死が怖いです
いつもありがとうございます。
考えても仕方のない事だとわかりながりも、
動悸や気持ち悪さが収まらないため、失礼します。
私は幼少期から死に対する恐怖がありました。
それはいつの間にか、よそへと追いやられていた恐怖だったのですが、
昨晩突然のように発作のように起こりました。
先日若くして突然死で亡くなられた親戚のことを考えていると、
私自身や、両親の死を考えてしまいます。
(昨晩まではだからこそ、毎日を精一杯過ごそう。
彼女の分もしっかり生きようと思っていた筈なのですが)
更にそこから波紋のように思考が広がって、
天災、事故、戦争。
更には数億年後に地球や太陽がなくなるですとか
宇宙でどうの。といった情報を見ると、
輪廻転生を繰り返し、いつか私の魂はその瞬間に
居合わせねばならないのかと思ってしまい、
このような恐怖は味わいたくない。
と、考えてしまいます。
全ては私の中の想像。
誰にもわからない世界の話だとわかっているのですが、
この思考が突如発作のように起こり
抜け出せず、自分自身の頭で刷り込んでいる
イメージから抜け出せません。
特に最後に書いた終末の恐怖が強く
苦しくて仕方がありません。
頭に心が付いてきてくれません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この世に、永遠のものなんて、ありません。
そうですね。。。私も怖いです。
自分の身も、愛する人を失うことも、別れも。悲しい思いなんてしたくありませんよね。
私たちが生きているこの世に、永遠のものなんて、ありません。常に移り変わっていき、形あるものはいつかは壊れていきます。それは突然に。この世は無常。それを知っているから、人間は恐れることを知る。
では、この先にあるのは、絶望でしょうか。
仏教の教えは、この先に 永遠のいのちとして 生まれていける世界があるよ〜と説いています。その働きは、仏さまの願いだよと。
あなたも、私も、そう感じるから、仏さまは そんな私たちのために、働いてくださっています。私は、そうやって このいのちを支えられています。
あなたも、仏さまを近くに感じてみてください。あなたの中に、安心が広がればいいなぁ。
また、ゆっくり話をしましょうね(*^^*)
もう抜け出しているじゃないですか。
まず問題を二つに分けます。
①その暗い思考それ自体と
②負の思考から抜け出せないこと
「そういう思考から抜け出せないのです」と言いながらも、ちゃんとその思考を抜け出せていた、たった今の実際をみてみましょう。さっきまでは確かに負のループから抜け出せずにいたのでしょう。ですが今は、それを思い返して、今もそれが「あたかも続いているかのように錯覚していただけ」です。これであなたの悩みの一つ②は解決です。
①もう一つは、その悩んでいる時ですが、鳴りやまない鐘はありません。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」という歌がありますが、仏教的にこれを説けば「思いの鐘も鳴らし続ければなり続ける」ということがあるだけです。
鐘も思いの鳴りはじめがあり、鳴り止みがある。
暗いネガティブな思いの鐘がカーンとなる。
鳴ったその後にその思いの悲しい響きを鳴らし続けるのはあなた。
もう、その金はなり病んでいるはずです。鳴りやんで抜け出せているからこそ、ここでこれだけ立派な文章が入力できているのです。
まず、見落としがちなところですが、そこから見つめることです。
私たちは思えたことを本当だと思ったり、いつまでも続いていると思っている。
「私はこう考えた」「私がこう思えた」ということで、自分はずっとこういう人間なのだと固定的に自分を思い込むことが執着、苦しみなのです。
死の恐怖というものの正体は、死が怖いのではない。
人は死んでも文句は言わない。
人は死んでもうんともすんともいわない。どこにもいかない。
人が死を恐れるのは死に対してよくわからないから、死に関してアレコレ自分で思い込むその不安な思いに苦しむということがあるだけではないでしょうか?
もっと、詳しく知りたければいずれ坐禅会にご参加ください。
質問者からのお礼
中田 三恵様
夜分遅くにありがとうございます。
死した後、天上において幸せに暮らせるよう、
先に別れた人達ともそこでまた笑って過ごせるよう、
今生において精一杯生きようと思います。
突然の恐怖にまだ落ち着きが戻りませんが、
少しずつこの恐怖を抜いていければと思います。
本当に、ありがとうございました。
丹下 覚元様
お忙しい中、ありがとうございます。
今まで日常の忙しさの中で、一日を生きることに懸命になっており、それで手放せていた思考なのかもしれません。
それが今、転職に伴い初めて実家を出ることや、親族の死、それらが重なったことで様々を考えてしまっているのだと思います。
今私は、私の想像に私自身が執着して苦しんでいるのだと思います。
様々な教えや考え方から学びつつ、この執着を手放せるよう、心がけたく思います。
まだ、食欲が出て来ませんが、少しずつ平常を目指そうと思います。
この度は本当にありがとうございました。