hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

わたしの悩み

回答数回答 2
有り難し有り難し 26

私は体調を壊し休職中です。そこに至るまで時間と決意がいりましたが安静が必要な程度まで体調を壊したのでしっかり割り切って休職を決めれました。今は少しずつ回復中です。
あと数週間で休職期限が切れるのですが、また今ひとつ仕事をするにはついていけるだけの体力になっていないため、治療中でもあるので期限を引き延ばそうかと思ってます。
体を病気になりましたが、職場でも仲間はずれの位置にいるので集団で冷たくされたりもされ居場所もないから、いずれくる復帰日も怖いです。周りは仕事して、結婚してと変わりゆく生活を送っていますが、私はいつも自宅と病院通院生活です。時にとてつもなく虚しい気持ちになります。
私は今の職場にはいたいけど、今の職場の人といるのは怖いです。
ここにしかないからいたいという自分の強い希望と、ここの人が怖いという弱い気持ちが交差していつも縮こまります。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「脳内カキ子」から「なにも仙人サマ」への転職のススメ

今までのご質問が30問だそうですが、これを機に問題を解決する方向を改めることをお勧めします。このhasunohaに依存しても性がありませんので。
まず、問題を外に求めないことです。
職場のあの人が嫌だ嫌いだ、よりもその人を嫌う自分の心をこそ、よりよくカスタマイズするべきです。
ギターやバイク、車の場合、カスタマイズすることは新しい何かを増設する場合が多いですが、人間はカスタマイズする場合、一番いい方法は、自分の不要なアプリをどんどんアンインストールすることです。
全部アンインストールして、一端、一時だけでも「なにも仙人サマ」になるとよいのです。
坐禅とはそれをします。
完全に能動的な脳内アクションをやすめて、なにもせん人になる。
心が何もせんようになると、左脳が黙って感受頭脳、知覚頭脳、事実マインド、今のこと優先頭脳になります。
あなたは今、過ぎたこと優先思考、これから先おこること不安思考なはずです。
向かっている心のカーソルが頭の中にあるのです。
私どもは、自己が向かっているところ、目の付け所が「いまの目前」なのです。
頭の世界、アッチの世界に羽ばたかないのです。
私ども人間は「考えの世界」についついフライトしてしまいます。
仏道、仏様は「事実の世界」にフライトします。フライトするというより、地に足がついています。現実離れが起こらなくなった心こそ仏道が完成された心なのです。
ここで坊さんに毎回、お悩みに乗ってもらうという姿勢をこれからもずっと続けていくということは、だんだん依存体質になり、向かうべき方向を誤ります。
自分の浮足立つこころ、思考の世界に離陸しやすい心を改めるには、こういう文字や文言では不十分です。だからこそ、お寺では仏行、仏道修行、坐禅や念仏、写経などの「行」をすすめているのです。
坐禅の場合は、こういうセオリーの実証です。
「自分で自分をして思考マインドから事実マインドに向かわせるコツ」をつかむことをお勧めします。
心が何をするときにも「なにも仙人サマ」になる。
今、出会っていることに対して、ニコニコ動画のコメントの嵐のような脳内カキ子をやめることからです。
脳内コメント以前のこの世も職場もあなたの思考コメント以前の様があるはずです。
そこを確認しに行く、ぐらいの姿勢で、自分の人生の宝を身につけていただきたいと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

執着せずに

拝読させて頂きました。
どうかゆっくりと心身共におやすみなさってくださいね。そして今までの疲れをじっくりと癒やして下さいね。ですからおやすみを延長なさっても良いのです。
心身共にあなた自身のことが先ずは大切ですからね。

そしてその職場や仕事ばかりに凝り固まることはありません。そこにへばりついて終着することでもありません。
あなたにとってできるお仕事や機会はまだまだ沢山あるのです。
お仕事ですから真摯にお向き合いなさってしっかりとお勤めなさることは必要ですけれどもそこにへばりつく必要はないんですからね。

あなたがしっかりと心身共に回復なさっていかれ毎日を心豊かに充実してお送り頂きますようにと心からお祈り申し上げます。

どうかあせらずに頑張ってくださいね!

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

お答えいただきありがとうございます。
お坊さんの言われる通りひとつに執着して考えこむ心や思考を切り離したいと思い、今努力中です。今ひとつ大人になりきれてないけれど、時間をかけて自分というものをしっかりと持ち、頑張って生きていきたいと思います。 hasunohaで、お坊さんにお話しを聞いていただけれることは私にとって支えとなっています。
本当にありがとうございます。

煩悩スッキリコラムまとめ