宗関係者「念仏しない浄土宗以外は悪趣行き」私(は?なんて?)

いつもお世話になっております。
わが宗の法話などで時折お坊さんが
「念仏しない浄土宗以外は地獄行き」など
と発言する事があります。
✳︎
信者さんなんかは、「病気なって薬師如来
真言かなんか唱えたら、今までの念仏功徳
みんなパァだからね(笑)」
とまで言う人もいます。
✳︎
私の祈願寺は真言宗智山派です。 でも、
お坊さんも修験者さんも皆さんいい方なので
地獄になど落ちて欲しくはありません。
万が一の時は、私がソッコーで六神通使っ
て輪宝飛ばして救助に向かいたい程です。
勿論、往生してからになりますが。
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死んだおじちゃんも、真言宗豊山派です。
真言宗さんはこの辺りどうなんでしょうか?
少々心配です。ご教授頂きたく存じます。

仏教
有り難し 43
回答 3
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

そのお坊さんはまだまだ未熟なのです。そもそも法然上人は他の宗派の事をそれぞれ尊い真髄があるのだから、悪く言ってはならない、見下してはならない、と言われていたのです。その法然上人の教えを無明、煩悩、慢心によって忘れているのでしょう。
そのお坊さんには、他の宗派の人達と接する経験を積んで視野を広げ、思慮を深めて欲しいものです。
もっとも、煩悩を捨てられないからこそ阿弥陀仏におすがりするしか無い私達凡夫ではありますが。だからといって、煩悩による誤解を信者に説いてはいけないですね。ごめんなさいね。
また、薬師如来様と阿弥陀仏の功徳は別のものですから、消えることはありませんよ。
薬師如来様には現世の救いを、阿弥陀仏には来世の救いを、それぞれお願いすれば良いのですよ。
それに、極楽浄土を望み念仏を一度でも唱えたことがあるなら、阿弥陀仏は臨終の時に迎えに来てくれるのです。他の神様を同時に信仰しても構わないのです。
また、真言宗では阿弥陀仏は大日如来様の化身であると聞いたことがありますから、大日如来様を信仰している方達のことは心配しなくていいのですよ。
阿弥陀仏とは「ア・ミター・ブッダ」であり、「ア・ミター」とは昔のインドの言葉で量ることができないという意味です。何を量ることができないのか?それは縁起です。私たちが今ここに存在するすべての縁起、これは量ることができないほどたくさんあるのです。何百何千億人というご先祖様、私たちが食べる食事を用意してくれた人、食材を運んだ人、食材を採った人、その人達の何百何千億人というご先祖様、そして、私達の周りの酸素、空気、土、水、お日様の光、などなど。
とても量ることができない、数えることもできない、知ることさえもできない、たくさんの縁起、これが「ア・ミター」であり、それを敬う対象として人のお姿で現れた仏様、それが阿弥陀仏です。
そう考えると、阿弥陀仏と大日如来様って、とても近い存在だと思いませんか?
南無阿弥陀仏

1ヶ月前
回答僧

淨流寺

転落院

諍論はいずれが勝っても

すみません。当方、浄土真宗の僧分です。

あまり気にしないでください。仏教は【対機説法】が基本スタイルです。

”念仏しない浄土宗以外は地獄行き”
”病気なって薬師如来 真言かなんか唱えたら、今までの念仏功徳 みんなパァだからね(笑)”
聴衆が念仏行者の集まりという大前提で、こう言いたくなるくらい念仏はスゴイもんじゃと言いたかったのでしょう。

【八万四千の法門】なんて表現されるくらい、一口に仏教といってもじつに色々な理論と実践があるわけですが、自分の好き嫌いや向き不向きがあっても、その優劣はと問われると結局のところ私にもよくわかりません。ただ、どの教えも迷える衆生を救済したいという釈迦を始め幾多の先人たちの【慈悲】から出発しているという点についてはハッキリと頷いておく必要があると思います。

”お坊さんも修験者さんも皆さんいい方なので 地獄になど落ちて欲しくはありません。”
私としては、一にも二にもあなたにはこのお優しいお気持ちを大切にしていただきたいです。これは仏教の原点であり、宗教の原点であり、もしかするとこれがすべてなのかもしれません。こういう大切な精神を抜きに、小手先の知識やテクニックをひけらかしたり、また他宗教他宗派をいたずらに批判するのはたしかに考えものですね。

『諍論はいずれが勝っても釈迦の恥』

とは、まったくよく言ったものです。

1ヶ月前

地獄に自らおちるのが僧だと心得ます

おじぞうさんという方は、地獄にも浄土にも、自由自在に
立ち寄って、みなの安らげる場所を御作りになられるそうです。
思えばおじぞうさんは、修行僧のようなお姿です。
あれこそが、本当の僧侶の目指すべき姿であると、示されて
いるのではないかと思っています。

さて、わたしは禅宗の僧になると決めた時点で地獄に行こうという
思いで今に到ります。そりゃ、地獄は怖そうなので嫌ですが、
しかし、もし地獄があるとすれば、そこは、地獄に行かねば
ならんひとたちがいるわけです。

そうしたひとたちのそばに寄り添わねば、本当の坊さんには
なれないと思うからです。

わたしは、ハスノハもある意味地獄ではないかと思っています。

だって、こんなに苦しむ声が鳴り止まない場所はありません。

それでもすこしでも誰かに聞いてほしいという思い、すこしでも
楽になれたらという思いで、ここに皆さん寄って行かれます。

わたしは死んだのち、そんな場所になりたいのです。
わたしの尊敬する、禅の布教師、松原泰道師は、亡くなる前に
「わたしが死んだ日は、地獄にて法話説教する第一日目です」
と仰られたと伺っています。

わたしも同じ禅僧として、地獄におちて、そのお手伝いが出来たらと
願っております。

まあ、なによりも、地獄だとか浄土だとか、そんなことに
とらわれるより、どこにあってもしっかりやるべきことを「務める」、
そんな坊さんでありたいものと思っております。

1ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

【転落院 先生】
 ご回答ありがとうございます。私の気持ちは原点ですか…!そして私もりっぱな
念仏「行者」なんですね、なんか照れる(笑)
 わかりました、悪趣に落っこちて欲しくないからこそ、今のお寺と念仏は大事にしていき
たいと思います。いや、私もおかしいと思ってたんですよ。だったらあんなに一生懸命な
坊さんたちの努力は一体なんなんだと。

【三宅 聖章 先生】
 ご回答ありがとうございます。あらま。法然上人涙目ですね…根本から間違ってるし。
念仏行者メインの法会での発言だとしても、あくまでもフルじゃないんだから。
普通に他宗の人もいましたよその席。
 縁起…ご飯食べること1つでも、気が遠くなるような過程ですね!とにかく心配が1つ
解消してよかったです!不浄説法とか本当に勘弁してくれですよねwどこの坊主でも。

【星 大晃 先生】
 ご回答ありがとうございます。焔摩天は地蔵の化身とか、よく言われていますよね!
 それじゃあ私が死んだら先生方を援護しますね。私も怖いけど、六神通がありますから!
先生の援護をしながらも、お導きのお手伝いをさせて頂きたいな、と思いました。

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