hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ご自身の子どものおられる男性のお坊様に質問があります。

回答数回答 5
有り難し有り難し 161

以前の投稿では表現が回りくどくてイマイチ聞きたいことが伝わっていない様でしたので簡潔な質問文にして投稿し直しました。
宜しければご回答お願い致します。
私の悩みの元に関してはプロフィールに記載しました。

『なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?』


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

妻へは感謝しかありません。

あくまで私見となり、望む答えではないのでしょうが、

わたしたち夫婦においては、共に子供を設けたいという思いがあって
子を持ちました。それが出来たことは有難いことだと思っています。
理由は、簡潔にいえば大好きだからです。妻も、子供も、いやもう全部の
いのちが大好きです。これから生まれるであろういのちたちも、
わたしの大好きに含まれます。変な事をと思うでしょうが。。。

あなたのご質問を目にしたとき、ひとりめの出産の時を思い出しました。
大震災のときに三か月目をむかえ、一歩おそかったら妻とお腹の子はタンスの
下敷きになっていました。そんなことも乗り越えて、やっとやっと
こどもが生まれる!うれしい!と思っていた9か月目に病院から
出産に関しての誓約書が渡されます。
出産後、母子ともに死亡する可能性があること。
手術などの必要性、またそれによって母子が死亡することがあること。
etc...
知識として、出産とは危険をともなうことであることは知ってはいても、
こうも明確に「死亡」の二文字をみることとなったときは、愕然としました。

しかし、そんなわたしを後目にして、妻はどんどこ誓約書を読んで
「はい、おとっつぁん、さっさとハンコおしな」とひとこと。
昭和後半の女性とはいえ、なかなかの肝っ玉であります。

震災のときも、ケッコンするときも、か弱いこの女性を護らねば、と
思っていたのですが、妻は「死亡」の二文字にもひるまず、この事実を
受け入れ、出産の準備をすでに済ませていたのだと思いました。

あとで自分のきもちを彼女に伝えました。誓約書が怖いと思ったということ。
でも妻は「そんときはそんとき。じぶんたちだってそうやって親が悩んで
苦しんで生んできたんだとおもうよ。感謝感謝だね」と笑っていました。

わたしはそんな妻を有難く思いますし、そうして生まれた子たちも、
わたしにとって感謝のかたまりのようなものです。

わたしが負うのは、彼女たちのこれからに幸多からん事を願い、そのために
自身を尽くすことと思います。

過去はどうしようもありません。出産の危険を顧み後悔はありましょう。
でもいまはもうそれを踏みしめた道の上で次の歩みを踏むところにいます。

わたしは感謝の道を歩みたいと願い、歩を進めています。

あなたの是からに、さちあれ。さちあれ。合掌。

{{count}}
有り難し
おきもち

あなた達の場合と違って、私達の場合は二人で望んだことなのですよ。
それに、正直なところ当時はあまり危険性についての認識もありませんでした。私達の両親も無事に出産していましたし、お医者さんもベテランで信頼出来そうでしたからね。
妻からは、出産の時は確かに痛かったけど、それよりも、隣の部屋でイビキを出してグーグー寝てるあんたに腹が立って腹が立って、痛みを忘れてたわ、なんて今でも時々言われますよ。
まあ、人それぞれなのではないでしょうか。
ハスノハには中絶や流産をして悲しんでおられる女性の投稿もあります。彼女達にとっては自分の命と同じくらい大切だったのだと思います。
また反対に、よくニュースで児童虐待で親が逮捕されるのも見ます。彼らにとっては、子供よりも自分が大切なのでしょうね。
あなたが出産させる男が嫌いなら、そういう人と付き合わなければいいと思いますし、また、この人の子供を産みたいと思えるほどの人と出会えたら挑戦してみてはどうでしょうか。
また、出産に臨む女性達を助ける仕事をして、彼女達の力になってあげてはどうでしょうか。
お母さんはご健在でしょうか?
もしご健在なら、いつかは、産んでくれてありがとう、と言ってあげられるようになれたらいいなと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

【精】【血】【自の業識】

あなたのプロフィールを読みました。悲しい出生の秘密ですね。
その点については、悲しすぎて私からは何の言葉もありません。

”なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?”
少なくとも私の場合、そこまでする価値があったからです。
ウチの場合、それこそ壮絶な出産の直後、笑顔で分娩台の上から「次はいつにする?」と言い放った妻にはさすがに驚きましたが。

出産とは、たしかに男から見ると痛そうで苦しそうで可哀想なくらいの光景ですが、多くの女性にとってそれは喜びであり、女性の特権である事は言うまでもありません。

仏教では、父の【精】と母の【血】と【自の業識】の3つが和合して子どもが生まれてくると教えています。
つまり父の《精子》と母の《卵子》と、
《生まれてきたいという子ども本人の意志》ということです。

精子と卵子が合体し受精卵となり…というところまでは小学校の性教育でも教えています。もっと専門的な医学では、胎児が成長し最後に肺機能が完成すると、サーファクタントというたんぱく質が分泌されます。これが赤ちゃんからの「そろそろ産んでおくれよ」というサインであり、これがきっかけで陣痛を起こし出産に至るということが分かっています。

よく反抗期の子どもが「産んでくれと頼んだ覚えはない」と親を罵りますが、じつは、本人が覚えていないだけで、「親が勝手に本人には無断で産んだ」などということはありえません。

{{count}}
有り難し
おきもち

【公認心理師】 【レンタルお坊さん】活動中。 とりあえず何でも相談して...
このお坊さんを応援する

仏教の戒律に照らします。出産は不殺生戒に当たらないと判断します。確かに出産は危険にさらされる事にはなりますが、それが100%死に至らしめる訳ではないです。私に殺意はありませんでした。また不貪淫戒(むさぼらない)がありますが、それに照らしても夫婦間の事でありまたお互い同意があったので破戒にはならないと考えます。あなたの場合はどうでしょう?夫婦間で同意はありましたか?相手の方と婚姻しておらず、あなたが行為に対し「死にたくない」と拒否していたならばお相手の方は正しい行動ではなかったといえると思います。(※その罪過は生まれたお子さまには及ばないです)
 また社会において新しい命は必要です。私はいずれ死にます。私は日本という国、また世界を維持存続していって欲しいと思っているので、ある程度のリスクはあっても新しい命を産んでもらい、大切に育てる必要があると考えました。別にそれでパートナーに死んで欲しいと思った事はありません。

 男女を見たとき、現代日本において出産という観点だけで見ると、確かに女性だけが危険で不公平に見えますが、昭和10年代後半の日本においていかがでしょう?人口の男女比は明らかに女性の方が多かった。当時は、女性の出産以上に男性の方が戦争により死の危険にさらされていたのです。私たちは性の差別なく命を大切にしなくてはいけません。
 この答えはあなたの納得いく回答でないかもしれませんが、自分と異なった考えを否定し反論する事をお釈迦さまは勧めていません。せっかくお坊さんを頼り質問したのですから、反論するのではなく、過去の問答も含め、お坊さんの言葉をよくかみしめ受け入れる事、そして何よりあなたのパートナーさんの気持ちを受け入れる事が、心の安定に近づく事と思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
このお坊さんを応援する

夫婦二人とも子供を望んだから

子供が欲しいというのは、妻の方が早くから希望しており、30歳くらいまでには第1子を生みたいという希望から逆算して結婚の時期を決めたようなものです。

結果的に子供に恵まれ、妻も元気です。
妻も、子供を産んだことを後悔していないと思います。

夫婦どちらかが子供を産みたくない、命の危険があるから妊娠はしないようにしよう、というなら、そうすればよいと思います。
うちの夫婦の場合、たまたま、子供を欲しい人同士が結婚したので、すんなり産むことを決めただけです。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

たくさんのご回答ありがとうございました。
私がこのような考えに至った発端はプロフィール(全員に公開へ変更しました)にも書かれてある通りですが、今まで色んな男性と話して彼らの言動に疑問を抱いたからでもあります。
皆女が命がけで子どもを生むことを当たり前に思っていること。
「感謝してる」とか「愛してる」という綺麗な言葉で飾ってはいるけれど、結局女が時間と体を犠牲にしていることに対して気にしている男性はいませんでした。
男は長い年月の間、女を虐げて子どもを生ませてきた歴史があります。
そして今も男社会のままで男はそれを当然と思っており、女は男に合わせるのが当たり前の世の中です。
国家も法律も仕事も戦争も全部男の都合で起きたことなのに、だれ一人それを反省する男はいません。
その上出産という拷問を当たり前だと思っているのです。
男の言う生命誕生への賛美はあまりにも薄い。

「お坊さん」問答一覧

僧侶になり、お坊さん便に加盟したいです

 現在60です。  最近、退職しました。これから浄土真宗本願寺派の僧侶になって、できたら死ぬまで僧侶として働きたいと考えてます。  まず、僧侶になるためには、得度を許可し所属寺になってくださる師僧さんを探さなくてはいけないこと、そしてそれがかなり大変なことは調べて分かりました。その難関をなんとかクリアーできたとして、その後の僧侶としての生活について教えて頂ければ嬉しいです。  どこかの所属寺に所属する教師僧侶になれたとして、その後、そのお寺に雇って頂くということをまず考えました。しかし、最近では、他人を雇うほど余裕のあるお寺はあまりないと考えました。そこで、自分でネット(イオンやお坊さん便)などを利用して、法事の機会を与えてもらいつつ、修行&生計を立てることができれば、色々良いのではないかと現在考えています。  そこで教えて頂きたいのですが、お坊さん便などを利用して、所属寺外で法事を営むことは、所属寺から許可してもらえるでしょうか?また、許可してもらえるとして、やはり収益の何割かをお礼として喜捨させて頂けば良いのでしょうか。  僧侶になることは真剣に考えています。そこから、生活できるくらいの収入をもちろん得たいと考えていますが(年金が少ないので)、残りの人生を他の人に貢献するために使い切りたいという気持ちが強くあります。ご相談頂ければ大変うれしいです。

有り難し有り難し 59
回答数回答 2

僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

田舎の寺を継いだが辞めたい

はじめまして。 地方の田舎の寺を親から継いだ40代独身です。 20代で修行を終え、最近登記も済ませ、住職となりました。 姉(独身)と父(もう高齢化してきてます)と私の3人でやってます。 母親は檀家の紹介でお見合いし、父と結婚。しばらくアパートで暮らしてましたが、姉が産まれ、しばらくして、弟である私が産まれました。 その後、寺に入ってほしいと祖父母からの要望で、田舎の寺で祖父母と同居となりました。 母はそこそこ有名企業で収入もよく、当時結婚が当たり前の時代、相手はほかにもいたというのに、なぜ寺なんかに嫁いだのか・・・。 私らの子育てがあったので、仕事をやめ、寺で生活してましたが、慣れない祖父母との同居生活、加えて急に来る檀家の対応等で精神疾患となりました。 どうしても無理だと思った母を見かね、父は私らを連れて寺を出ることになりました。寺から1時間程度離れた別の場所に家を建て、そこで私らは育ちました。住所変更も済ませ、学校などもそちらの地元を出ました。 その後、私は専門を出て就職したのですが、父が病気にかかり、寺を継いでやってくれと頼まれまして、仕事をやめ、そのまま修行を終え、寺に入って住み込みで約10年ほどやってきました。 田舎の檀家寺になりますので、近辺のほとんどが昔からの檀家です。 付近の住職死亡後誰もやらなくなった無住の寺を代務でいくつも抱えており、その負担が私に全部来るようになってます。 朝でも夜でも電話もなく、いきなり急に来る檀家が多く、毎回相当なストレスを感じてしまいます。少しでも出れなかったり、いないと、なんでいないんだ?どうなってるんだ?と怒鳴る檀家もいて、もう寺にいたくないとさえ思うことが多いです。 葬式が入れば、戒名いらない、葬式だけ1日でやってくれ、寺に親が昔勝手に建てた墓があるから仕方なく、住職を呼ばないと納骨ができない・・・そんな感じの檀家がほとんどで、毎回対応するのがものすごい大変です。 今はまだなんとか父がいますので、いろいろ聞きながら、私が檀家の接客電話担当、姉は裏方で主婦みたいな感じでやってます。 もう姉も私も結婚は難しいと思ってますし、檀家は全部あわせると400件ほどおり、次はいったいだれがやるのか・・・。 できることなら私と姉はやめて、寺から出ていき、よそから住職呼んで継いでもらいたい・・・甘い考えなのでしょうか?

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

何が正しいのかわからない。

私は地方の檀家寺に生まれました。 幼い頃から父にお坊さんになること以外の道を許されず、反論すると暴力や大切なものを壊されたりしてきました。 逆らうことができ学生時代は本山に寄宿しながらの修行生活をしました。 しかし、修行を終え娑婆に帰ってから、自分でやりたいことを選べなかった後悔と青春時代を失った後悔に襲われました。 それと同時に本山から帰ってからは周り(寺族、檀家様、周りの寺院)からの期待が大きくなっていました。 住職が私のいない間に周りのお寺や檀家様に「息子は望んで家を継ぐために本山に修行に行ってる」と意気揚々と話していたそうです。 それだけではなく住職は結婚したら将来同居がすぐできるように二世帯住宅を完成させていました。 結婚しても、食卓でも仕事の話やすぐに機嫌を損ねると癇癪を起こし暴力を振るってきた父と一緒に生活することは相手のことを考えると私はできませんが、、、。 そんな日々が数年続く中で住職から荒行に行くようにいわれました。 私は生まれつき身体も弱いですし、正直行きたくありません。 本山での修行中は家を継ぐ決心や僧侶になる発心がない状態でした。 しかし、逃げずにいたのは本山よりも癇癪を起こす住職の方が怖かったからです。 今は祈祷寺でもないのにこれ以上、修行をしたくないという思いがあります。 そのことを父に話すと癇癪を起こし泣きはじめます。 もちろん、修行道場は自分自身の信仰あって成立することです。望んでもいけない人が大勢います。 縁あって寺に生まれたからといって私のような中途半端な人間が僧侶を志してはいけないと思っています。 本山から帰ってきてからは上記で書いたことや、父の癇癪や、親の言う通りに生きない罪悪感(荒行に行かない)で押し潰されそうになり鬱病になりました。 今は療養施設に入っています。 最後にですが私は決して僧侶という仕事は嫌ではありません。大切な生き方だと思っています。 ①僧侶の皆様は自分の将来をどのように決めてきたか。 ②本山で修行し、周りや親の期待されているが荒行に入らずに今後もその期待に応えれない罪悪感をどうしたらいいのか。 ③私のような人間が僧侶を続けて良いのか。 応えられる範囲でご教示ください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 31
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ