心が現実に追いつきません
二年前、主人を急性心不全で亡くしました。27歳でした。 私も同じ歳です。
今年30歳になりました。主人は早生まれなのでもうすぐ3回忌です。 毎日が慌ただしく過ぎて、人の呼ぶ方へと住む場所や働く場所も流れに身を任せています。
元々人に頼ることや甘えることが苦手です。でも今まで寝れないほど悩んだことなんて1度もなくて、食べれないとかストレスも感じたこともないほど明るくポジティブな人間です。
なのに、毎日毎日辛くて苦しくて悲しくて、心から楽しいと思えたことなんてあの日から1度もありません。
でも友達や、親に悲しい思いをさせたくなくて、大丈夫だよと思って欲しくて誰にも言えません。言いたいとも思いません。大好きなひとに哀しい顔をさせたくないんです。
ただ、どうしようもなく悲しくて辛い気持ちがいつまでも新鮮に残っていて、あの日のことが昨日のように思い出せて、何でもない時にすぐ涙が出てきてしまいます。もう2年も経つのに。でも一人の時しか出ないんです。
泣いているとあの日から何も進めない心にさらに悲しく、苦しくなります。いつになったらこの心は楽になるんだろうか と思ってしまいます。
辛すぎて誰かにいて欲しいとも思ってしまいます。
でもきっと彼がよくて。
こんなこと思う自分が嫌になったりもします。
毎日何のために生きるのか。彼のためと両親のためだけに生きているだけな気がします。
死にたいと思ってしまうけど、そんなことを思うなんてとまた責めてしまいます。
どうしたらこの苦しみから逃れられますか?
どういう考え方をしていけばいいんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心はそのままに
悲しい時は泣いていいのですよ。
心が落ち着くまで涙を流して泣きましょう。
涙が枯れたらまた歩き始めたらいいのです。
ひとつ、知っておいて欲しいのは、人はこの世での命が終わったら浄土に行くということ。ご主人は浄土で仏様になる為の修行をしているということ。そしていつかは浄土で再び会えるということ。
そのことを知っておいてください。
仏壇かお位牌、あるいはお墓の前で手を合わせて、ご主人に例えばこのように言うのですよ。「修行して仏様になって、私達を守ってくださいね。私が泣いていたら修行に身が入らないかしら?もしそうなら私のことは大丈夫、心配しないでください。私もこちらでの人生をしっかり歩んでいきますからね。またいつか会える日を楽しみにしていますね。」
一歩踏み出しましょう…大丈夫です。
2年間ですか…よくぞ旦那様のいらっしゃらない寂しさに耐えていらっしゃいました。あなたの旦那様への思いの深さがよくよく伝わってまいります。
で、どうすれば今の苦しみから逃れられるかを問うていらっしゃいますが、それにはあなたが決断するしかないのです。
あなたは今の苦しみから逃れることが、旦那様を忘れてしまうことになりはしないかと恐れていませんか? 今、現在この世に人としては存在しない旦那様を想えば、寂しい、悲しいのが当然で、それが自然だと感じていませんか。
浄土真宗という念仏の教えにては、人は命終わると浄土に参り、仏と成るのだと頂きます。
理解出来ないかも知れません。理解出来なくても良いのですが、そうすると、旦那様は今どこでどうしているんだろう、いや、死んでしまったのだからもう、どこにも存在しないんだと、苦悩や悲しみから解放されることがありません。
一方で、旦那様は今、念仏という「仏様」となって私のところに還って来て下さっていらっしゃる…と頂くと嬉しいです。安心出来ます。そして私がこの命終えたなら、旦那様の往かれた同じ浄土の世界に、私も仏として生まれさせて頂ける、また旦那様と仏同士として遇える世界があるんだ…と受け取れると、ひたすら忌み嫌い、逃げ続けている我の「死」というものに意味を見出すことが出来ます。
仏様は、私が何とかして自分の人生を生き抜き、そして死んでいけるようにはたらいて下さっている存在です。
これらを荒唐無稽、お伽噺と切り捨てることは簡単ですが、ならばやっぱり旦那様のいらっしゃらない今を嘆き、そして絶対迎えたくない我が死を、「もう最後だ。死んで消えていくんだ」と自分でそのまま受け入れていくしかありません。
長々と説法致し申し訳ありません。
とにかく、いろんな本を読んで下さい。多くの人に出会って下さい。聞いて下さい。学んで下さい…。
あなたの生きていける道は既に用意されているのです。その道に出遇って下さい。気付いて下さい…勇気を出して一歩を踏み出されますよう御念じ申し上げます。
きっと旦那様もあなたの一歩踏み出す御姿を微笑みながら見つめ、そして寄り添い、支えて下さっておられます…。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
胸がいっぱいでなかなかお礼を書けませんでした。
泣いてしまうことは変わりません。
思い出すことも、思い出して悲しく苦しくなるのも変わりません。
でも、少しずつできる範囲で考え方を変えていけたらと思います。お二人から教えて頂いた世界を、ちゃんとみつめたいと。
本当にありがたいお言葉ありがとうございました。
辛い時、またこのお言葉を読み乗り越えます。
ありがとうございました。