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結婚とは何でしょうか?

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寺嫁です。結婚2年目、夫46歳、私37歳。夫の両親と同居です。
お見合いで結婚しました。結婚前は両親と別居してもいいと言われていましたが、同居でいいよねと迫られ同居せざるをえない事になりました。
結婚後の生活ですが、夫は元々の生活を崩す事無く、自分の部屋で過ごし、寝起きしています。夫婦の部屋はありますが、そこで新婚生活が何もはじまりませんでした。別々の部屋で過ごし、寝起きし、セックスも一度もありません。
夫婦生活をきちんとしてほしいと訴えましたが、改善されませんでした。
何の為に結婚したのかわかりません。
お坊さんにとって結婚とは何でしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

吉良邸討ち入り

さっそく今晩、討ち入りましょう。
丑三つ時に煮込みを襲撃するのです。
鍋がコトコトと沸いてきたところを箸とオタマでもって…、
間違えました。
それは「煮込み」でした。
「寝込みを襲撃」することです。
吉良邸(旦那の部屋)にあなたの布団セットと陣太鼓をもって押しかけます。
旦那が一人虎視眈々と怪しいことをしていようがお構いなし。
陣太鼓を鳴らし「かかれー!」
ですが陣太鼓を鳴らすとシュートメたちも目を覚ますといけません。ここはぐっとこらえて目指すは吉良(旦那)のしるし上げるあるのみ。「かかれー!」
寝床で寝静まっている旦那を一気に包丁で一息に…、間違えました。それは寝首をかくことでした。
「かかれー!」
「むっ!いない!」
「だが布団が暖かい!遠くに入っていないはずだ。さがせ!-!!」
部屋に旦那がいるかと思えばすでに姿をくらましていた!
「むむむ、きづかれたか!」
屋敷内、境内を逃げ隠れている可能性もあります。(寒いだろ)
台所奥か炭小屋が怪しいのでよく探しましょう。
ひょっとすると女性の着物を被って女中たちに扮して逃げているかもしれません。
日が昇るまでに何としても探し出して「しるしをあげなければ」いけません。
寝室にいない、台所、炭小屋にいないとなると残るは庭の納屋か縁の下か!
「いたぞ!」
見つけたら合図の笛を鳴らしましょう。
ピーーー
ですが、それもシュートメたちに聞かれるとまずいのでエアーで。
「いたぞ!」
そこからは押し問答。
「ゴゴゴ(# ゚Д゚)…よくも2年間もあたしをホットケ様に…!」
「ひー!💀」
あとは相手が何といおうが〇💕✖Д✇Θ💣の♂♀💞🐈🐶Α〇Ζしてくんずほぐれ✇§ΗΘ踏んだり蹴ったりΒ🔣Μ§¶から上になったり下になったりΡ☣Ψ✖Ο👄α(以下略)
「吉良(旦那)の〇〇〇〇討ち取ったり―!」
めでたしめでたし 完

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

浄土宗の宗祖法然上人は言いました。
「もし結婚した方が念仏を唱えやすければ結婚して唱えましょう。
もし一人の方が念仏を唱えやすければ一人で唱えましょう。」
この言葉を少し置き換えると、
「結婚した方が仏道を歩みやすければ結婚して二人で仏道を歩みなさい。
一人の方が仏道を歩みやすければ結婚せずに一人で仏道を歩みなさい。」
となるでしょう。
結婚とは一緒に寝起きしたり性行為をすることではなく、お互いに人間的に成長することが大切なのです。
ところで、仏教とは悩み苦しみを取り除く事が目的ですよね。あなたの悩み苦しみをご主人と一緒に解決して欲しいと思います。それも仏道のひとつではないかと思います。
この質問や回答をご主人にもお見せください。
お見合いですから、信頼関係はまだ築かれていないでしょう。これからちゃんとお互いに愛情を与えて信頼関係を構築し、お互いに人間的にも成長してくれたらと願っています。
南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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