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悟りとは左脳の機能を抑えること?

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https://www.ted.com/talks/jill_bolte_taylor_s_powerful_stroke_of_insight/transcript?language=ja

上の動画で、ジル・ボルト・テイラーという脳科学者の方がある日、左脳の脳卒中により左脳の機能が著しく低下し強制的に右脳での思考をせざるを得なくなった時の体験を話しています。

・外の世界と自分をつなぐ脳のしゃべり声から完全に 切り離され頭の中が静寂に包まれた

・自分と世界の境目が無くなりエネルギーと同化する素晴らしい感覚

・あらゆるストレスから開放され平安で満ち足りた感覚

これらを脳卒中を起こしてまさしく死の瀬戸際であったのにも関わらず感じていたと語っています。

この話を聞いてその右脳のみの体験談が宗教問わず所謂「悟り」の感覚と言われるものと非常に酷似していると思いました。

そこで、これが真実なら悟りとは左脳の機能が抑えられた状態のことで、そうするためのトレーニングが座禅なんじゃないかと思ったのですが、僕は悟っていないのでわかりません。

そこでお聞きしたいですのですが、悟りのプロのお坊様から見てこの考えは全くの的外れでしょうか?

2018年1月18日 21:03

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

右脳も左脳もわかりません

私がいま、文字を打ち込んでいますが、この時に右脳を使っているか左脳を使っているかはわかりまさん。ただスマホの感覚と文字を追って読んでいるだけです。
これが事実であり、それと間髪入れず一体となっている様子なのだと思います。
それが悟りだと思っている人すら存在しない。自分が全く抜け落ちている様子なのでしょう。

悟りに理屈はいらないのでしょう。考え方を全て手放し、事実のまんまにいることです。
坐禅はトレーニングではないですよ。坐禅そのものが悟りと言えます。鍛えて見えて来たり、鍛えて聞こえてくるようなものではないのです。

難しことは考えず、事実に生きる。考えが及ばないほどに、一体となっていること、そちらが大事なのでしょう。人は生まれながらに悟っているのですから。

2018年1月18日 22:07
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有り難し
おきもち

悟りといっても色々な解釈があります。
私の思う悟りとは、分かることだと思います。
何が分かるのかというと、縁起が分かるということです。
縁起とは縁によって起こるということ。
この世のことは全て様々な縁によって起きているということ。
例えばあなたが今そこにいるのは、母と父によって生を受けたこと、母乳やミルクや与えられた食べ物によって育ったこと、今も毎日食事という形で他の生き物の命をもらっていること、空気がありその中に酸素があること、地球に引力があること、もっともっと沢山ありますがこれらの縁によるものなのです。
これも縁起のひとつ。
何をすればどんなことが起こるか?
それが分かるということ。
例えば、あなたが目標とする場所に行くには、どのような道をどのように歩めばよいか、それが分かるということ。
そのような、縁起が分かる、それ故に、目標のためには今何をすべきか分かる、ということです。
決して何も考えないということではないと思います。
考えることを辞めてあらゆるストレスから解放されるのでは無く、考えて分かることであらゆるストレスから解放されるのだと思います。
参考まで。

追記
そうです。
ただし、考える方向を間違えないように。
ストレスの縁、つまりストレスの様々な原因をひとつずつ明らかにするように考えるのです。
次に、その様々の原因をどうしたら無くせるのかを原因ひとつずつについてそれぞれ考えるのです。
次に、それを無くす為にするべき行動を考えるのです。
最後に考えた行動を実践するのです。
これがお釈迦様の言われた考える順番なのです。
当たり前のことと言われたらその通りなのですけど、ストレスの中にいると見失いがちですから気をつけましょうね。

2018年1月18日 22:39
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...

その体験のあとに煩悩がなくなっていれば悟り

私も悟りからはほど遠いですが。

悟ったら、煩悩がなくなる(煩悩の数が減る)そうです。
全ての煩悩がなくなったら、ブッダと同じ完全な悟りです。

つまり、煩悩(悩み苦しみの原因)がなくならなければ悟りではないと思います。

その体験のあとに煩悩が減ったのなら、悟りかもしれませんね。

2018年1月18日 22:32
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

輪廻する原因とは何か

うえすと様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

左脳と右脳の機能的な役割を考えましたら、確かに、左脳は思考・論理を扱うところであり、右脳は、直観・直覚を扱うところであるため、左脳機能が停止したことで、余計な分別、偏見、差別を無くして、モノ・コトを判断するようになることにより、ご質問の中にあるような感覚に陥ることがあり得ると推論することができます。

仏教では、離戯論とか、無分別とかと述べられるような境地、または、瞑想や坐禅における三昧の境地とも確かに近いところにもなります。

しかし、では、右脳のみの働きによるものが、悟りであるのかと申しましたら、それは否定すべきところになります。

私たちにおきましては、脳機能とは関係なくに、存続している意識(心)と業の問題を扱うところがございます。

その心と業をどのように清らかに善く調えていくべきであるのかの教えが、仏教となります。

まあ、もしも、悟りに至るのが脳機能だけの問題で済むのであれば、皆、左脳を取り除いても生存できるような手術をすれば手っ取り早いことになりますが、それでは問題は解決しないというところであります。

あるいは、思考・論理をほとんど持たない動物は、悟っていると言えるのかといえば、それもそうは言えないというものであります。

我々が迷い苦しみに輪廻している原因とは一体何であるのか、是非、これを機縁によりご関心を高く持って頂きまして、仏教を修学していって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

2018年1月21日 11:07
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

願誉浄史様、お返事ありがとうございます。
為になります。一つでもいいので煩悩を減らしたいです。

三宅 聖章様、お返事ありがとうございます。
ストレスについて考えれば考えるほど苦しくなります。それでも考え続けたほうがいいでしょうか?

邦元様、お返事ありがとうございます。
事実に生きる、僕にとってものすごく難しい行為です。
座禅をしてても次から次へと思考が浮かんできてそれを相手にしないようにしてもいつの間にか考えている。座禅難しいです。これを情報の嵐の日常で実践出来ることが想像できないです。

三宅 聖章様、追記のご返事ありがとうございます。
シンプルなことが一番難しいのかもしれません。
なんとかストレスの原因を紐解けるように頑張ってみます。

川口英俊様、お返事ありがとうございます。

僕の仮説を色々な仏教的な単語に当てはめて頂いて感謝いたします!早速自分なりに調べて見ようと思います。

「悟りとは」問答一覧

悟りが得られないです

執着も捨てましたし、友人も恋人も物も殆ど捨てました。 生きていて色んなことを学んでもこちらで質問しても納得する回答は得られず日々悶々としています。 まず命への執着を手放す以外に残るものは今ありません。 しかし苦しみは消えません。 嫌な毎日です、それすら執着を手放しても苦しいままです。 1秒を我慢し続ければ耐えられると此方のサイトで言われましたが耐え続ける人生に何の安寧があるのでしょうか。 嫌な事も受け入れて、執着を捨て、全てを捨てて、あとは自分で死ぬだけです。 その死なない間にも嫌な事が沢山あります。 こんなに受け入れて、何も動じず、ただあるがままの苦しみを受け入れてるのにまだ苦しいです。もはや悟りなんてないのでは??? 例えるなら親を目の前で殺されて、まっいっかというレベルで執着を捨てていても苦しいままです。 誰か助けてほしいです。 悟りなんてないんじゃない? 私は科学ガチ勢だけど、死んだら解脱とかも無理じゃない? ただただ生まれつき運が悪いか、良いかの違いなんじゃない。 知的な障がいが脳にあればそもそも解脱する事は不可能です、それと同じで生まれつきの知能が低ければ高度な思考すらできません。 世の中運が良ければこの世界に満足して死ぬわけです。 つまり解脱も悟りもなくて、この世界で運が悪かった人が負け惜しみでそういう概念を思いついただけじゃね? ああ人生って意味不明すぎる。 このまま色んな人に説教されるか、曖昧な表現で反論されてこのまま人生続いていくんだろうな。。そしてその曖昧な表現の人たちもそのまま何の答えも得られず死んでいくんだろうな。

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この世に悟りなんてないのでは?

執着を捨てる事を前の質問で教わりました。 しかし、おそらくですがどんな人間もDNAレベルで執着を植え付けられていて仮に信じられないレベルのお坊さんが執着を捨てまくって生きてたとしてそれこそもはやお坊さんではなく飯もほとんど食べないホームレスかなんかではないでしょうか。 私は執着を捨てることで悟りを得るというのは懐疑的なのです。 まず考え方や解釈を変えても、火傷した皮膚に塩を塗られたら痛いし、知らない通り魔に家族全員殺されて解釈次第なんて思えないのです。 毎日の日々がここまで現在進行形で苦しくて色んなものを手放してて執着をなくしてるのに毎日皮膚に塩を塗られて幸福になれないし苦痛だ。 しかも、周りの人間は執着しまくって生まれつき色々なものを手に入れる。 ここまで地獄を見せられ全ての欲を減らして、普通に耐えられなくね? 次にこういう事を考えると坊さんに説法を色々教わりますが、それってつまり説法の理解する知性がないと一生悟ることはないのでは? 頭が悪く生まれて→間違いを犯して→説法されます。→また間違いをおかします。 つまり生まれつき(遺伝子的に)賢い人しか悟れない? また説法を知りまくったお坊さんこそが正しい生き方なのでしょうか? 仮に欲まみれのお坊さんがいたらそれが正解なの? やっぱり最近思うのは、この世に悟りなんて無くて苦しみは生まれつき分配される量が違って、執着を捨てる方法がなくただただ苦しみしかない世界ではないのでしょうか? おそらく、まともに悟りを目指して色々仏教勉強したり執着捨てるより、何も考えずに欲に執着して生きる美少女の方が幸福だろうしビルゲイツの息子に生まれるほうが幸福で不幸がないのではないか。 ここでの私の議題は、悟りはなく苦しみの量は生まれつき決まってるのではないか。 解脱こそがゴールならばそれこそこの世界からの抹消であり、抹消したくない者からしたら悟りなんてないのでは。 楽しく生きるならば、虐待されて死んだ子供はどう楽しく生きるのだろうか。 仮に人間界に生まれるのが解脱のチャンスならば、私が死んで輪廻を繰り返してその時に人間が絶滅してたら? 宇宙が生間ガスの関係で崩壊してたら? CERNのミニブラックホールで崩壊してたら? 悟りなんてないんじゃね? あるなら今すぐ誰でも幸福になれるはずだ。

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悟りを開くと、余計苦しみが増しませんか?

こんにちは。 色々と、仏教を学ばさせて頂いています。 ここの所、少し不思議に思うのですが、仏教の目指す境地は自他同一!との事。 自他の区別を無くして、他社の悩み苦しみもわが事のように受け止めるのが仏教者の理想との事。同事、とも言う言葉も知りました。 しかし、他人の苦しみもわが身の事として受け止めてしまうと、苦しみに押しつぶされるのではないでしょうか? テレビやラジオをつければ、やり切れないニュースが流れます。 児童虐待で子を殺した親、親に殺された子。 災害で一夜にして家族全員を失った者。 世界中で終わらない紛争に翻弄される人々。 もっとも、不幸な事だからニュースになるのでしょうが。 Happyな事は、滅多にニュースになりません。 悟りを開いた仏菩薩なら(実際に居るとして)、世界中のニュースを 居ながらにして知れるので、もうそれは大変な苦しみだと思います。 私自身「もうたくさんだ!」と言う思いでテレビやラジオを切ってしまう事もあります。 人の苦しみを受け止めきれずに、目をそむけてしまってます。 仏教者失格だな、と自分で思います。 悟りを開くと、心の安らぎが訪れると言いますが、逆に世界中の苦しみが我が身に降りかかる思いではないでしょうか? 悟った人、あるいはそれに近づいている人は、このような事実から目をそむけず、自分も苦しみに埋もれない為には、どのようにしているのでしょうか? 抽象的な質問ですいません。

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一般人でも悟りを開くことがありますか?

深刻な問題ではなく気になっている程度なのですが、質問をよろしくお願い致します。 仏門に入ったり修行を積んだりしていなくても、悟りを開くことはできるのでしょうか? 私は家庭環境の事情もあり、ほぼ天涯孤独な人生を歩んでいます。 病気・事故などで死にかけたこともありますが、その都度周囲の方々に助けてもらいながら約50年生きてくることができています。 その中で一つ一つの問題を自力で解決する中でたどり着いた結論があります。 簡単に表現すると、自身を取り巻く環境はすべて自分が決定している、というようなものです。 欲求をコントロールすることで環境は変えられ、安心安楽な生活を送れると考えています。 実際に一般的には余裕は全くありませんが、平穏・安楽な毎日を送ることができています。 仏教に関する教えなどを本で読むと、私にとっては当たり前の論理が展開されており、少々物足りない感じを受けます。 もちろん書物は一般向けの表現であり、実際はもっと複雑なものだと思います。 現在の生活環境で特に問題があるわけでもなく、自身の人生を全うすべき邁進する毎日ではありますが、この状態が悟りを開いた状態なのかどうかが最近気になっております。 仮に悟りを開いているとしても、論理的に理解できているだけでまだまだ体調の良くないときは欲が出てきたり、咄嗟に感情が表に出そうになることもあります。 まだまだ私の世界は狭く、もっと広い世界を見れば私の論理が通用しないことも出てくるとは思いますので見聞は広げていきたいと思っています。 悟りを開きたいという願望は特には無いですが、一般個人でも悟りを開くことができるのであれば、自分の意見に自信を持って周囲の人に助言をすることができるのでないかと考えています。(もちろん自分の意見として) これまでは、他者に不用意な発言をするのもある種の自己の欲求であることも判っておりましたし、天涯孤独という特別な環境に生活する個人の特殊な論理として自分の発言を控えていました。 しかしながら当然の帰結(私の理屈では)で悩み、怒り、ストレスを抱えている周囲の人の力になることも自身の存在理由なのかと感じることも増え、この度の問い合わせとなりました。 お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 61
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悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

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