死を受け入れられないです
先日、私の大好きな韓国のアイドルグループのメンバーの1人がこの世を去りました。
自殺でした。 まだ彼は27歳でした。
彼の遺した遺書には
「今まで大変だった。お疲れ様と言ってほしい。最後の挨拶だ。」などと書かれていました。
彼が亡くなって既に1週間が経とうとしていますが、私は未だにその死を受け入れられません。
私が見る彼の姿はいつも画面を通しての姿だけでした。いつも笑顔でファンのことをとても大切にしてくれる優しい人でした。
ですがそんな彼にしか分らない葛藤や悩みがあったんだなと思うととても辛く、そしてどうしてその苦しみに気づけなかったのかと後悔してしまいます。私なんて彼からしたらたくさんいるファンの中の1人で… 私1人が何かしたからといって彼の助けになれたのかは分かりませんが、それでも悔しい思いです。
私は今まで「人の死」というものに向き合う機会がありませんでした。
自分の身内にも今までほとんどそういったことがなかったからです。
だから尚更このやり場のない気持ちをどうすればいいか分かりません。
しかも彼は芸能人です。しかも隣の国の。
彼は私の存在を知らないし、私が勝手に応援してただけです。
そんな存在なのに、アイドルなのに、悲しくてしょうがないんです。どう乗り越えていけばいいのか分からないんです。
それなのに日中ではいつも通り仕事をして、人と話をして、笑って…何事もなかったかのように過ごしている自分もいて。
でもふと夜中に1人になると彼を思い出して涙が止まりません。彼を思っては、彼の歌を聴いては泣く、そんな日々です。
彼の遺書にあったように心から胸を張って
「お疲れ様」とか言えないです。
そう言えたらどんなに楽だろうと思います。
私はこれからどう彼の死を乗り越えていけばいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それでも、お疲れ様と言ってあげる
日本の芸能界にもあるのかもしれません。韓国の芸能界にもあるのかもしれません。ブラックな部分人を追い込んでしまう、正義という雰囲気。「ねばならない」、「こうあるべきだ」という傲慢な人間が作り上げた価値観の上でそれを真面目な人は完璧にこなそうとするわけですから、それは無理な話です。
もともと、人間が生まれたのは人間が作り上げたのではないわけです。それ以前の大きな働き、仏法があり、このように今生きているだけです。人間の考えや思い通りにしようとすることに無理がある。
そのなくなったアイドルは24時間365日アイドルであろうとしたのかもしれませんね。アイドル以前にその人として認めてあげる人がいなかった、ゆとりや余白になる部分を作ってもらえない環境にいたのかもしれません。悲しい話です。
あなたは、そうして亡くなってしまった方々へお疲れ様と言ってあげる。あなたの気持ちや期待は置いといて、お疲れ様と手を合わせてあげる。それがそのアイドルの方の供養となるのでしょう。
ファンは完璧を求め過ぎず、失敗も受け入れてあげる優しさを見せることでしょう。
世の中のそうした完璧を求める風潮、正義だと人を苦しめるクレーマー社会、そうしたものが変わってくると良いですね。
死について
御質問を読ませて頂きましたが、今から17年前くらいにX JAPANのHideさんが亡くなられてましたが、その時多くの方々は築地別院にお参りされましたが、その方々は葬儀にお参りされたのではなくhideさんの姿を見たいという事でお越しになられたと思いますが、その当時ファンの一部の方が自殺されましたが、今も築地別院には1冊のノートがありますが、死という事について考えさせられる御縁を頂いたのだと思います。どうか韓国のアイドルグループのメンバーの死を乗り越えて頑張って生きましょう。 合掌
質問者からのお礼
回答全て読ませていただきました。
丁寧にお答え頂いて本当にありがとうございます。
彼の死を受け入れるのはまだまだかかりそうです。ですが回答を読ませて頂き無理に乗り越えようとしなくてもいいんだと思わせていただきました。彼のことは一生忘れません。
今は全力でお疲れ様と言ってあげたいです。