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私の過去を話すべきか

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度々お世話になります。
先日、彼の過去を聞いたことについて相談いたしました。

彼が隠し事はしたくないからと話してくれた彼に対して、私も自分の過去を話したい気持ちがあるのですが、勇気がでません。

私にも彼の辛さがわからないのと同じで、彼にも私の辛さをわかってもらおうとは思いません。

ただ、私の過去を受けいれてもらえるのかが不安です。
たとえ受け入れられなくても、それは仕方のない事だとは思うのですが、そうだった時の事が怖いです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心配しなくていい

過去の積み重ねの結果が今の自分です。
過去の経験のすべてが今のあなたの言動に影響を与えているのですから、
今のあなたに接しているだけで既に彼は過去のあなたに触れているのです。
語らずして語っているのです。

彼は今のあなたを受け入れていますか。
だとすれば彼はもう、あなたの過去もすべて受け入れているんです。

なんにも心配しなくていい。
安心なさい。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

不安なまま生きる

しかないのです。しかし、後ろめたさは減らすことができますよ。隠し立てしなければいいのですから。
ということで、「私も話したくなった」のであれば、ゴーです。むしろ、それを受け止めてくれそうな彼だから、今までお付き合いしてきたのでは?違うの?
まあ、その辺りについては、前回の和尚さん方の回答から滲んでいますね。

前回、ついつい「尊敬できる方」と書いちゃいましたが、彼がそうとは限らないですね。一旦感動して、でも、その感動にしがみつかない。そこが肝です。

とにかく、お子さんのことを蔑ろ(ないがしろ)にしないでね。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

何でもかんでも話さなくてヨイ

「大丈夫サ。言わなくても分かってる。キラーン(キメ顔)誰にでも生きてれば、理不尽なこと、いっぱいアルサ。気にすんナヨ?」ナデナデ(´▽`*)
こんにちは。どんなボールも暴投もナイスキャッチャー&ナイススルー丹下と申します。(受け止めんのかい)
あなたがどうしても聞いてもらいたいこと、受け止めてもらいたいことだけ、厳選して話してみたらよいと思います。
世の女子サマがたは、何でも共感を求めてもらいたい傾向にあらせられるようで、男性にも女子同士の共感を求めるように話される方がありますが、男性は解決悩ですので、その問題を解決したいという❝必要性❞が無いのであればなにも話す必要はありません。
あなたの中でそれなりに解決・消化ができていたことは、わざわざ穿り返してまで、話したくないことは、別に話さなくてもいいのです。
「ちょっと、聞いてもらいたいんだけど…」で話して、女子は共感してもらいたいものなのヨ、と女性というものを理解していただくという程度にとどめ、あまり何でもかんでも話せばよいかと言えば、話してしまった事で関係がうまくか無かったりということもあるものです。
(´▽`*)「あなたの事なら何でも知りたいの。何でも話してね♡」
('Д')「…俺、君には正直に言っておきたいと思ってサ♡怒らないかな…?」
(^。^)「怒らないわよ♡なぁに?」
('Д')「実は、今まで5回浮気してて他に14人女いる。」
"(-""-)"「コココココ、殺す!」
男女で共に真実を生きるのであれば、お互いの情報ではなく、今の実質で生きるべきです。
「過去のこと」などは、まさに「今の実質」でないことです。
摩訶氏何があってにせよ、今のお二人の、実質同士で付き合うことこそ真の付き合いです。
だって、あなた達は、今、まさに、付き合っているのですから。
ぶっちゃけ会う前の過去の事で、互いに不幸自慢めいたことを語って、幸せになれるかと言えばそれは別問題というものです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

話さないことは嘘ではないが

話さないことも一つの選択肢ではあると思いますが、嘘をついている気持ちになってしまうなら、話したほうがいいでしょう。
出会う前のことは、聞くと嫉妬したり、その想像に振り回されイライラしたりします。

できた方なら、話してもいいと思いますが、何よりあなたが話したいのでしょう。スッキリしないのでしょう。

答えは出ているのではないですか。結果がどうなるかわかりませんが、過去は過去、その上に今があるだけ。今のあなたが変わるわけではないですからね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ