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霊魂は存在するのでしょうか?また死んだらどうなるのですか?

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こんにちは。

よく夏になると心霊番組をやっています。
そういう番組がやっていることを考えると日本人は霊魂を信じている人が多いのだと思います。

しかし私は霊魂について疑問を持っています。
ほとんどの宗教では霊魂の存在を認め、人は誰でも死ねば不変不滅の霊魂になると言われています。
しかしそうなるとこの世は霊魂だらけになってしまいます。

一方、仏教では不変不滅の霊魂については否定し、あらゆるものが輪廻すると説いています。
仏教では輪廻するものに魂が宿り、霊魂単体では存在できないという考え方なのでしょうか?
だとすると霊魂は体に依存した物質的な存在という事になります。

また解脱した場合は無になるとお釈迦様は仰っています。
無になるとは具体的にどういう状況ですか?
寝ているときのような意識がない状態を指すのでしょうか。
あるいは別の次元に行くことなのでしょうか。

疑問に思ったので教えていただきたいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お釈迦さまは「無記」

Kzさん、こんにちは。

霊魂について知りたいのですね。
今の仏教は霊魂の存在があることを前提に世界観を作っています。
でもお釈迦さまは霊魂や宇宙の果などは「無記」と説かれました。つまり「説かない」ということです。
あるかないかなんて死んだ人しか分からないからです。科学で証明できるものではないからです。そのような問題に拘わっても悟りには意味はない。そんなことを考えるならば、今の自分を正しく生きよと説きます。そういう意味でお釈迦さまは合理的な方です。
ただし普通の凡人はそこまでの理性にたどり着くことができません。そのため後の仏教僧侶は方便として既存の世界観・他界観・霊魂説を使って、心の安定を目指しました。だからそれを科学的に分析しても不可能なのです。それが信仰の世界なのです。理屈で考えると信仰はできなくなります。

理屈に拘らず仏教信仰の素晴らしさを感じてくださいね。合掌

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おきもち

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輪廻や死後や別の次元を考えちょるその頭はどこにある。

みんなのココロの迷いをレスキュー救タマ!
キミたちの迷いの心を悟りの心へ転ずるぜっ。
そんな俺たちっ、ホトケのレスキュー戦隊「サトレンジャー」!(悟れんのかい)
やぁ、さっそく君の迷いをジョーブツさせるぜっ!
え?霊魂?この世は霊魂だらけ?
青いぜ、キミっ!その霊魂というものが「どこかにあると思っているその君の心。心象作用」をこそ霊とか霊魂というべきじゃないかな!?
そうすればこの世の霊魂問題全部解決グッド成仏だ!
レーコンとは、君が亡き人を思った時の心象作用や、その存在と思う時に生ずる心のはたらきそのものサ。過去の偉人の影響力だってレーコン。君の家の代々の家訓やルールだって霊魂なのさ。ただし、外にある霊魂ではなく、内なるレーコンなんだ。レーコンだけに零コンマうん秒くらいの速さで脳内で起動&運ばれてくるのさッ。だから生きている人同士にだってレーコンの作用がある。それが本当の生霊だ。世の中で霊魂とか生霊って言ってる奴はこういう道理が分かっていないから自分の勝手な妄想という生霊に憑りつかれて生み出されたリアル・タタリ現象なんだっ。君だって僕という存在はまだ正体不明のキャラだろう。「きっとこういうやつに違いない」とか思うはずだっ。ハズレ!そう思うのが君のレーコン、キュー玉、ここんポイポイここっ玉サ!
だから、死んだあとだって、この世で生きている人たちにちゃんと影響力や作用が残る。
ちゃんと死後の世界はある!それはこの世、この世界の事さ!
キミのかーちゃん、とーちゃんが死んだあとだって、君はこの世でたくましく生きていかなくちゃいけないんだゼ!
この世の最強のモンスター、ショーロービョーシやsick hackというラスボスを倒す!そのために!
敵はどこにいる?本能寺?安穏寺?ちがうよ!君のその迷いの心だ!
仏道で自己を明らめ本来の自己に出会わない限りは君は一生そうやってこの世で輪廻することになるんだ!
だから仏法を諦めれば君は思考や思想のたわごと世界にもう輪廻しなくなって、こうして遊戯遊行三昧で今という極楽浄土のお空にフライトできるのさ!
キミも自己のキュー玉、ここっ玉を明らかにして、レーコンに憑りつかれず、レーコンを成仏させるぐらいの力を持つべきだぜっ。
この世で燃やすぜ!キミの、菩提心!
俺は、俺自身を救う!そして俺の中の誰かを救う!それが仏道だ。君と僕で握手!(合掌)

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おきもち

拝読させて頂きました。
そうですね、よくわからない、それが今の答えだと思います。

私は子供の頃は良く霊を沢山見ました、そして幽体離脱してあちこちを彷徨いました。そして執着心が様々な苦しみや寂しさの元になって自分を苦しめると感じました。
そのような思いは私には過去世で感じた記憶の断片だと実感しております。
ですから私は今まで無数の生まれ変わり死に変わりを繰り返してきたと強く感じております。
恐らくはあなたの無意識の中にもそのような記憶の断片はあります。

自分自身をじっくりと見つめ直してみてくださいね。
必ず記憶のどこかに痕跡があるのではないでしょうか。

完全円満なる心全てをありのままに一切の偏りなく受け入れていくことができるならば、この移り変わりの中で波に乗っていくならば私達は成仏つまり仏となることができるでしょう、そうなれば一切の迷いから離れて輪廻から離れていくこととなります。

そこでどうなっていくのかは私はわかりません。

どうかあなたも仏道修行にご精進なさってくださいね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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心相続

Kz様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「霊魂」の存在については、染川智勇様もおっしゃられていますように仏教では基本的に「無記」(議論するに益がない)という立場になりますが、もし、近い存在として、あえて述べるならば、今私たちにあるような粗い肉体や粗い意識に左右されない、微細なる意識、微細なる心が、身体の影のようなカタチを示すことのある「意成身」(意生身)というものが考えられることになります。

もちろん、この「意成身」というものがあるとしても、永久永遠なる実体的なものとしてあるのではなくて、他に依存してある、例えば因縁(原因と条件)に依りてあり得ているという「縁起」なるものとなりますでしょう。

いずれにせよ、輪廻する心の連続体(心相続)においては(もちろん、空にして縁起なるもの)、善き因縁を調えることによって、善き赴きへと向かうことができるものとなります。

その善き赴きへ向かうには、もちろん、仏教の場合は、悟り・涅槃へと至る因縁を調えるための教えを学び修していくことが必要となります。

たとえ、我々があれこれと想像しているような「霊魂」があるにせよ、ないにせよ、死後も因縁次第において輪廻していく心相続が続いていってしまうのには変わりはありません。

ですから、霊魂云々の議論は無駄として、とにかく善き因縁を調えるための方法(仏教)に、しっかりと取り組み、心を善く調えていきなさいというのが、釈尊のご意図であられるのではないだろうかと存じます。

解脱した場合に「無」となる・・

大乗仏教の場合においては、菩薩戒など幾つかの誓願を元に悟りを開くことになるため、基本的には、その誓願において必ずある「一切衆生の救済」へと向けて、大きく分けて、仏・如来の身体としての「法身」と「色身」(報身・応身)が得られるようになるはずです。

ですから、少なくとも、全ての者たちが救われるまでは、完全な「無」とはならないのではないだろうかと思っております。(全ての者たちが救われても、法身は残ってある可能性ももちろん否定はできません)

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

お釈迦様は霊魂やこの世の果てについては言及していないんですね。
確かに解明できないことをあれこれ考えても仕方ないと思います。

仏教は超自然的な存在をあれこれ議論しない分、合理的で分かりやすい宗教ですね。
ありがとうございました。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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死について考えすぎる

昔から死や、明確でない死後の世界に対する恐怖心、不安感に襲われ日常生活でも情緒不安定な生活を度々してきました。 最近昔よりも少し大人になったためもっと複雑に考えてしまい苦しくなっています。 また私は小さな命を3度産む選択が出来なかった時があり 自分自身軽率な行動を取ってしまったために命を産むことが出来なかった。 その命は幸せに過ごして欲しい。 今一緒にいる3人の子ども達も幸せに過ごして欲しい。 死についての恐怖を抱いたまま大人になってほしくない。 でも私は死んだ後も地獄にいって苦しむかもしれない。 でも苦しいのや痛いのは嫌だ。と考えてしまいます。 今とても幸せなんだと感じながら生活しながらそれよりも死に対する恐怖心、不安感の方が強く楽しく日常生活を送ることが難しいです。 来世も人間になりたいと欲がありながら そんなことじゃ生まれ変われないかもしれないと思ってしまったりして 心が苦しいです。 この先死について考えることは無くならないと思いますが 今生きているこの瞬間をどうやったら恐怖心よりも楽しく幸せに過ごせるか、前向きに生きていくためにどうしたらいいか教えていただきたいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ