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姉と母親の介護の事で上手くいかないです

回答数回答 2
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母親を認知症で在宅介護をして、私が主介護者です。
私は無職です。前職が精神的に辛く限界を感じ母親の介護もあるからと退職しました。
母親は寝たきりでは無く、何とか独りでトイレにもいけますが、家に独りでは無理です。
姉は結婚して隣に住んでいますが、フルタイムで働いているので母親の介護は殆どしません。
姉が休みの日に、たまたま父親も留守の時に、友人とお茶するから少し母親を見てて欲しいとお願いしました。
姉が出掛ける私に「早く帰って来よ!」と、面倒そうに言ったのです。

私も普段ストレスが溜まり、母親がデイに行ってくれる日は正直ホッとします。
私がいない時は父親がみてくれるので、滅多に姉には頼みません。

それなのに面倒そうにあんな言い方をしたのが腹が立って、話す気もしません。
普通なら「たまにはゆっくりしてくればいいよ!」とか言いませんか?

以前にも同じような事が有り、凄く私が怒ってしまった事があります。

やはり嫁に出た姉妹は介護には温度差が有るものでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

やっと姉はスタート地点に立ってくれた ありがとう

あなたは立派です偉いです。
ですが、お姉さんは大人の事情というものを理由にやろうとしませんでした。
状況によって、過去からの流れから、今の結果に至っている訳です。
時には、その発言に姉の甘えた性格、責任の無さも感じると思います。
ですが、ようやく一緒に介護をしてくれるように、少しづつなってきてくれているのだと考えましょう。生老病死、親の介護からは誰も逃げられないものです。
少しづつでもいいですから、お姉さんを大人にしてあげてください。
お母さんもいつかは亡くなってしまうのですから。
まずは、お姉さんにプラス面を伝授することです。
・母の介護を理由に家に帰らなくていい日を作ってほしい
・ここで、介護が終わったらのんびりしてていい
・母親と二人っきりになれるのも残りわずか
こういったことをお姉さんが好むような言い方で価値を見つけてもらうのです。
人間の好き嫌いなんて、すぐにコロッと変わります。
それは価値というものが相反するものだからです。
たとえば、ロングヘアーは男性からは魅力的に感じますが、洗うの大変、首、肩がこる。
われわれ僧侶は坊主頭ですので、冬は寒々しいですし、ファッションも何もありませんが、速乾です。場合によってはティッシュ一枚でOKです。
髪があった方がいいのか、無い方がいいのか。
母のそばに居られる方がいいのか、何もしない方がいいのか。
どちらも良い面悪い面があるのですからこそ、その中で、楽しめること、親しめることを見出していけば、どんな困難も苦にならなくなります。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

姉妹であっても違う人

介護をすることは、どんなに愛があっても楽な事ではないと思います。しかし、そんなあなたの気持ちを誰もが理解できるかといえばそうではありません。
「普通ならたまにはゆっくりしてくればいいよ」と言うはず。と思っているのはあなたの考えの話。普通ならという思考は、ご自分でご自分を苦しめる思考です。普通ということはないと思った方がいいです。人それぞれ。あなたのお姉さんは、お姉さんで何か考えているのでしょう。ですから、冷静にお互いの気持ちを伝え合わなければ理解し合うことは難しいでしょう。家族となるとそうした事が、伝わるもの、通じ合ってるものと勘違いし、おろそかになります。
別の人間だということをわからないといけません。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

私の欠点で自分がこうだから、人もこうだろうと決め付けた思い込みが、私の今迄の人生で直さなければいけない所です。

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