生老病死の受け入れ方
40代を半ばも過ぎ、あちこちにガタがきはじめたようです。
高血圧の内服治療をはじめました。
定期的な経過観察の必要な、いづれ癌化する可能性のあるものを複数抱えています(おかげで、早期発見の可能性が高いのでありがたし)。
平均寿命還暦前後とあまり長生きではない家系なのもあり、死を意識することも増えました。
こうやってあちこちの不具合を通して、自分の老いや死を受け入れる準備を整えていくのでしょうか。
hasunohaのお坊様方は、ご自分の体の変化やご病気をどのような心持で受けれておられるのでしょうか?
胸がざわつくことが多くなり、辛い心地に陥ることもあります。
お坊様方はどのように心の平安を保っておられるのか、教えていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
道理
老人を見て 老法を知るベし
病人を見て 病法を知るべし
死者を見て 死法を知るべし
そのこころは
己が若さも やがて老いるべき若さなるを知れ
健やかなるも やがて病むべき健やかさなるを知れ
生もまた やがて死すべき生なるを知れ
諸行無常の理は無情にも無常を突きつけてきますね。その道理の前には私もやはり同じく心の平安を保てず、ざわつくこと、不安になること、辛くなることがございます。
しかしその私のざわつき、私の不安、私の辛さとは無関係に道理は道理であることをあきらかに見て、そして知るならば
ざわつく時はざわつくままに
不安な時は不安なままに
辛い時は辛いままに
私が道理を受け入れるまでもなく、道理の中に私がいることを頷きます。
できることをする
あとは
なるようになる
それしかないのだと思うばかりです。実際に避けられない死をより強く感じる時には取り乱すことも、泣き叫ぶこともあるかもしれません。
それでもその私すら道理の中にいる。もはや死後生を期待することもなく、恐れることもなく、道理のままに滅することに身を委ねていくしかないのでしょう。
南無阿弥陀仏
合掌
仏様にお任せなさって
拝読させて頂きました。
そうですね、40を過ぎると身体のあちこちが痛み出してきます。体力も衰えてきて病気にかかりやすくなってきますね。
今老、病を身をもって体験しておりますね。
やはりそのような身の上であることを実感せずにはいられないと思います。
昨日も体調が悪くなりました。
夜も気持ち悪くなりしばらく眠れませんでした。ですから確実に一歩ずつ死に向かっていると実感しますね。
ですから私はひたすらどうぞ仏様よろしくお願いします、とお念仏おとなえさせて頂きました。
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ
仏様は必ず私達を導いて下さいます、そしてこれから老、病、死を迎えても必ず仏様は苦しみから救って下さいます。
ですから全てを仏様にお願いなさり、お任せ致します。
そして今自分ができることをできる範囲にて誠心誠意お勤めしていくことが大切かと思います。
あなたも宜しければ仏様にお願いなさり全てをお任せなさり、そしてご自分の人生を正しく生きてくださいね。
これからも共に精進していきましょうね。
極楽浄土に行けば、この世で別れた家族とも会える。それをただひたすらに信じて念仏を唱えるだけです。
左の掌は私、右の掌は阿弥陀様、それをぴったり合わせて一つにして、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…
質問者からのお礼
お礼がすっかり遅くなり、大変失礼いたしました。
皆、平等に迎えるものですね。じたばたしながらも、受け入れるしかありません。それは明らかな現実ですね。
醜態をさらすかもしれませんが、生への執着は悪いものではないと思えるようになりました。
悪あがきしながら、最後まで生きていこうと思います。
それでいいんだと思えるようになりました。ありがとうございました。