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なぜ男は女に子供を生ませるのか

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出産は命懸けですよね。

その事は男女共に知っているはずです。

愛する人が死ぬのは悲しいことですよね。

当たり前です。

ならばなぜ男は愛する女の命を危険に晒してまで子供を生ませるのでしょうか?

本当に愛しているなら女が死ぬかもしれない行為をわざわざするでしょうか。

子孫を残す為と言う人がいますが、つまり女の命を尊重するより子孫を残すことを選択したということですよね。

私には男が愛を言い訳にして自分の子孫を残す為に女の身体を利用してるようにしか見えません。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間の条件付けに縛られない心 仏道

愛している証明に君に子供を産ませない、という考えはありと言えばありなのでしょうが、それはあくまでも人間の何らかの価値観を基準にした人間世界だけの人間ルールです。
出産は苦しいもので、男性陣は誰も変わってあげられません。
私は男性なのであなたの心の苦しみを心底取り除くことはできないかもしれませんが、思ったことを申し上げますと、そこでおっしゃる愛は愛なのか、個人条件なのでしょうか。
私たちがその問いをする前にすでにこの世に誕生させて頂けた事実があります。
人間は今あることに理由付けをする。何らかの意義を求めたり、理由を欲しがる生き物でもあります。
虹や太陽、宇宙の美しさを美しいと感じるのに条件付けは不要です。
ところが、人間はチエがある分、その美しいものにも人間的な意味をつけて台無しにしてしまう。
「虹なんて所詮、一時的な現象。」
「太陽なんてそばに行けば暑くてみんな死んでしまう。」
「宇宙が美しい?彗星が落っこちてきて死んじゃってもいいわけ?」
こういうことを口にしたり、思ったりすればもの本来の「静寂美」を失います。
どんなものにも人間の手つかず、手を付けていないままの「静寂美」があります。
この静寂美を涅槃寂静ともいいます。
人間の見解がそこに介入される前の姿です。
結婚や出産というものも、どちらかが何かをたくらんでいるとか、男性だけが楽をしようとかいうものではなく、生物の静寂美としての出産があります。
今日もどこかで出産、出生、生命の誕生があります。
そこに人間が悪く意味を添える必要があるでしょうか。
望まれた出産、望まれなかった出産もあるでしょう。
ですが、それは人間の勝手な思いによる塗りたくり。
生物の世界では人間の見解以前のさまがあります。
人間がそこに人間的な意味を添えることで自然界本来の静寂美を思考によって脚色してしまうことがあります。
人間の思考には限界があるのです。
意味づけを超えてください。
理由づけ、意味づけというレベルにとどまっていると人間は苦しみを越えられません。
あなたのような人のためにこそ、仏道はあるのです。
理由をつけて幸せになるのであればもっと素敵な意味をつければよいでしょう。
ですが、意味づけの世界は、相対的な世界にとどまります。
善の意味づけの裏には悪い意味づけもある。
さらに一歩進まれ、善悪も超越した静寂美に目覚められますよう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

連続性は生物の本能です。

興味深い考え方です。
そういう人とは違う考え方の人が、私は好きなのですが、「なぜ」と問われておりますので、少々反論という形になってしまうことをお許しください。
あなたの考え方を否定する気はありません。

人を含め、すべての生物はいずれ死にます。
命を懸けようが、懸けまいが死ぬのです。
そして時間は、あなたと愛する人が生きていた痕跡を容赦なく消していきます。
人間とは一人では連続しないものなのです。

そこに連続性を持たせる。
つまり愛する人と、自分が生きた証拠を後世に残す、最も大きな手段として子孫を作る、というものがあります。

もちろん、人間自体がいつか滅びる以上、その子孫もどこかで途絶えるわけではありますが、その続いていくのだ、という希望が何より生き物にとって意味のあるものなのですよ。

生物の条件の一つとして、自己複製ができる。
つまり、子孫を残せる。
というものがあるそうです。

恋愛感情というもの自体が子孫を残すための本能として起こる現象のことですから、生物としては至極全うなのでしょう。

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有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐り切ったり、同僚とぶつかったり、挫折挫折の仏道人生を歩んでおります。 だからこそわかる、答えられることがきっとあると思ってHasunohaに戻ってまいりました。 精一杯、皆様のお役に立てるよう頑張ります。

深く深く感謝申し上げます

拝読させて頂きました。
男女が共にお互いを尊重して愛し合い、その中でお子様に恵まれていく事は本当に有難いご縁です。
その子が恵まれた事は夫婦にとっては何よりも大切なご縁を授かったことですから。

本当に自分の命を捧げてもどうかこの子が産まれて健やかに育ってほしいと思うことは誠に大変なことです。

子供を授かること、それ以上大切な事や貴重な事はないと思います。

母親がその生命を危険にさらしてまで新たな生命を産むことは大変な事かと思います。

その出産については深く敬意を表します。有難きことです。

私も母に深く感謝申し上げます。

この世に生を享けさせて頂いた事、健やかに育てて頂いた事、そして仏教のみ教えに巡り合えた事、全ては父と母が私に生命を与えて下さったからこそ今こうして沢山のご縁にめぐり合わせて頂いているのですから。

あまたのご先祖様やお母様達に深く深く感謝申し上げます。
有難うございました。 合掌

拝読させて頂きました。
特にそのような考えはありません。有難いと感じるのみです。合掌m(__)m

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

あなたにはお母さんはいますか?
もしいるなら聞いてみてはどうかな。
「お母さん、私をお腹に宿した時、出産した時どう思った?
後悔した?
嬉しかった?」
お母さんがいないなら、子供を持つ母親に聞いてみてください。

追記
そういう事情でしたか。薄々は感じていました。その環境ではあなたのように思うことは当然の成り行きだと思います。あなたの思いは否定はできません。
ただ、子供を産んで幸せなお母さんも世の中にいることも知って欲しいと思います。
もっとも、幸せを感じるのは子孫を残したいという遺伝子の為かもしれませんが、それは人間も所詮は動物と同じということなのでしょうね。
人間は他の動物よりも考える能力が発達したことで他の動物を支配する力を得ましたが、反対に考えることによって他の動物が悩まなくていいことで悩み苦しむ宿命なのかもしれませんね。
何れにしても、転んでもただでは起きない、と言いますように、生まれたからには喜怒哀楽の中でしっかりあなたの人生を全うして欲しいと願っています。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

質問者からのお礼

丹下覚元さんへ
あなたは命を取られそうになったとき「静寂美」だからと言われて納得しますか?
命がかかっていることに「静寂美だから」なんて関係ないんです。

けいじょうさんへ
私は命を繋ぐことに何の希望も見出せません。
女が出産という拷問を受けないと子孫を残せないなら、そんな人類は滅んで良いと思っています。

kousyo Kuuyo Azumaさんへ
感謝されているということですが、裏を返せば「だから女は子どもを生んで当然」とも取れます。

三宅 聖章さんへ
私の考えは母親から受け継いだものです。
母は男に暴行されて私を生みました。
中絶を望んでいましたがお金が無く仕方なかったそうです。
母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。
出産は拷問です。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ