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心の病気は甘えなのでしょうか?

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こんにちは

私は社会人として、数年ですが必死に働いてきたつもりです。

しかし、先日心の病気になってしまい、仕事に行けなくなってしまいました。

実家で療養する事になったのですが、病気の影響で日中何かをする気にもなれず、ぼーっと過ごしてしまう事が多いです。

そんな私の姿を見て、父が「早く次の事を決めろ」、「本当はただ楽がしたいだけなんだろう」、「先の事を考えられないなんて、ただ甘えているだけだ」と言われてしまいました。

私自身、少しも働きたくないとか、楽がしたいとか思った事はありませんが、父にはそう見えたのでしょう。

病気が辛い事を理解してもらえていると思っていましたが、そうではなかったと知り、大変ショックでした。

病気の影響とは言え、先の事を考えられないのは甘えているからなのでしょうか?そもそも私がダメな人間だから病気になったのでしょうか?

何より理解してもらえない事が一番苦しいです。

長くなりましたが、ご回答を頂けると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

甘えるべき時は上手に甘えて、やる気チャージ。

まずは、こう伝えることです。
「今から、言うことを否定せずにきちんと受け止めてくれれば仕事には必ず復帰できる。
ボクは家族に今傷ついている自分を受け止めてほしい。理解してほしい。本当に会社で嫌な人たちにひどい目にあって苦しくて悲しくてやめてしまった。それは自分としても本当にショックだった。だけど、家族からも否定されたら本当に逃げ場がないから、一度理解してほしいよ。」ということを伝えましょう。

職場復帰のためにも家族にまず「理解をしてもらう」ことです。
仕事をやめて以来最近ぼーっと過ごしてしまう事が多い。
その理由👉
仕事に行けなくなってしまったのが自分でもショックだ。
父にもう少し理解をして欲しかった。
そう思えてしまうのはわかるけど、こちらの傷ついた気持ちも理解せずにただ頭ごなしに
「早く次の事を決めろ」
「本当はただ楽がしたいだけなんだろう」
「先の事を考えられないなんて、ただ甘えているだけだ」と言われたことは正直悲しかった。
(日本の父親というものは、愛情表現が下手で❝強くあれ❞ということを強いてきます。それが父親的な愛情なので互いに譲歩しあって、ケンカはしないこと。)
期待に応えられないのは息子としても恥ずかしいし、何とかしたかったけど、心が本当に参ってしまっていて、そうしたくてもできないことがあることを知った。そこを理解してほしかった、と。
あなたは逃げ場も行き場も失っているからです。
まずは、家族に居場所をつくってから再始動しましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

病気は病気です

ご家族等にも、病院に同行してもらって、医師に話をしてもらって、心の病気を理解してもらってください。

心の病気は、脳・神経の病気です。
れっきとした肉体的な病気です。
外見的に見えにくいから誤解されやすいですね。

心の病気を、足腰のケガに置き換えて考えたらわかりやすいです。
足を骨折して走れない人に向かって、「怠けたいから走らないんだろう?」とは誰も言いませんよね。
脳・神経の病気の場合も、足のケガと同じ。
健康な場合は走れるが、ケガをしたら走れない。
脳・神経の病気になると、健康なときには普通にできることが、できなくなる。
甘えとか怠けとかいうレベルではないと思います。
医師から説明してもらってください。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

本当にありがとうございました。父とも話し合ってみます。

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