのです。

くしくも「文」という字は、衣服の襟を胸元で合わせた形から、来ています。「文」は胸の奥の熱から広がるものだということです。私の名前もそういう意味です。

じんろさんの熱は消えていません。
なぜならあなたは今悩んでいらっしゃる。熱がある証拠です。
『頭の中の引き出しが空になってしまったのだ、少し休めば書きたい気持ちが戻ってくる。 』とあなたはおっしゃいましたね。
頭で書けなくとも、心で書くときがきっと来るでしょう。

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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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「事実は小説よりも奇なり」

じんろさん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「作家」・・拙生も書くことが好きなので、誠に憧れます。。

小説も一つ(自費)出版しました。もう20年前になりますが・・

以来、また書きたいなーと思いながら、ズルズルと・・

ずっと、チベット仏教を題材とした小説を構想しているのですが・・その前に勉強すべきことがまだまだあり、なかなかです・・

とにかく、意欲、モチベーションを保ち続けるのは難しいことながら、何かヒント、題材となるような新しい刺激はあっても良いかとも思います。

「昔」の自分の作品では、そうは新しい刺激にはならないことも。

例えば、「映画」になるぐらいの小説は、それなりに学ぶことも多いですし、映画を観たりされるのも。

あるいは、「事実は小説よりも奇なり」と申しますように、現実の世界を更に深く洞察することにより、色々と題材となりそうなものも。

まあ、そう焦られずに、書きたい気持ちがまた起これば、是非、書き上げられてみて下さい。

いつか作品を読ませて頂く日を楽しみにしております。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

はじめまして。
心に染みるご回答、ありがとうございました。一晩、じっくり考えました。

>あなたにとって、文章を書くこととはなにか。

まさしく、その問いに直面する出来事があり、自分に答えを問い続けております。
思考の比重が多くなり、感情が隅に追いやられている心地ですが、

>「文」は胸の奥の熱から広がるものだということです。

胸の奥から何かが滲んでくるのを、落ち着いて待とうと思います。
ありがとうございました!

はじめまして。ご回答ありがとうございました。

>まあ、そう焦られずに、書きたい気持ちがまた起これば、是非、書き上げられてみて下さい。

自分でも、焦って混乱しているように思えますので、まずは深呼吸から始めようと思います。
ありがとうございました!

「本当の自分と向き合う・らしさを取り戻す」問答一覧

学びは身になっているのか、実感がない

お世話になっております。 人生を通してなのですが、学びたいことに対して、特に実務系より精神面、自己啓発の観点の方で、それが消化されて自分のものになっている感じがあまり得られずに悩んでいます。 いろいろ講演会を聞いたり、本を読んだり、ネットで共感したことなどをもっと自分の生活や思想に取り込みたい、深く学びたいと思っても、なかなか深化できないです。自然に出て来ないし、学びも進みづらい。 仏教とかも元々文系教科(特に古文・漢文)が苦手だったので、本を読むにも頭に入って行きづらいときがあります。他のものにしても最近はうつ病とかもあって、昔より文章から要旨を掴むのが下手になってしまいました。 そもそも話題の本、タイトルから自分の欲した答えやスキルが得られそうな本、好きな著者の書いた本、何らかの形で薦められた本、やってみたいことが出来たが勉強しようと思ったら芋づる式に出てくる関連著書、あるいは興味が別なことへ移ってそちらの本・・・すべてに取り掛かることもできず、積ん読として無駄になることもしばしばです。 本もかみ砕いて熟読するにも時間がかかるし、でも速読したら結局自分の読みたいようにしか読めてなくて、本当に著者の思いを汲み取れているのかわからなくなります。 さらに、たまに振り返ったりしないととても浸透しないしすぐ忘れてしまうのですが、それも量が増える。多くのものに触れようとしなければいいものには出会えないけど、じっくりかみ砕くことを怠ると簡単にその知識は腐る、そのジレンマに悩んでいます。 最近はインプットや振り返りのために時間を取るのも下手になった感じがありますが、折角そうしてもスマホや別の事務仕事に時間を取られて、予定は常に狂うしやる気も保ちづらい。じゃあやめれば?と予定変更しても後悔が残ってすっきりしない状態です。 お坊さんは毎日のおつとめの中で大事なことを振り返っていると思うのですが、当然新しいインプットだってしているはずだと思うのです。 学んだことを血肉にするためにどういう事をしていけばいいのか。 いろいろ興味を惹かれることが多い中、何か学びを絞るためのポイントはあるのか。 新しいことを身に付ける中で、新しいものを取り入れつつ以前のものを腐らせないためにはどうすればいいのか。 アドバイス等ございましたらご教授いただけますと幸いです。

有り難し有り難し 4
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納得のできる生き方をしたい

私は何に対しても不安になってしまいます。 目には見えない病気なので家族や友人にもあまり理解がされず「もっと頑張らなきゃ!」「家にずっと居ると暇でしょ?」「私だって肘が痛いけれど仕事を頑張っている」など言われてしまいます。 たしかに家族や周りから言われるように私は甘えているだけなのかもしれません。 周りの人達は悩みを抱えながらも体調が悪くても一生懸命、仕事をしたり生きているのに私は人生をなめているというか一生懸命過ごせている気がしていないので、周りからも避けられているように感じてしまいます。 働かないだらしない人とは関わりたくない、ネガティヴな発言しかできない人とは関わりたくないなどと思われているのではないかと常に不安です。 連絡も相手から来ることはないので、私から送るのですが連絡をするにも迷惑だと思われているのではないか、友人と食事に行っても私と一緒に過ごして楽しいと思ってくれているのかな、もう会いたくないと思われているのではないかと相手の顔色ばかりを気にしています。 現在していることは浴槽を洗ったりはしているのですが家族や周りから見たら、そんなことは当たり前で何も偉くはなく、頑張った内にも入らないというような言葉を言われたり、心配して貰いたい、ありのままを伝えたら嫌われてしまう考えだけで嘘をつく癖が治らないなども含めて生きていることが怖いです。最近は今の人生を一生懸命生きようとかではなくて亡くなった後のことばかりを考えてしまいます。自分ことは自分しか分からないから周りの言葉など気にしなくてもいいと思うときもあるのですが、どうしても周りの目や評価が気になってしまいます。少しでも生きていてよかった。仏教の目的の「私が私らしく」「自分を愛おしく」思えるような生き方や考え方を教えてください。

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なんか成長した

昔の私は嫌なことにこだわって嫌なことをふくらませて自分をいじめてました。 高校のとき、家庭科の先生から 空を見上げてごらん!自分の悩みなんてちっぽけに思えるよー! とアドバイスをもらっても 国語の先生から どんなに自分が悪くても明日はやってくる。寝て忘れるんだ! とアドバイスをもらっても 意味わからんし(`Δ´) でした。 そして、ネットで、モヤモヤしたら お掃除しなさい。 お風呂に入りなさい。 などと書いてあっても モヤモヤ、イライラとまらんわ(`Δ´) でした。 どうして、いろんな方からのアドバイスが受け入れられたかというと、子供の存在でした。 歯磨きせん!って言われて、押問答してて、イライラするけど、可愛い言葉や仕草をされるとなんかそれに癒されて、どうでもよくなってなんか笑顔になります。そして、悩みをほぼほぼ忘れます。 あぁーこういうことなんだなってわかりました。 私は人のせいにして生きるのが大好きでした。 人の幸せを見るのが辛くて、買い物以外は外に出ませんでした。 そしたらぶくぶく太り、軽度肥満になりかけました。 人のせいにした人たちが、私を守ってくれるの?私の健康を守ってくれるの? そう気づき、3年で10キロ痩せました。 BMI適正体重になりました。 ゆっくり痩せたのでリバウンドなしです。 去年の健康診断でさえ、お医者さんからも保健師さんからも褒められました。 今年の健康診断もさらにお医者さんからも保健師さんからも褒められるー(^ω^) これからもたくさん成長します。

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自分らしく生きるとはどうすればいいか

はじめまして よろしくお願いします。 私は、人からの評価が気になる、人にどう思われたか気になる、人の気持ちを読んでできる限り尽くす、ほめられたり好かれると非常に嬉しくすぐにその相手を大好きだと思い、逆に批判されたり否定されたらとても気になり腹が立ったり恨んだり・・・というところがあります。 これまで職場のような浅めの関係性の場所で最後必ず辛くなり、何年も我慢した挙句パッと人間関係を切ってしまうことが多いです。お世話になって感謝する反面、本当の私を分かってくれない、裏切られたと思ったりしてしまいます。私自身は職場でも人の本質を見て付き合おうとしてしまいがちです。 心から相手と理解しあいたいと思う気持ちがあります。障害のある子どもに関わる仕事をしていますが、障害ではなくその人自身を見ることが得意です。 他者評価を求めている、承認欲求が強いのかとも思いますが、ただ、私は、ずっと自分のことは好きなのです。努力できますし、人に優しいですし、感性も豊かです。 母がいつも褒めてくれましたし、好きでいてくれました。 ただ母が極端に心配性で、人からいい母親と見られようとしていた弱さはある人でした。(私が30代の頃亡くなりました。)いい子の私はいつも母を喜ばせようと努力してきました。その影響はあると思います。ただ、愛情をもらって自分に自信も持てるように育ててもらっています。 なのに、なぜ、いつまでも精神的に自立できず、人に好かれたいのでしょうか。 自覚はないのですが、私は、自己肯定感が低いのでしょうか? どうすれば精神的に自立して自由に清々しく生きられますか。

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自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

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自分自身と向き合う

いつも大変お世話になっております。 ハスノハは私の心のささえです。 今回ご相談させていただきたいのは「自分自身と向き合う」ということです。 お恥ずかしながら私は、いい年なのに精神的にとても未熟で、子供の頃から大人になるまで本当に様々な罪を重ねてきました。 二十代前半までは人にしてきた事よりされてきたことへの苦しみ、三十路の今はされた事よりしてきた事への後悔で毎日苦しんでいます。 こんな私のことを大切に想ってくれる人を裏切り、私利私欲の為に利用したり、自分がされて嫌なことをしてしまったり。 自分の欲望を抑えられず、後先考えず衝動で動き、無知さで大きな過ちをしたり。煩悩の塊です。 あの頃は、ただひたすら目の前にあることしか考えられなかったのだろうと、今は思います。 過去は幻、未来は妄想、過去に執着して今を放棄するのはとても愚かだなと頭ではわかっていますが「あぁ、なんであんなことをしてしまったんだ」と過去の自分を恨んでしまいます。 そんな過去の自分や今の自分としっかり向き合い、これから清く正しく生きていきたいです。変わりたいです。 しかし、今まで見て見ぬふりをしていた気持ちや過去と向き合うということが、こんなに苦しく大変なのかと悩んでいます。 自分自身と向き合い変わっていくためのアドバイスをいただきたいです。 まとまりのない文章で申し訳ありません。よろしくお願いします。 (以前、別のご相談させていただいたときに教えていただいた懺悔は今後も続けていきます)

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自分らしく生きたいけど怖くて不安です

私の母は専業主婦で、今まで私にたくさん時間をかけてくれました。しかし、かけ過ぎて私自身がどうしたいのかが今までよく分からないまま過ごしてきました。 母は強要はして来ないけれど、気付いたら母が敷いたレールの上にいたような感じです。高校は母が見つけた高校に通っており(自分でもきちんと気に入った高校ですが)、母が推す就職に強い地元の大学、福利厚生が手厚い大企業に入り、結婚相手を見つけ、子供を産むという人生にこのままだとなりそうです。 今までは私もその人生を望んでいるつもりでしたが、最近、老後の資金のためにお金に関する本を読み始めたところ、私は母の考え方に流されすぎているのではないかと気づき、自分が本当にやりたいことを考えてみました。 私は地図を眺めることや旅行計画を立てることが大好きなので、そのようなことを仕事にしたいし、結婚はそこまでしたいとは思いません。まだ自分のやりたいことがしっかりとまとまっていないのですが、少なくとも母の思い描く人生をそのまま生きるのは嫌だなと思うようになりました。 しかし、今まで私は世の中の一般的な親子よりも長時間母と過ごしてきたので母が思い描く人生から外れると幸せの保証がなくなる気がして怖いです。一種の洗脳のようなものなのでしょうか…。これからの人生を、自分が行きたいように生きていく勇気が欲しいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ