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アドヴァイタと仏教の相違点について

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最近になってアドヴァイタという言葉を知りました。不二一元論とも言われるそうですが、「論」として語られることに違和感を感じました。
何故なら、アドヴァイタで語られることは言葉を超えており、さらには教えでもないし、思想などでもなく、シンプルな事実の描写だと認識しているからです。アドヴァイタとは思想の分野なのですか?
よく知りもしないで言っていますので間違っているところがありましたらご指摘お願い致します。

さて、質問なのですが、そのアドヴァイタと仏教には、根本的に異なるところがあるのでしょうか?
私が思うに、アドヴァイタはどこの宗教にも属さない、スピリチュアルとも違う、全ての存在に共通して開かれた秘密だと思っています。

「秘密」と述べたのは、「自我」には見つけられない性質を持っているからです。
けれども明らかすぎる秘密なので、隠れていません。あまりに近いので見えない、という意味です。
的はずれな質問でしたら申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

公然の秘密 

こんにちは。いつも笑いを交えたイタい助言をするのが特徴のアドヴァイザー、アドヴァ痛タタタター丹下です。
宗教も、スピリチュアルも、自己啓発も、いつの時代も言葉がどんどん新しくなって、無限にあるようにおもわれたとしても、それらの言葉によって取り扱われている「事実」の方は、いつも変わらない❝ひとつ❞なのだと思ってください。
ノンラベルの事実の方に眼が開けば、言葉に用はありません。
そこに山があり川がある。
それをアドヴァイタ的にみても、仏教的に観ても、キリスト教的に観ても、事実の上で別々になる訳ではありません。
そこに缶コーヒーが一本あったとして、それが2本に見えることがある訳ではありません。
私には2本に観える時があります。それは眼鏡をはずした時です。歪んだだけです(笑)
目の前のコップ一杯の水も誰が見ても同じ景色、同じありよう。
本当に通じていれば、それがその通りに、ただ、山であり川です。
色々、言葉に騙されないようになった方が良いと思うのです。
中には、お高い講座受講料をとるものもあったり、献金献金だとかで、《それっぽく》思わせて、最終的に、この身が誰から何を教えてもらわなくても、映し出され、感受される天然無為の景色や事実に対して、色んなおまけをくっつけているだけである場合があったりするものです。
❝特異なこと❞❝特殊なこと❞は余り追いかけない方が良いでしょう。
自分だけ特別な存在になってしまうからです。
そういう組織も、そういう気持ちにさせるのが一種の手口です。
あまり、ホンワカほんわかせず、ハッキリとした事実に地に足つけてお過ごしください。 

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丹下覚元(たんげかくげん)
かくげん和尚の電話おなやみ相談  📞08020659278 そのモ...

仏教は欲・怒りと向き合う。三昧だけでは不充分。

仏教は、悩み苦しみの原因である煩悩を消したり制御したりして、悩み苦しみを消したり制御したりする教えだと思います。
そのために、仏教では戒・禅定(三昧)・智慧(観察)という3種類の修行(戒定慧の三学)を行います。
不二一元論は三昧(禅定)の境地なのかもしれません。
三昧(禅定)はお釈迦様(仏教)が登場する前からもあったのです。
お釈迦様が最初に出家したときは、三昧の達人二人に入門して三昧をマスターされたのです。
が、三昧の不二一元だけでは、欲・怒りなどの煩悩(悩み苦しみの原因)を消すには不充分だったのです。煩悩を消せば悩み苦しみが消えるという発想さえなかったのです。
不二一元の三昧の境地に浸っているときは欲・ 怒り等の煩悩も一時停止するが、三昧から普通の意識に戻ったら、煩悩も再生します。
お釈迦様が発見した智慧は、煩悩をなくして、実際に悩み苦しみをなくしてしまう教えなのです。
三昧だけだと、不二の境地を神様とかに結びつけて様々な執着につながる恐れもあるのでは。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

「空と縁起」について

有未様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「アドヴァイタで語られることは言葉を超えており・・」・・

確かに不二、非二、アドヴァイタというものは、分別(二元)を超えているところのこと(無分別)になるため、分別(当然に分別を伴う言語表現)で語られることは難しいものとなります。

「アドヴァイタと仏教には、根本的に異なるところ・・」・・

上記の続きから、その言語表現を超えたところを志向する言葉・表現が、実は仏典、あるいはその論書などには多くございます。しかし、その志向する先が、ヒンドゥー教ヴェーダーンタ学派のような不二一元論、あるいは、梵我一如思想、真我思想となると、やはり異なるものとなります。

その決定的な違いとしては、仏教では「空と縁起」の考え方があるところになるのではないかと存じます。

「「秘密」と述べたのは、「自我」には見つけられない性質を持っている・・/・・けれども明らかすぎる秘密なので、隠れていません。あまりに近いので見えない・・」・・

このことは、まさに仏教に「空」の理解のことにも通じるところがございます。

「空と縁起」につきましては、これまでにも下記の各問いにて少しく扱わせて頂いておりますが、とにかく、文字や文章だけでの理解ではどうしても及ばないところもございます。真に了解していくためには、できる限り実践となる修行・修養も並行して進めてみることが必要となります。

例えば、富士山に登ったことのない者に、富士(不二)山は、こうだ、ああだと説明しても、イメージで理解するにも限界があり、やはり、本物の富士(不二)山に登ってみて、実地に体感してみないと、本当のその真なる姿形は分かり得ないというところでございます。実際に、有未様の体験なされた不二の境地も、まあそのようなものでありますでしょう。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/空と縁起

とにかく焦らずに共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

願誉浄史さま
ご回答いただきありがとうございました!
そうですね、ますます仏教は個人に向けたもの、セラピーに近い性質があるなという理解に近づいています。
個人である限り、煩悩はどこまでいっても消滅までには至らないのではないかと思ってしまいますが。。

川口さま
いつもありがとうございます。
仏教の「空と縁起」の考え方、まさしく決定的な違いはそこですね。
はい、もっともっと内観を進め、よりダイレクトに経験を見つめてみようと思います。
とても分かりやすいご回答をありがとうございました。

丹下さま
ご回答いつもありがとうございます!
あはは!素晴らしく痛快で清々しい回答にとてもすっきりしてしまいました。
はい、オープンシークレットですね♩
全てが特別であり、全てが特別でない。
平凡な奇跡をこれからも過ごしていきたいと思います。ありがとうございました。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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