神様仏様御先祖様なんていません。
1カ月程前、婚約者を亡くしました。
健康状態も悪くなかったし元気だったのに、くも膜下血腫で突然の事でした。
まだ32歳だったんです。
知り合ってから11年、付き合ってから5年、私が41歳と高齢なので先に子作りをし、やっと妊娠出来て安定期に入ったので、新居を決め、今月中に引越と同時に入籍する予定で周りにも報告していました。
何でこんなむごい事が起こるのですか?
彼も私も、こんな大きな罰を受ける事はしていないし、仕事も私生活も真面目に生きて来たつもりです。
同じ会社だったから、職場にも思い出があり過ぎて、辛さに耐えられず会社もずっと休んでいます。
こんな精神状態で赤ちゃんは無事に生まれてくれるのか、育てて行く為、経済的に会社は絶対辞められない、でも今は思い出が沢山ある場所へ行くのが怖い。
心療内科なんて行きたくもないけど、毎日悲しさや辛さや先々の不安で色々考えていると気が狂いそうで、自分の頭がおかしくなって、ウツ病にでもなってしまったのかと心配になり受診しました。
彼は自分より大切な人だった。
もう居ないと分かっているけど、どこかで受け入れられていない。。。
運命、宿命、寿命、そんなの信じられないし、神様、仏様、御先祖様なんて居ないと思いました。
毎月子宝神社へお参りし、自分の大切な人達の健康も祈ってたのに神様は無視したんですか?
頻繁にお墓参りも行き、仏壇へ手を合わせて供養していたのに、御先祖様はなぜ子孫を苦しめるんですか?
子孫を守ってあげなかった、彼の御先祖様に一番怒りを感じてしまう。
罰当たりと思われても、誰のせいでもないから、見えないものに思いをぶつけるしかない。。。
悲しむだけ悲しんで時間が経てば、、、
彼の為にも前を向いて、、、
赤ちゃんが力をくれる、、、
そんな決まり文句を言われても、当事者の私は綺麗事じゃ済まない。
これから親になるのに、こんな弱い自分も情けない。
自分の気持ちに折り合いをつけられるまで、いつまで時間がかかるんですか?
考える事、やらないといけない事があり過ぎて、頭が働きません。
この悲しさ辛さ苦しさに耐えられる気力がありません。
どうすれば良いですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
南無阿弥陀仏
ご相談拝読しました。
突然の婚約者様のご命終に際し心中いかばかりかと察するに余りまります。未熟者ゆえかける言葉も見つかりません。謹んで哀悼の誠を捧げます。
南無阿弥陀仏 合掌
さて…何と申し上げてよいか分かりませんが
>そんな決まり文句を言われても、当事者の私は綺麗事じゃ済まない。
とのこと。正に気休めの言葉など役に立たず間に合わないという状態かと存じます。
あえて淡々と思う所を述べたいと思いますので、読んで合わないと感じましたら以下すぐに読むのをやめてください。
以下回答
>神様仏様御先祖様なんていません。
とのことですが、kazu様の思うような神様仏様ご先祖様はいないのでしょう。本来のそれらはkazuさまの思うものとは違う存在であるようです。
神様はわかりませんが、仏様ご先祖様はお参り・供養していれば、寿命を延ばしてくれる、あるいは健康などのお願いを叶えてくれるという存在ではありません。
むしろ、「どんな人も必ず死ぬ」という事実を教えてくれる存在です。そんなこと分かっているとおっしゃるかもしれませんが、私たち人間はその事実を見失い、いざその事実を突きつけられても事実として受け入れられない弱い存在です。そんな私たちに真実を教えてくださるのが仏様です。
その真実の教えには様々なものがありますが、
一つは「諸行無常」です。
あらゆる存在は移り変わるということ、人の命も同様です。
一つは「縁起」です。
物事は縁によって起こるということ。原因があるから結果があるという事です。くも膜下血腫になる原因があればそうなるということです。いくら先祖を大事にしても原因を無視して超常現象で結果が変わることはないということです。
人はこの事実を特に自分の事となると受け入れられません。
これがドラマやある家族のドキュメントであるならば、kazu様も「悲しいけどそういうこともある」と頷けたのではないでしょうか。
しかしこれが我が身に関係することとなると難しい…。苦しみ・悲しみは合理性だけでは乗り越えられませんね。
もちろん仏教も非合理的な要素を扱います。そこに救いもあります。
それについて字数制限もあり、今は
南無阿弥陀仏
(形を超え「はたらき」となった亡き人のいのちとの出会い直し)
としか申せません。
また気が向きましたら重ねてご質問ください。
どう転んでも大丈夫です。
今は、思い通りにならない、苦しい、つらい、面白くない、悲しいということでいっぱいでしょうから、当然なにも受け入れられない心境であろうと思われます。
人間は自分の中の「こうあるべきだったのに!」というアプリが自己の脳内ディスプレイの最前列に配置されてしまっていると、実際にそうでなかったときにものすごく狂いが生ずるのです。怒りも生じます。苦しみも生じます。悲しみも生まれます。世界なんて終わってしまえとさえ思ってしまうものです。
あなたのものでもない「何でもないもの」を尊重することから始めてみてください。
あなたの条件付けのないものに出会う必要があります。
自分の中の大事にしているもの・ルールがありすぎると、他のものは存在していても色あせた存在となりましょう。
自分が優先してこられた夢や願望はもう昨日の大晦日の除夜の鐘の響きと共に流れて、すでに鳴りやんでいるのです。
すでに鳴りやんだ鐘の音を鳴らそうとし続けるのは、和田アキ子さんでも無理なことです。
あなたは鳴らせなかった鐘の音を鳴らそうとばかりしている。もうならせない鐘なのです。
ですが、仏法や神仏の響きはそこら中に鳴っているのです。
あなたは神も仏もいないと言いたいでしょうが、それはあなたという自分アプリを起動している以上は当然、神も仏もどこにもアラジンです。
あなたが一番強く握りしみているものは何でしょうか。
握り続けていても本当に本当はもう致し方ないものです。
どうすることもできんものなのです。
それを握り続ければ、苦しみは当然続いていくものです。
今日のぼった初日の出は、昨年のものではないはずです。
あなたももうかつてのあなたではないのです。新しい波、新しい流れと共にあります。
あなたが本当に出会うべき神仏はそこではない。あなたが思っているところにはありません。
わたしが、わたしが、わたしにとって、わたしの、わたしの…!
…という、自分の強い気持ちが静まった時に少しずつ気づけるようになるでしょう。
またいつでもお問い合わせください。
愛別離苦・・
kaz様
おつらいご心中の程、誠に御察し申し上げます。
神も仏も無いのか・・と思ってしまわれるのも当然のことでございます。
愛別離苦・・
その苦しみを解決していくための教えが仏教となります。
ご自身と新しい命を大切になされる中で、この苦しみの数々を乗り越えていくために、是非、また少しでも余裕ができましたら、仏教の本を開いて頂いたり、また、僧侶の話を聴きに出かけられたりなさられて頂けましたらと存じます。
どうか善きご仏縁のございますことを。
あまり無理はなさられずに、周りをもっと頼られて、甘えられても下さいね。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
皆さま、回答ありがとうございました。
現実、周りに言えないのもあり感情的に投稿しました。誤解されてると思った部分もありますが、自分も悪いと反省します。
ありがとうございました。