なぜ男は女に子供を生ませるのか
出産は命懸けですよね。
その事は男女共に知っているはずです。
愛する人が死ぬのは悲しいことですよね。
当たり前です。
ならばなぜ男は愛する女の命を危険に晒してまで子供を生ませるのでしょうか?
本当に愛しているなら女が死ぬかもしれない行為をわざわざするでしょうか。
子孫を残す為と言う人がいますが、つまり女の命を尊重するより子孫を残すことを選択したということですよね。
私には男が愛を言い訳にして自分の子孫を残す為に女の身体を利用してるようにしか見えません。
母は男に強姦されて私を生みました。 中絶は金銭面の問題で出来なかったようです。 母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。 十月十日も生活を制限され、ホルモンバランスは狂い性格も変貌し、キャリアも泣く泣く諦めなくてはならず、激痛の中命がけで分娩、ボロボロの身体で寝る暇すらなく子育て、歪んだ骨盤は元には戻らず、一番綺麗な時期を好きなことも出来ないまま子どもを生む道具にされる。 出産は拷問です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人間の条件付けに縛られない心 仏道
愛している証明に君に子供を産ませない、という考えはありと言えばありなのでしょうが、それはあくまでも人間の何らかの価値観を基準にした人間世界だけの人間ルールです。
出産は苦しいもので、男性陣は誰も変わってあげられません。
私は男性なのであなたの心の苦しみを心底取り除くことはできないかもしれませんが、思ったことを申し上げますと、そこでおっしゃる愛は愛なのか、個人条件なのでしょうか。
私たちがその問いをする前にすでにこの世に誕生させて頂けた事実があります。
人間は今あることに理由付けをする。何らかの意義を求めたり、理由を欲しがる生き物でもあります。
虹や太陽、宇宙の美しさを美しいと感じるのに条件付けは不要です。
ところが、人間はチエがある分、その美しいものにも人間的な意味をつけて台無しにしてしまう。
「虹なんて所詮、一時的な現象。」
「太陽なんてそばに行けば暑くてみんな死んでしまう。」
「宇宙が美しい?彗星が落っこちてきて死んじゃってもいいわけ?」
こういうことを口にしたり、思ったりすればもの本来の「静寂美」を失います。
どんなものにも人間の手つかず、手を付けていないままの「静寂美」があります。
この静寂美を涅槃寂静ともいいます。
人間の見解がそこに介入される前の姿です。
結婚や出産というものも、どちらかが何かをたくらんでいるとか、男性だけが楽をしようとかいうものではなく、生物の静寂美としての出産があります。
今日もどこかで出産、出生、生命の誕生があります。
そこに人間が悪く意味を添える必要があるでしょうか。
望まれた出産、望まれなかった出産もあるでしょう。
ですが、それは人間の勝手な思いによる塗りたくり。
生物の世界では人間の見解以前のさまがあります。
人間がそこに人間的な意味を添えることで自然界本来の静寂美を思考によって脚色してしまうことがあります。
人間の思考には限界があるのです。
意味づけを超えてください。
理由づけ、意味づけというレベルにとどまっていると人間は苦しみを越えられません。
あなたのような人のためにこそ、仏道はあるのです。
理由をつけて幸せになるのであればもっと素敵な意味をつければよいでしょう。
ですが、意味づけの世界は、相対的な世界にとどまります。
善の意味づけの裏には悪い意味づけもある。
さらに一歩進まれ、善悪も超越した静寂美に目覚められますよう。
連続性は生物の本能です。
興味深い考え方です。
そういう人とは違う考え方の人が、私は好きなのですが、「なぜ」と問われておりますので、少々反論という形になってしまうことをお許しください。
あなたの考え方を否定する気はありません。
人を含め、すべての生物はいずれ死にます。
命を懸けようが、懸けまいが死ぬのです。
そして時間は、あなたと愛する人が生きていた痕跡を容赦なく消していきます。
人間とは一人では連続しないものなのです。
そこに連続性を持たせる。
つまり愛する人と、自分が生きた証拠を後世に残す、最も大きな手段として子孫を作る、というものがあります。
もちろん、人間自体がいつか滅びる以上、その子孫もどこかで途絶えるわけではありますが、その続いていくのだ、という希望が何より生き物にとって意味のあるものなのですよ。
生物の条件の一つとして、自己複製ができる。
つまり、子孫を残せる。
というものがあるそうです。
恋愛感情というもの自体が子孫を残すための本能として起こる現象のことですから、生物としては至極全うなのでしょう。
深く深く感謝申し上げます
拝読させて頂きました。
男女が共にお互いを尊重して愛し合い、その中でお子様に恵まれていく事は本当に有難いご縁です。
その子が恵まれた事は夫婦にとっては何よりも大切なご縁を授かったことですから。
本当に自分の命を捧げてもどうかこの子が産まれて健やかに育ってほしいと思うことは誠に大変なことです。
子供を授かること、それ以上大切な事や貴重な事はないと思います。
母親がその生命を危険にさらしてまで新たな生命を産むことは大変な事かと思います。
その出産については深く敬意を表します。有難きことです。
私も母に深く感謝申し上げます。
この世に生を享けさせて頂いた事、健やかに育てて頂いた事、そして仏教のみ教えに巡り合えた事、全ては父と母が私に生命を与えて下さったからこそ今こうして沢山のご縁にめぐり合わせて頂いているのですから。
あまたのご先祖様やお母様達に深く深く感謝申し上げます。
有難うございました。 合掌
拝読させて頂きました。
特にそのような考えはありません。有難いと感じるのみです。合掌m(__)m
あなたにはお母さんはいますか?
もしいるなら聞いてみてはどうかな。
「お母さん、私をお腹に宿した時、出産した時どう思った?
後悔した?
嬉しかった?」
お母さんがいないなら、子供を持つ母親に聞いてみてください。
追記
そういう事情でしたか。薄々は感じていました。その環境ではあなたのように思うことは当然の成り行きだと思います。あなたの思いは否定はできません。
ただ、子供を産んで幸せなお母さんも世の中にいることも知って欲しいと思います。
もっとも、幸せを感じるのは子孫を残したいという遺伝子の為かもしれませんが、それは人間も所詮は動物と同じということなのでしょうね。
人間は他の動物よりも考える能力が発達したことで他の動物を支配する力を得ましたが、反対に考えることによって他の動物が悩まなくていいことで悩み苦しむ宿命なのかもしれませんね。
何れにしても、転んでもただでは起きない、と言いますように、生まれたからには喜怒哀楽の中でしっかりあなたの人生を全うして欲しいと願っています。
質問者からのお礼
丹下覚元さんへ
あなたは命を取られそうになったとき「静寂美」だからと言われて納得しますか?
命がかかっていることに「静寂美だから」なんて関係ないんです。
けいじょうさんへ
私は命を繋ぐことに何の希望も見出せません。
女が出産という拷問を受けないと子孫を残せないなら、そんな人類は滅んで良いと思っています。
kousyo Kuuyo Azumaさんへ
感謝されているということですが、裏を返せば「だから女は子どもを生んで当然」とも取れます。
三宅 聖章さんへ
私の考えは母親から受け継いだものです。
母は男に暴行されて私を生みました。
中絶を望んでいましたがお金が無く仕方なかったそうです。
母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。
出産は拷問です。