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祖父の病気

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私が生まれてから25年間ずっと祖父と同居していました。健康そのものの祖父でしたが、先日心臓の病気が見つかりました。お見舞いに行っくと、点滴が複数ぶら下がり、尿管が入り、私の事はわかりますが、はっきり話せない、そんな状態でした。
今後は、最悪の場合大出血となり死に至りますが、それがいつになるかは分かりません。医者いわく、その時はかなり痛いですが一瞬であると...。看護師をしておりますが、同居の家族の死は経験がありません。後悔のないようできるだけお見舞いにも行こうと思っています。
ただ、どうしても過去に祖父にもっと優しくしてあげていたら...もっと色々連れていってあげていたら...しっかりしたうちにもっとこうしてあげていたら...ばかり考えてしまいます。
苦しくて寂しくて、明日からの仕事が手につきません。身の置き場がありません。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

育ててくれた御恩と思い出を糧として生きて行く

急に大病となり、様態の悪化を目の当たりにして不安で何も手に着かない状態と拝察いたします。


後悔のないようできるだけお見舞いにも行こうと思っています。

このお気持ちは大事だと思います。可能な限り、お見舞いし、ハナコ様からの今までの感謝の気持ちを伝えてあげてください。それだけでも、お祖父様は「生きてきて良かった。いい孫に育って嬉しい。」という気持ちを抱き、そういう気持ちに包まれて旅立って行かれると思います。

  同時に、もう一つ考えて下さい。これから、あなたがお祖父さまのためにお見舞いに通うことが出来る時間はどれぐらいでしょうか?治療を尽くしても、遠からずお祖父様は天寿を全うされてハナコ様に別れを告げて逝かれるでしょう。これからお別れまでの期間よりも、お祖父様とお別れしてから生きて行く時間の方がずうっと長いと思います。
  これからの人生をどうやって生きれば、お祖父様は喜んでくださるか?そのことを考えて生きて行くことが大事だと思います。御両親が居て、その又御両親であるお祖父様お祖母様が居て、今あなたが居ます。戴いた命を一生懸命燃やし続け、「あなたの人生」という花を立派に咲かせていくことだと思います。

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個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

今できることをやりましょう

後悔しても仕方がありません。こうしている間にも時間は過ぎていきます。
今できることをできる限りしてください。
過去は記憶にしかすぎません。後悔したら苦しむだけです。
おじいちゃんは、過去を生きているのではなく、今を生きています。
仕事も大切ですがお見まいに行けるときは是非行ってあげてください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

人間の真実の授かり

人間の命のさまは私たちに何よりも大きな真実を教えてくれます。
私達もやがてはそのようになっていく、という事なのです。
おじいさんからその真実を授かってください。
いずれわたしたちがそうなっていってしまうことが避けられない。
ならばこそどうすればいいか。
生老病死は他人ごとではなくわがことです。
自分が生老病死苦から解脱するためにもこの思い通りにならないという真実をしかとうけとめて自分自身の思いから自由になる事を望んでください。菩提心と言います。
心のやすらぎ平安、自分が自分思いに乱れない真実の智、悟りを求めることです。
亡くなられたおじいちゃんのために、おそらくお墓や塔婆を立てるでしょう。それとともに自分自身が精神的に向上することを求めますという強い誓願を立てられると良いでしょう。
私も自分が深く落ち込んだ時、菩提心をふるい起こして今日に至っております。
この人生、なんとかし「たい」!という、求め、聖なる欲しがりを持つのです。
おじいさんが安らかであられますよう、たとえそこに返事はなくともお声かけをしてあなたの愛情を伝えてあげてください。愛情というのは一方通行ではないのです。あなたがおじいさんに愛や感謝の言葉をかければそれがあなたの身ににそなわり互いに愛に包まれるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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