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仏教において、仕事とは?

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キリスト教においては、仕事というのは、人間への神の罰と考えられているようなのですが、
仏教において、仕事というのは、人間にとって、どのように考えられているのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お心次第

空です。人が仕事と名付けて認識しているだけです。
仕事そのものが何ものか?というよりは仕事に繋がるベクトル次第で罰とも言えるし生活とも、どうとでも言えるという感じです。
そしてできるだけ誰も得をしない苦の発生源になる仕事から離れ、人々にも自分にも安楽をもたらす仕事を考えていきましょう。と、こういうのが仏教的な発想です。

そこで道元禅師は「治生(ちしょう)産業もとより布施にあらざること無し。」と言いました。政治や仕事は布施の心をもって取り組みましょうと。

布施とは貪らないこと。つまり独り占めしてイジワルしないこと。物やお金だけではありません。技術や知識、座席や飲み物の一杯、優しい眼差しや言葉、ちょっとした仕草まであらゆるものが自分の心次第で布施になり得ます。
また、仕入れや外注等で適正価格を支払うことも布施と言えるでしょう。逆に他人の布施を受けて布施の輪を広げることも大切です。つまり相手の支払いを受け取ることも大切です。「タダで良いよ!」というのはこちら側からの布施にはなり得ます。だからと言って支払いの意欲と能力のある人の布施をさえぎるのは考えものです。

仏教において仕事とは、我々自身が仕事を仕事にするものです。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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本来「しあわせ」とは「仕合わせ」と書きます。

仏教においてかどうかは分かりませんが、日本では江戸時代まで「しあはせ」とは「仕合はせ」と書き「一生仕えることがが出来る人や事に出合う」ことだと説いています。つまり、自分が一生仕える事(仕事)に出合えることだったのです。言い換えれば、他人様の役に立つ(仏教でいえば利他行)ことが「仕合わせ」なのです。
小生が考えますに、お金の為でなく、自分もやりがいのある、そして他人様のためになる事が本当の「仕事」だと思います。今の時代、お金儲けのため、嫌々ながら働いたり、過労死するほど働いたりするのは、「仕事」とは言えません。キリスト教が〈人間への神の罰と考えられているようなのですが〉と言われるのは本当かどうか知りませんが、そんな仕事はまさに「罰」ですね・・・。
あなたも今のお仕事が「やりがいがあり、他人様が喜んでくれている」のなら、まさしく「仕合わせ」な人生を歩んでおられる事になりますね。合掌 南旡阿弥陀仏

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ