死を考えている友人のためにできること
高校の友人が、死ぬんじゃないかと心配です。
「生きていても無意味。生きがいとか面倒」
「生きる意味を見つけるために生きようとか言うけど別に見つけたくない、どーでもいい」
「どうせ死ぬんだから今死んでもいいじゃん」
「死んだら周りの人が悲しむとか言うけど別に私には関係ないしそんなのどうでもいい」
「自殺したらそのあとが地獄、もっと苦しくなるだけとか言うけど死んだことがないのになんでそんなことがわかるの」
「とにかく今この人生を終わらせたい」
等言ってきます。
全然まともに返答することができず、だんだんどう対処すればいいものか困窮してきました。
今は無職でずっと家にいる状態で、精神疾患や身体の病気ではないらしいです。
すぐに飛んでいける距離でもなく、直接会いに行くのも今難しい状態です。
「お願いだから死なないで」としか言えなくて歯がゆいです。私は友人に何をしてあげられるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
是非、hasunohaへの質問を薦めてみてください。
亀山純史と申します。
あなたが心配している友人が、すぐに飛んでいける距離でもなく、直接会いに行くのも今難しい状態であるならば、是非、その友人にこのhasunohaを紹介してください。そして、自分の考えを質問してみることを薦めてください。そうすれば、その友人はきっと何かを得ることができると思います。
お坊さんに手紙で相談してみたら、と教えてあげてください。
自死(自殺)に関する相談・質問等を手紙で受け付けているお坊さんの会があります。
http://www.bouzsanga.org/letters.html
相談する先が増えるだけでも、そのお友達のためになります。
何か変わるきっかけが必要かもしれません
みさき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
死魔に取りつかれてしまわれているご友人へのご心配、お気遣い、お優しいお気持ち、誠にありがとうございます。
これまでに、生きる意味に関しましては、下記の各問いにお答えさせて頂いております。
「生きる意味について」
http://goo.gl/XGCIqG
また、自殺に関することにつきましては、下記の各問いにお答えさせて頂いております。
「自殺・自死について」
http://goo.gl/3ZbZUr
できれば、各僧侶の皆様のご回答も是非、問答へのリンク先からご覧下さいませ。ご友人へのお答えについて、何か色々と参考になることがあるかもしれません。
みさき様には、既にご負担になってしまっていることもあるかとは存じますが、電話やメールででも聞いてあげられることは是非、少しでも聞いてあげて頂くだけでも、ご本人におけるほんの少しの癒しや救い、気晴らしになるのではないだろうかと存じます。
そして、なかなか遠方にて、すぐには会いに行けないということですが、無理なく、機会ができればにて、直接にお会いしてお話しをお聞き頂くこともご検討下さいませ。そうすると、よりご友人の心境や状態がどのようなものかも知れることで、みさき様にとっての安心や負担の軽減になることに繋がるかもしれません。
あとは、亀山様もおっしゃられていますように、電話相談や僧団サイト(変換ミス、それはhasunohaのことで)、もとい、相談サイトなどを紹介されて、「こんなところがあるけれど、一度相談してみてもどうかな」とご提案して頂くのも良いかと存じます。
何か目標や夢など、具体的に前向きになれることが見つかると本当に良いのですが・・そのためにも、何より行動が大切となります。バイトでもボランティアでも良いでしょう。とにかく家から外に出て、色々な人と触れ合うことで、ご縁が広がり、そこから何かを見つけられることがあるかもしれません。
あるいは、少し長めの旅行、海外旅行などに誘って、一緒に行ってみるというのも良いでしょう。違う文化や価値観に触れたときの新鮮さや感動、感激が、何かを変えるきっかけになるかもしれません。
善処を誠に祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
あなたの気持ちを伝えること。
自殺する人の9割は、自殺するときに「うつ」の精神状態らしいです。
「うつ」だとしたら、論理的な説得は通じません。
あなたが正論で説得したとしたら、相手にとっては、自分の考えが間違いだと突き付けられ、余計に自分を否定したくなる可能性があるからです。
だからこそ、相手は必死で自分の考え(自尊心、自分の価値)を守ろうとして、反論してくるのではないでしょうか。
仏教の教えにも限界というか、説得可能なタイミングとそうでないタイミングがあるのです。
仏教の教えは心の健康法であり、健康な普段から仏教を理解していれば、心が病みそうなときにも「うつ」予防・自殺予防になるかもしれませんが、仏教を知らない人がすでに「うつ」になっている場合には、難しい場合もあります。
足をケガしてる人に「運動不足だとケガしやすいからジョギングしよう」と言っても遅い場合がある。
大事なのは、あなた自身が友人に死んでほしくないと、あなた自身の一人称の感情をぶつけることでしょう。「家族が悲しむ」とか三人称ではもはや響かない可能性があります。
ただ、同じ内容の教訓でも、他人に言われたらむかつくが、自分で本などで発見したら受け入れやすい場合もあります。
知人にガミガミ言われるより、そのご本人が自分で仏教本やサイト等を利用して気付くほうが良い可能性もありますね。
質問者からのお礼
返信が遅れてしまって申し訳ありません。
回答ありがとうございました。実行させていただきます。
本当にありがとうございました。