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戒名について

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

先日母が亡くなり、とても綺麗な戒名を母にいただきました。

私達の魂は何回も生まれ変わり、いくつもこの世に生を受けては去っていっていると理解してます。そこで思ったのですが、生まれそして去るその度に戒名をいただくことになると、一つの魂にいくつもの名前が仏界にある、ということになるのではないでしょうか。

ふと、これが仏界ではどうなるのかと疑問を持ちました。一人にいくつもの名前があると想像すると、沢山の分身が仏界にいることになりますが…。

どんな感じなのでしょう。どうお考えですか。それともこういうものはこうなのだ、という教え(お話)でもあるのでしょうか。

よろしくお願いします。

2017年11月9日 12:51

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「名前」とは

お母様のご命終に謹んで哀悼の意を表します。合掌

さて、「魂」というものが存在するということを前提とした上で、それにいくつも名前があることを仏教ではどう考えるか?と問うのではなく、

仏教では「魂」ってあると考えるの?生まれ変わりってあるの?生まれ変わりがあるとしたら固定実体的に引き継がれるものがあるの?

といった具合に前提ごと問うたほうが賢明かもしれません。
もちろんいろんな「解釈」があるので、どの「解釈」に出会うかで考え方に受ける影響はとても大きいのですが…。

とはいえ、前提の「魂論」抜きにしても今回の問題については考えられる気がしますので、私なりの考えを述べます。

「名前」は「名前」です。名前が複数あることによって「そのもの」が複数になるわけでも、「そのもの」の質が変わるわけでもありません。

ある「犬小屋」を「木製の小屋」と呼ぶか「ポチの家」と呼ぶか「〇〇さんとこの犬のおうち」と呼ぶか…呼ぶ人にとってそれぞれですが、「そのもの」は「そのもの」です。

名前は「共通認識の手段」や「自己表現」の意味も持ちますが、ここでは戒名ということですので「讃嘆」…「どうその方を讃えるか」といったところでしょうか。今・ここにいる方がお母様をどう呼び、どう讃えるかということです。

でもお母様はお母様です。仮に生まれ変わりがあっても、今・ここでお母様を偲ぶみなさまにとってはお母様ですし、そのお母様を通して仏法に出会ったとしてお母様を讃える人にとっては「仏弟子」であり「仏様」でもあります。

でも「そのもの」は「そのもの」です。あとは「誰が」「どこで」「どう」呼ぶかという問題です。

私は浄土真宗ですが「浄土」という場所がどこかにあるのではありません。それは「新宿」という場所がどこかにあるわけではないのと同じです。「新宿」がここを「新宿」とみなで呼ぼうと決めた場所にすぎないように、「浄土」もある「はたらき」を仏典にならってみなで「浄土」と呼んで讃えようということになるのでしょう。
ですから私にとっては「浄土」でも他の人にとっては「ニセモノ」であったり「嘘っぱち」でもあるかもしれません。

「名前」とは呼ばれる方の問題ではなく呼ぶほうの問題かもしれませんね。

2017年11月9日 13:11
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

確かに疑問に思うかもしれませんが、

 確かに疑問に思うかもしれませんが、「その疑問は成立しない」と私は考えています。

 人は死後どこに行くか、じっくり考えてみましょう。

1、「私達の魂は何回も生まれ変わり、いくつもこの世に生を受けては去っていっていると理解してます。」がなおころさんのお考えのようですが、これは仏教の立場から言えば「六道輪廻」ということになると思います。
 この場合、仏教的に考えると、御臨終を迎え息を引き取った後は四十九日間中有(中陰ともいう)になりますが、その後来世に生まれ変わります。
 来世に行って人間界に生まれれば、其の時代其の地域其の家族の中で名前を付けられ人生を生き生きていきます。そして仏教徒なら、戒名をいただくでしょう。そして、亡くなれば次なる来世に旅立ち、次の世界が再び人間界なら新たな人間としての名前を戴いて人生を生きていくでしょう。魂と呼ばれるものが現実に存在するならば、前世現世来世を俯瞰した結果一つの魂が複数の人生を複数の俗名で生きて、其々の人生を終えた時点で戒名を受ければ俯瞰的には複数の戒名が付けられている可能性はあります。しかし、其々の人生において、人間は一つの名前で人生を全うします。仏様でもない限り、前世現世来世を俯瞰するなんてことは出来ません。普通の人間の場合、同時に複数の戒名を有するという事態は生じない、と思います。

 2、死後、輪廻しないで仏界に赴く場合
 仏界に行ったら輪廻しません、生まれ変わり死に変ることは、ありません。一回しか戒名を受けません。複数の戒名を受けることは有り得ません。
 

2017年11月9日 21:42
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有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...

概念分別による一時の措定

なおころ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

非常に鋭い着眼であるかと存じます。

「ただ、そう名付けられただけの存在である」

仏教における中観帰謬論証派においては、「世俗有」(言説有)をそのように措定することになります。

と言っても、今は何のことか分からないかとは存じますが、本来、一切には実体が無い「空」であるため、実体無いものを「名付ける」ことなどできないのであります。

ただ、実体は無くても、確かに存在は存在しています。

本来、名付けられないものではあっても、存在しているならば、一応でも便宜的に分別し、概念的に名付けをしなければ、私たちの社会生活は大混乱になってしまいます。

そこで、まあ、仮に世間一般的に認められる範囲内において、名付けを行うことにより、社会生活を円滑に営めるようにしているのであります。

それも、まあ、一時的、仮的なものとしてなのであります。なぜなら、厳密には、一切には実体は無いのですから、、

と、難しい話は置いておいて、戒名は、一応、正式な仏弟子となった証として与えられた名前となります。僧侶になった名前と言えるでしょうか。

それも、浄土、仏界でも仮的なものとしての扱いとなります。

まあ、仏様が先生ならば、私たち生徒の名前となるでしょうかね。

一応、名前を付けて、生徒も一人一人分けて置かないと、誰に対しての教え、指導、注意であるのか、皆が混乱してしまいかねませんし。

ただ、その者の心相続はそのものだけのものであり、他にありうるものにはなりません。

まあ、輪廻する中で、これまでも幾つか名前は与えられていたでしょうが、それも便宜的、仮的なものということであります。

また、少し補足致しますと、仏様から頂く「授記」による名付けは、やや上述の名付けとは違った性格になりますが、それも実体としてあり得ているものではないと考えます。

いずれにせよ、名前は、それぞれ便宜的、一時的、仮的なものであるとご理解頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

2017年11月9日 22:01
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

僧侶の皆さま、吉武様、川口様、そして吉田様、私の疑問に答えてくださり、どうもありがとうございました。

自分の中で整理がついたと思います。この現世での繋がり上の名前、即ち、私たちにとっての、その魂=母が仏様の弟子入りとして与えられた名前が今回いただいた戒名、と解釈しました。

「空」に関してはわかっているような、わかってないような、私にとって難しいことですが、今回の回答を参考にさせていただき、更に学んでいきたいと思います。

今回はどうもありがとうございました。

「戒名」問答一覧

師匠と、在家の弟子の関係について

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戒名と法名について

父が亡くなり、戒名と法名についてのご相談です。 4年前に兄を亡くし、現在は父の故郷に父が購入した浄土真宗の納骨堂にお骨を納めております。 そして、そちらのお寺さんで法名をいただいております。 つい最近、父が亡くなりました。 父は我が家に近い納骨堂を私が購入し、納骨する予定です。 父が生前、娘の近くが良い…と言っていた為、つい最近、我が家に近い納骨堂を購入したばかりでした。 こちらの納骨堂は宗派問わずですが、管理をされているお寺さんが真言宗です。 葬儀の際は家族葬にした為、葬儀屋さんに手配していただいた真言宗のお坊さまに火葬場でお経を読んでいただき、戒名や法名はいただきませんでした。 やはり戒名や法名は今後、いただいた方がよろしいでしょうか? 四十九日法要の後、納骨する予定です。 その際に、納骨堂を管理しているお寺のお坊さまに四十九日開眼納骨法要をしていただこうと考えております。 そこで戒名をいただくか…。 俗名のままにするか迷っています。 いずれ兄のお骨も分骨して、こちらの納骨堂へも持ってきたいと考えています。 その場合、法名の入った過去帳を入れても良いものでしょうか? 過去帳には私の祖父母の名前も入っています。 それとも、兄も分骨の際に戒名をまたいただいた方がよろしいのでしょうか? 何が良い方法なのかご教示いただけると幸いです。 どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 26
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生前受戒について

生前受戒を考えています。 戒名をもらいさえすれば仏教の学びが深まるというものではなく、またもらっていないからといってきちんと学んでいないとは限らないと思いますが、そういった中でも、受戒するのとしないのとでは、自分にとって何かが変わるのでしょうか。 先日、生前受戒を申し込みました。しかし今になって、あることのため少し迷いが生じ、お坊様方のご意見をお伺いしたく、このような質問をさせていただきました。 すでに同じ宗派で受戒している在家の知り合いから、ある活動(仏教の普及に関わることで、半年間の継続的な学習と集会出席が必要)に誘われ、「仕事が忙しく、今は自分のことに集中したいから」と断ったところ、「熱心さがたりない」「視野が狭い」「忙しいというのは単なる言い訳」といった意味のことを言われました。 その時の状況は詳しく書けませんが、例えば美容院で髪を切ってもらっている最中のような身体を動かせない状況のまま、ずっとそのような言葉を聞かされ続け、少しトラウマになっています。 その方は私が戒名をつけていただこうと思っているご住職とは縁が深く、一番弟子を自認しています。そのお寺に関わる以上、その方とも少しは関わることになります。 その方とは、お店のオーナーと客(私が客)の関係ですが、受戒しようと思っていることをお話してから、その方の私に対する態度が変わり、会うたびに弟子に心得を教えるような長いお話をされます。 その内容はちょっと首をひねってしまうようなものが多いです。私の言葉の意味をわかってもらえず、うわべの表現だけを取って否定されることが多いです。 「これまでもずっと仏教の本を読んで自分なりに学んでいた」と言えば、「仏教というのは学ぶものではなくて実践するものだ」と言われ、「これからは仏教を心のよりどころにしたい」と言えば「仏教というのは自分をよりどころにするものだ」と言われます。それだけを取ってみればその通りだと思いますが… 他に知っているお寺もなく、受戒するならこのご住職に、と思っていました。が、周囲にこのような方がおられることを考えると、深く関わることが正しいことなのかどうか分からなくなり、そもそも受戒までする必要があるのだろうか、と疑問が生じました。 ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

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赤ちゃんの戒名(位牌)について※長文です

初めて質問させていただきます。 3週間前に愛娘が病気で亡くなりました。生後6ヶ月の赤ちゃんです。悲しみに浸るまもなく、あれよあれよと葬儀を終え、来月四十九日の法要をする予定です。 本位牌を手配するため戒名の意味など調べておりました。 義実家の菩提寺は天台宗で、普段よりお付き合いは全くなく、私はこの度初めてそのお寺の存在を知りました。そちらで書いていただいた仮のお位牌 では「満6ヶ月」と「数貮歳」の2つの表記があり、私に数え年の知識が無かったものですから、「なぜ2歳なのか?」ととても気になりました。電話をかけてご住職に伺いましたところ、数え年について説明もいただき、本位牌には両方入れてもどちらかだけでも良いとの回答をいただきました。自分でも数え年についていろいろ調べ、2つ書いていただいた意味も理解できましたが、本位牌には「満6ヶ月」だけにしたいと思いました。なぜなら私の感覚では娘は0歳の赤ちゃんで、病気のため身体も新生児ほどの大きさしかなかったのに、2歳という言葉(年齢)はあまりに違和感があるからです。 さらに戒名自体については、主に1歳くらいまでの赤ちゃんには「嬰女」、2~3歳くらいには「孩女」という位号をつけることが多いと言われているそうですが、うちの子は「孩女」とつけていただいていました。おそらく数え年で2歳だからなのかと思ったのですが、ここでも物凄く違和感を感じてしまい、なんだかモヤモヤしています。一瞬、「嬰女」に変えていただきたいとすら思いましたが、再度お電話差し上げる勇気もないですし、つけていただいた戒名に難癖つけたいわけでもないです。ただ、数え年を使う意味やメリットには、宗教的な考えもあるでしょうが、昔の時代背景による簡便化といったことばかりが出てきて、この戒名にちっとも納得出来ません。私は無宗教ですし。数え年で戒名をつくることに、少しでもプラスに考えられるようなお話があれば是非お聞かせ願いたいです。「昔は面倒臭かったから」なんてことではない理由が知りたくて調べているのに、調べれば調べるほど墓穴を掘ります。2歳の戒名でも良いんだと思えるようなお話をお願いします。可愛い可愛い愛してやまない娘です。モヤモヤしたまま位牌は作れないです。どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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