日本のお坊さんの不思議
半僧半俗な生活をしている日本の僧侶。
本山が本社で末寺はフランチャイズ店のような仕組みも
理解できません。
日本の仏教って名ばかりだな。と思うことが多々あります。
お寺の息子や娘に生まれ落ちて各宗派の大学を出て
ちょっと修行して資格を持ち、家を継ぐ。そしてそれだけで人々から拝まれ、敬われるのって・・・
何か違う気がします。
たいして苦労もしていないお坊ちゃま僧侶に偉そうな事を言われても何も説得力もありません。
お坊さん自信はこういった日本の僧侶の状況を
どう思っているのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
実は全く同じこと思ってました
出家してはや10年…(いや、まだ10年か)
最初の5年は似たようなこと思ってました。
本山への上納金て!ヤ●ザと同じ仕組みやん!
とか
昼間から酒を飲むような人が坊主名乗っていいのか!?
とかとか。
実際に欲深い方もたくさん見聞きしてましたしね…
もう、坊さんも言ってしまえば人それぞれ。
これはどこの業界・世界もそうだと思うんです。
でもね、修行仲間や多くの僧侶とお会いして
素晴らしい方もたくさんいるんだなって分かりました。
仏道に入って明らかに10年前より世の中の見え方が変わりました。
仏教って人々を救う力が間違いなくある!って、
そしてそれを、あの手この手で伝えようとしている人もたくさんいます。
私もその1人です。
特に、hasunohaにいる僧侶は皆さん「悩んでいる人のため」にいます。
それは、半僧半俗じゃないとできないことでもあるんじゃないかな~って思うんです。
"俗の中にて僧の目線でいること"も大事かなって(^^;)
偉そうなことを言ってるように聞こえるかもですが
本質はあくまで「仏さまの代弁者」なんです。
偉いのは仏さまであって、坊さんじゃありません(私見ですが(>_<)
「こういった日本の僧侶の状況をどう思っているのでしょうか?」
に答えるなら
「あなたの期待を裏切らないように、僧侶として、世のため人のために一生懸命、恥ずかしくない生き方をしていくように努めていきたいと思ってます」です。
こうして、ちゃんと向き合ってくれる お坊さんがいる。
表面的な部分を見ると、そうとも言えますね。
お坊さんも人間だから、いろんな人、いろんな考え、生き方があります。お坊さんの世界も様々。出会うお坊さん、お寺によって、印象は違ってくるでしょう。
前回の質問も、そうでしたが。
お坊さんと、何かあったの?
お坊っちゃま僧侶に偉そうなこと かぁ〜。
あなたの心に、引っ掛かりがあるのでしょ?
だから尋ねたくて、ここに質問をした。
いろんなお坊さんがいるけれど、こうして、ちゃんと向き合ってくれる お坊さんがいる。
多くの回答僧があなたと一緒に悩んで、考えを応えてくださっています。まだ見ぬ あなたのために。そんな誠実な僧侶もいるということ。
どう感じますか。あなたの想いも聞かせてね。
追伸。ちゃんと、読んでいますよ。
前回の回答への返事も無く、あなたの真意が見えなかった。ただ、一方的な質問だなと思いました。言いたくないといいながらも、返事が聞けてよかった。
全く仰る通りです。
私は在家出身で僧侶になった身ですが、
そのような僧侶は少なくないなぁと感じます。
でも立派な僧侶も決して少なくありません。
若い世代ほど今の状況に危機感を抱いていて、
何とか頑張ろうとしています。
たいして苦労もしていないように見えるお坊ちゃま僧侶も、
世襲制という縛りに悩んで苦しんで、
それでも好きでもない仕事を粛々と勤めているのかも知れません。
でも「奈良大好き」様が憂うような状況は底を打ったように思います。
これからを担う若い僧侶に期待していてください。
これからのお坊さんは20世紀の尻拭い世代です
不思議ですよね。
私も学生の頃はそう思ってみました。でも、実際にお坊さんになってみると全然違っていました。
阪神淡路大震災で駆け付けたボランティアの中で最もたくさん駆け付けたのはお坊さんです。東日本大震災のボランティアを今も継続しているのもお坊さんです。大雨災害や土砂災害などでも必ず駆けつけています。その中で自己犠牲をし過ぎて家庭崩壊したお坊さんも少なからずいます。でも、そんなことは全く知られていません。
平成16年の曹洞宗宗勢調査によるとお坊さんの平均年収は日本国民の平均と2万円弱しか変わりません。しかも大半は300万以下との注釈付きです。ぶっちゃけ専業でお坊さんやってるのは半分くらいで、もう半分は一般職と兼業の人です。代替わりまで一般職だった人や、在家から出家した人も多いです。独身のお坊さんもいますし。むしろ今はどこも後継者問題だらけです。でもみんな順当に世襲してることになっています。
ついでに言うとこの所得額はみんな戒名料で荒稼ぎしてるのは都市伝説ということを示します。全国屈指の際立った例は別として。
別のお檀家さん向け調査では、普通の服を着て一般目線で布教して欲しい人の割合が、お坊さんらしい格好で布教して欲しい人に匹敵するほど多いことが分かっています。
お寺は宗教法人です。小さな会社の業務を全てお坊さんとその家族でやっているようなものです。逆に近年では臨床心理士になったり多角化するのが流行みたいになっている部分もあります。でも法事と葬儀しかしていないことになっています。
昔からずっと坐禅会もお釈迦さまの降誕会も法話会も各種講もテレフォン法話や電話相談窓口も、枚挙にいとまがない事をやっているのに、法事と葬儀しか(略
上座部のお坊さんは肉を食べます。南伝の経典ではお釈迦さまは毒キノコではなく豚肉に当たって亡くなっています。ぶっちゃけ「肉食う奴は破戒僧だ!」と言っていたことの方がよほど黒歴史です。
一人前のお坊さんにも研修会はあります。毎年参加義務のあるものもあります。でも一度資格とったら終わりということになっています。
そもそも論、出家や修行のイメージが丸っきりキリスト教の修道院になっています。
世間の仏教認識って実は正解を探す方が至難です。まぁ、問題はその世俗並みの見識を発信する仏教関係者が山ほどいることなのですが…不思議な世界です。
おはようございます。
なるほどねぇ。その通りだと思います。
私も、お寺に生まれてきたというだけで、人前でエラそうな事を言ったり、拝まれたりする事に違和感を持っていました。(「エラそうな事を言う」については、僧侶は自分の考えではなく、お釈迦さまの考えを伝えているんだ、という事で私の中では解決しています。)
なんでお寺に生まれただけでお坊さんなんだ!小さい頃はずっと反発していました。今でも世界や事情は違いますが、歌舞伎の世界を見ていても、役者さんの小さなお子様が舞台に出ているのを見て、複雑な気持ちになります。
さて、「一休さん」というアニメ番組をご存じでしょうか?とんちで大人をやりこめる小僧さんの話です。
「一休さん」は、「一休宗純」という室町時代の実在の僧侶をモチーフにしています。一休さんは6歳で「安国寺」というお寺に修行に入りました。私たち曹洞宗の開祖道元禅師は14歳で仏門に入りました。
お寺の子供の男子は、だいたい10歳で「得度」という式を受け僧侶となります。その後は親子でも「弟子と師匠」の関係になります。
私にも息子(=弟子)がいますが、日常生活の会話などでも仏教的な話が自然とでてきてしまいますし、困った事が起こったとき、仏教的な考えを基に解決方法を導き出していました。そうすると、本人も困難にぶつかったとき、「前世が」とか「霊が」とか「運が」とか、誤った仏教観に陥らず、正しい仏教的な思考回路で解決するようになります。
つまり、一休さんや道元禅師と並べては畏れ多いですが、小さい頃からお寺に住み、仏教的な思考方法に慣れ親しみ、どっぷりとつかっている様子は、「ただ生まれてきただけじゃん」とは言えないような気がします。お寺の子供ほどお坊さんに向いている人はいないんじゃないか、とも思いました。
ただし、本人には夢があるので、お寺は継がないかもしれませんし、また私も無理にお坊さんになることは望んでいません。お寺はお坊さんにふさわしい人がなるべきと思います。
自分自身の仏教修習
奈良大好き様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
問題は、僧侶であれ、在家であれ、半僧半俗であれども、しっかりと堅固な菩提心を持って、仏教を修習しているかどうか次第であるかと存じます。
もちろん、伝統的には、厳格な戒律を遵守できる僧侶であれば、仏道を前に進めやすいということはあるでしょうが、その他の者は仏道を進められないというわけではありませんし、場合によっては、僧侶よりか、在家、半僧半俗の方がより進められるということだって否定はできません。過去の偉大なる成就者たちの中には、妻帯し子供のいる者だってもちろんおります。
それは、その者における気質、機縁、仏縁、更には、過去世からの因縁によるところでもあると言えるでしょう。
まあ、拙生も、厳格な戒律を遵守できて、確かなる仏道修習過程が可能である僧院への憧れはあります。
例えば、チベット仏教のゲルク派の僧院などであります。特に、チベット密教学院である、ギュメ寺やギュトゥー寺への憧憬はずっと持ってございます。
できれば、来世は、何とかギリギリにでも、どちらかにて学べるような境涯となれますように、今も仏教修習にできる限り頑張ろうと考えています。
とにかく、他は他として、自分自身の仏教修習はどうであるのかとして、自省しつつに少しでも前へと進めて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
これからも精進して参ります
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃる通りです。
僧侶は仏様を信じて身を清めて精進し、仏様の教えのもと人を救い導く為にいます。
あなたのおっしゃることを心にしっかりととどめて、己れの愚かさを認めてあやまりを正し仏様に懺悔していきたいと思います。
そしてこれからも微力ではありますが更に精進し、人を救い導くことができるよう尽力していきたいと思います。
どうぞこれからもご指摘くださいますようにお願い申し上げます。
あなたのこれからのご生活が穏やかにお健やかでありますようにと心より仏様にお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
皆様、
ご多用の中ご回答いただきありがとうございました。
批判的な文章になってしまったことをお詫び申し上げます。
発心してからえらく偉いお坊さんから修行僧まで色々お会いし
お話しをしてきました。
お坊さんの世界を知れば知るほどに疑問が湧きました。
なので僧侶である皆様にお尋ねしてみたかった次第です。
教善寺
中田 三恵さん、
私の批判的な文章でネガティブな印象を与えてしまったようですね。
>>前回の質問も、そうでしたが。
私の前回の質問はまったくこの件と関連のない質問を
2年前にUPさせて頂きました。
他の方と勘違いされていませんか?
>>お坊さんと、何かあったの?
何もないですよ。
それはそれはすごいお坊さんから一般的な僧侶、
修行僧ととお会いしお話して感じた事を書きました。
>>どう感じますか。あなたの想いも聞かせてね。
あなたにはお話しすることはございません。