ご自身の子どものおられる男性のお坊様に質問があります。
以前の投稿では表現が回りくどくてイマイチ聞きたいことが伝わっていない様でしたので簡潔な質問文にして投稿し直しました。
宜しければご回答お願い致します。
私の悩みの元に関してはプロフィールに記載しました。
『なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?』
母は男に強姦されて私を生みました。 中絶は金銭面の問題で出来なかったようです。 母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。 十月十日も生活を制限され、ホルモンバランスは狂い性格も変貌し、キャリアも泣く泣く諦めなくてはならず、激痛の中命がけで分娩、ボロボロの身体で寝る暇すらなく子育て、歪んだ骨盤は元には戻らず、一番綺麗な時期を好きなことも出来ないまま子どもを生む道具にされる。 出産は拷問です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
妻へは感謝しかありません。
あくまで私見となり、望む答えではないのでしょうが、
わたしたち夫婦においては、共に子供を設けたいという思いがあって
子を持ちました。それが出来たことは有難いことだと思っています。
理由は、簡潔にいえば大好きだからです。妻も、子供も、いやもう全部の
いのちが大好きです。これから生まれるであろういのちたちも、
わたしの大好きに含まれます。変な事をと思うでしょうが。。。
あなたのご質問を目にしたとき、ひとりめの出産の時を思い出しました。
大震災のときに三か月目をむかえ、一歩おそかったら妻とお腹の子はタンスの
下敷きになっていました。そんなことも乗り越えて、やっとやっと
こどもが生まれる!うれしい!と思っていた9か月目に病院から
出産に関しての誓約書が渡されます。
出産後、母子ともに死亡する可能性があること。
手術などの必要性、またそれによって母子が死亡することがあること。
etc...
知識として、出産とは危険をともなうことであることは知ってはいても、
こうも明確に「死亡」の二文字をみることとなったときは、愕然としました。
しかし、そんなわたしを後目にして、妻はどんどこ誓約書を読んで
「はい、おとっつぁん、さっさとハンコおしな」とひとこと。
昭和後半の女性とはいえ、なかなかの肝っ玉であります。
震災のときも、ケッコンするときも、か弱いこの女性を護らねば、と
思っていたのですが、妻は「死亡」の二文字にもひるまず、この事実を
受け入れ、出産の準備をすでに済ませていたのだと思いました。
あとで自分のきもちを彼女に伝えました。誓約書が怖いと思ったということ。
でも妻は「そんときはそんとき。じぶんたちだってそうやって親が悩んで
苦しんで生んできたんだとおもうよ。感謝感謝だね」と笑っていました。
わたしはそんな妻を有難く思いますし、そうして生まれた子たちも、
わたしにとって感謝のかたまりのようなものです。
わたしが負うのは、彼女たちのこれからに幸多からん事を願い、そのために
自身を尽くすことと思います。
過去はどうしようもありません。出産の危険を顧み後悔はありましょう。
でもいまはもうそれを踏みしめた道の上で次の歩みを踏むところにいます。
わたしは感謝の道を歩みたいと願い、歩を進めています。
あなたの是からに、さちあれ。さちあれ。合掌。
あなた達の場合と違って、私達の場合は二人で望んだことなのですよ。
それに、正直なところ当時はあまり危険性についての認識もありませんでした。私達の両親も無事に出産していましたし、お医者さんもベテランで信頼出来そうでしたからね。
妻からは、出産の時は確かに痛かったけど、それよりも、隣の部屋でイビキを出してグーグー寝てるあんたに腹が立って腹が立って、痛みを忘れてたわ、なんて今でも時々言われますよ。
まあ、人それぞれなのではないでしょうか。
ハスノハには中絶や流産をして悲しんでおられる女性の投稿もあります。彼女達にとっては自分の命と同じくらい大切だったのだと思います。
また反対に、よくニュースで児童虐待で親が逮捕されるのも見ます。彼らにとっては、子供よりも自分が大切なのでしょうね。
あなたが出産させる男が嫌いなら、そういう人と付き合わなければいいと思いますし、また、この人の子供を産みたいと思えるほどの人と出会えたら挑戦してみてはどうでしょうか。
また、出産に臨む女性達を助ける仕事をして、彼女達の力になってあげてはどうでしょうか。
お母さんはご健在でしょうか?
もしご健在なら、いつかは、産んでくれてありがとう、と言ってあげられるようになれたらいいなと思います。
【精】【血】【自の業識】
あなたのプロフィールを読みました。悲しい出生の秘密ですね。
その点については、悲しすぎて私からは何の言葉もありません。
”なぜ愛する女性の命を出産という危険に晒してまで子どもを望んだのですか?”
少なくとも私の場合、そこまでする価値があったからです。
ウチの場合、それこそ壮絶な出産の直後、笑顔で分娩台の上から「次はいつにする?」と言い放った妻にはさすがに驚きましたが。
出産とは、たしかに男から見ると痛そうで苦しそうで可哀想なくらいの光景ですが、多くの女性にとってそれは喜びであり、女性の特権である事は言うまでもありません。
仏教では、父の【精】と母の【血】と【自の業識】の3つが和合して子どもが生まれてくると教えています。
つまり父の《精子》と母の《卵子》と、
《生まれてきたいという子ども本人の意志》ということです。
精子と卵子が合体し受精卵となり…というところまでは小学校の性教育でも教えています。もっと専門的な医学では、胎児が成長し最後に肺機能が完成すると、サーファクタントというたんぱく質が分泌されます。これが赤ちゃんからの「そろそろ産んでおくれよ」というサインであり、これがきっかけで陣痛を起こし出産に至るということが分かっています。
よく反抗期の子どもが「産んでくれと頼んだ覚えはない」と親を罵りますが、じつは、本人が覚えていないだけで、「親が勝手に本人には無断で産んだ」などということはありえません。
仏教の戒律に照らします。出産は不殺生戒に当たらないと判断します。確かに出産は危険にさらされる事にはなりますが、それが100%死に至らしめる訳ではないです。私に殺意はありませんでした。また不貪淫戒(むさぼらない)がありますが、それに照らしても夫婦間の事でありまたお互い同意があったので破戒にはならないと考えます。あなたの場合はどうでしょう?夫婦間で同意はありましたか?相手の方と婚姻しておらず、あなたが行為に対し「死にたくない」と拒否していたならばお相手の方は正しい行動ではなかったといえると思います。(※その罪過は生まれたお子さまには及ばないです)
また社会において新しい命は必要です。私はいずれ死にます。私は日本という国、また世界を維持存続していって欲しいと思っているので、ある程度のリスクはあっても新しい命を産んでもらい、大切に育てる必要があると考えました。別にそれでパートナーに死んで欲しいと思った事はありません。
男女を見たとき、現代日本において出産という観点だけで見ると、確かに女性だけが危険で不公平に見えますが、昭和10年代後半の日本においていかがでしょう?人口の男女比は明らかに女性の方が多かった。当時は、女性の出産以上に男性の方が戦争により死の危険にさらされていたのです。私たちは性の差別なく命を大切にしなくてはいけません。
この答えはあなたの納得いく回答でないかもしれませんが、自分と異なった考えを否定し反論する事をお釈迦さまは勧めていません。せっかくお坊さんを頼り質問したのですから、反論するのではなく、過去の問答も含め、お坊さんの言葉をよくかみしめ受け入れる事、そして何よりあなたのパートナーさんの気持ちを受け入れる事が、心の安定に近づく事と思います。
夫婦二人とも子供を望んだから
子供が欲しいというのは、妻の方が早くから希望しており、30歳くらいまでには第1子を生みたいという希望から逆算して結婚の時期を決めたようなものです。
結果的に子供に恵まれ、妻も元気です。
妻も、子供を産んだことを後悔していないと思います。
夫婦どちらかが子供を産みたくない、命の危険があるから妊娠はしないようにしよう、というなら、そうすればよいと思います。
うちの夫婦の場合、たまたま、子供を欲しい人同士が結婚したので、すんなり産むことを決めただけです。
質問者からのお礼
たくさんのご回答ありがとうございました。
私がこのような考えに至った発端はプロフィール(全員に公開へ変更しました)にも書かれてある通りですが、今まで色んな男性と話して彼らの言動に疑問を抱いたからでもあります。
皆女が命がけで子どもを生むことを当たり前に思っていること。
「感謝してる」とか「愛してる」という綺麗な言葉で飾ってはいるけれど、結局女が時間と体を犠牲にしていることに対して気にしている男性はいませんでした。
男は長い年月の間、女を虐げて子どもを生ませてきた歴史があります。
そして今も男社会のままで男はそれを当然と思っており、女は男に合わせるのが当たり前の世の中です。
国家も法律も仕事も戦争も全部男の都合で起きたことなのに、だれ一人それを反省する男はいません。
その上出産という拷問を当たり前だと思っているのです。
男の言う生命誕生への賛美はあまりにも薄い。