「善果・悪果」と「楽果・苦果」の違い
hasunohaで善因楽果・悪因苦果との説を目にしました。善因善果・悪因悪果ではなく、本来はこちらが正しいとのこと。
善因楽果・悪因苦果とは、善い行いをすれば自身の心が報いを受けて、楽(幸せ)を感じられる。悪い行いをすれば自身の心が報いを受けて、苦悩という形で返ってくる、との内容であったかと。
衝撃でした。まさしくその通り、なるほど納得、目から鱗。今まで善果・悪果説に疑問を感じていた事が全て合点。
しかし、善果・悪果説もこれだけ広く一般に知られているのだから、全くの間違いとも思えず。別の説が形を変えてそのように言われるようになったのでしょうか。
もしかすると、宗派によって言い方が違うだけなのでしょうか。
それとも言い方が違うだけで、どちらも同じと考えてよいのでしょうか。
ご教授下さい。よろしくお願いします。
作為的な流れに逆らいたくなる。流行とか洗脳とか操作とか洗脳とか誘導とか洗脳とか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ん?一緒ですよ。
善悪とは一般的には倫理的な善悪ですが、仏教的には悟りに近付くことが善で、悟りから遠ざかることが悪です。
で、悟りとは安楽です。安楽と言ってもいわゆる幸せな安楽ではなく、涅槃寂静な安楽です。
んで、この安楽を楽と書いているわけですから、仏教語としては善=悟=楽であり、善因善果でも善因楽果でも同じです。
ただ、善も楽も仏教語と世間のそれでニュアンスが違い、ついつい世間一般の方で誤解されてしまいますが注意しましょう…と、こういう話でしょう。こういうのはあるあるネタです。
結局、経典では善因善果と善因楽果のどっちが正しいか?どちらも出てきます。
ただし、実はどちらも非常にマイナーな言葉なんです。お経のオンラインデータベースで検索すると、「戒定慧」は907件ヒットしますが、善因善果は5件、善因楽果は10件だけです。しかもそれらはオリジナルの経典ではなく、お経の注釈書ばかりという次元です。
だからと言って善因善果・楽果に意味が無いというわけではなく、あくまで四字熟語としてはさほど気にすることはないというほどのことです。学校のテストではありませんからケースバイケースで正しく伝わる方を選べばいいんです。
>善果・悪果説もこれだけ広く一般に知られているのだから
これはですね、お釈迦さま以前のインドの国教がコレなんです。長くなってしまいますが、リンクの私の回答をご覧ください。
https://hasunoha.jp/questions/2883
Hasunohaでもスピリチュアルを仏教だと思っていらっしゃる質問者さま方がよく「カルマ」という用語を用いられます。その中身はまず例外なくこのお釈迦さま以前の宗教に近い方向性です。
ただ、これも仏教にも方向性は違えどカルマという用語は有るので難しいんですよね…やはりキチンと説こうと思えば四字熟語で済ますわけにいかず、それなりの文字数が必要になります。
導師という言葉がありますが、目の前の人がどこに導く師なのかよくよく気を付けねばなりません。地下鉄でテロ事件を起こしたあの宗教の教祖さまだって導師だったのですから。
質問者からのお礼
大慈さん、ご回答ありがとうございます。
あ、一緒でしたか。
おっしゃる通り、お坊さんが何年もかけて学ぶ仏教というものを、我々一般人が正しく理解できるはずもなく。であればこそ、言葉そのものにとらわれてしまう誤解あるあるも、仕方ないものと大目に見ていただきたく思います。
少し脱線しますが、今回の質問内容がとっ散らからないよう書かなかった私の疑問を、せっかくなので補足させて下さい。
(※仏教的な涅槃寂静な安楽はとりあえず横に置かせて頂きます。)
一般的には「善い行いをすれば善い結果となる」と解釈されています。“だから善い事が起こるはず”と。このように、結果を期待している人が周囲にたくさんいるんです。
なのに思うような結果にならないことに憤り、「なぜ」と苦悩して悪循環に陥っている。
人間はどうしても見返りを期待してしまうもので、その期待が下心となり、せっかくの善行も異質なものに変化しているように見受けられます。
ましてや、善悪の基準は価値観でも宗教間でも違うものだし、仮に外的な何かが起こったとしても、万事塞翁が馬、何がどう転ぶかも分からないのですから。善果って何だかなーと疑問に思っていたのです。
しかし、楽果の考え方のように、自分の心が報いを受け感じるもの、内的に作用するものとなれば腑に落ちました。
このように、お坊さんにとっては取るに足らないものかもしれませんが、我々には選ぶ(使う)言葉によって、印象は変わり解釈まで違ってくるのではと思う次第です。私だけでしょうか。
話を質問に戻しますと、仏教的な涅槃寂静な安楽で言うと同じということで、今回承知しました。
あと、私個人に関しては導師とは無縁だと思います。根っからの聖職者嫌いでしたから。あ、嫌いなのは過去の話です。縁あってhasunohaを知り、無償で、しかも深夜まで誠心誠意回答されるお坊さんを見ていたら考えが変わりました。(睡眠は大丈夫かしらと心配してしまうほどです)
でも人(導師)を信仰(盲信)して、言われるがままの方向へ行くなんてことは、最も苦手とするところで、まず無いでしょう。
長くなりましたすみません。
大慈さんはhasunohaで尊敬するお坊さんの一人ですから、ついつい過ぎてしまいました。
ありがとうございました。