お坊さんへの相談が殺到しており、質問受付数を制限中です。

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一休さん

一休さんはとんちが得意なのですが、お坊さんはみんなとんちが得意なのですか?
どうやって磨くのですか?とんちが得意になりたいです。

お坊さん
有り難し 47
回答 6

質問投稿日: 2013年10月17日 10:31

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

決まりがないという道理を知れば 頓に智を現ず

①先日ワタクシたんげは、近所の大型スーパーのビン回収ボックスにビンを持って行ったら、うっかり落として割ってしまいましたんげ。
アララ~、みんなが見てルルル~♪ 
即座に私は車の中からティッシュペーパーのボックスを取り出して、中身をガボッと抜いて、その箱を破いてチリトリ状の形に裂いて、落ちた細かなガラスの破片をザザザッと拾い集めました。
その間僅か数十秒。冷静かつ迅速な対応でした。
我ながら機転がきくなぁ、何故サラリとこんなアイデアが出てくるようになったのか不思議&自分にウットリ♡でした。

②今日はある宿泊施設に泊まっているのですが、昨晩室内のランプが倒れて折れてしまいました。
フロントに連絡するとお金が発生するかもしれない|д゚)、と
今朝方、コンビニでアロンアルファを買ってきて、無事接着完了。難を逃れました。(後日請求アリ?)

絶望的状況の中に活路を見出す
危機的状況から脱却するためのチエ
巧みな対処
機転がきく
とても大切なチエだと思います。
「とんち」そのものを養ったことはないのですが、ものに対するイメージ・先入観・固定観念が外れると、誰でも自由な発想が内側からふつふつと湧き出てくるものだと思います。

○ことが足りる 要が足りる しさえすればよい ということがあればあるもので何とかするようになる。
○ユーモラスであることが無限の発想を生む
○救われる状態 好況 を描いていれば自然にアイデアが湧く
○物事にもともと決まりはないということを知っておくことがボーリングの玉を漬物石に変える。
時数上、書ききれませんが、この感覚が頓智、発想力、イノベーションを産み出すのではないかと思います。 うちの講座にお越しあれ。

5年前

日々の生活で磨く

とんちは漢字だと頓智で、瞬間的にさっと出す智慧のことです。考えるという作業は確かにいいことではあるのですが、それを「迷っている」と思えば、考えずにすむにこしたことはありません。お坊さんはみんな得意かというご質問ですが、お坊さんは、頓智が得意になろうと努力をする存在であって、完成された人ではありません。また、そのような努力自体を推奨しない宗派もあるでしょう。

どうやって磨くかは、自身の言動で迷わない練習をするのはいかがでしょう。
レストランでパンかライスか聞かれた時、サラダのドレッシングの種類を答える時、電車で座っている時に、前にお年寄りが立たれたとき、小さな子どもさんが泣いている時、、、、

私も頓智が得意になりたいので、普段そんなことを心がけています。

5年1ヶ月前

一休宗純禅師

ウォーター様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちになじみ深い「一休さん」は、やはり国民的漫画・アニメの世界の「一休さん」でしょう。

実は、そのモデルとなった実在の人物が、一休宗純禅師でございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/一休宗純

禅僧としての優れた資質を発揮された面と自由奔放さによる奇行的な面との二つの評価がありますが、極めて方便に巧みな僧侶であったのはおそらく間違いがないかと存じます。

方便とは、様々に工夫を用いて、相手に対して物事の善し悪し、道理を上手に納得させるための方法・手法のことですが、一休禅師は相当に優れておられたことが様々な逸話から伺い知ることができます。

この方便に優れたところが、悟りの智慧からの機知・機転に優れるという意味である「頓知・頓智」として、漫画・アニメの「一休さん」像における「とんち」咄として後世において色々と創作されていったのではないかとは存じます。

一休禅師の禅風には、「とらわれ」・「執着」を徹底して離すということと併せて、現実実際における物事のありようについての「あるがまま」を真摯に受け入れて、ではいかようにして生きるべきであるのかを指針なされたようなところがあるのではないかと、浅学非才の未熟者の拙生ではございますが僭越ながらにもそのように存じております。

「とらわれ」を離れて、「あるがまま」を受け入れること・・実は非常に難しいことでございます・・

さて、「とんち」を磨かれたい、得意になりたいということですが、とっさの機転・機知というものも、常日頃からのトレーニング、シュミレーション、繰り返しの訓練、意識・潜在意識への植え付けなどの努力は欠かせないものになるのではないかとは存じております。

また、是非、この機会に実在した一休宗純禅師のウィキペディア内における逸話だけでも読んで頂きまして、その意図せんとされているところについても少しお考えを頂けましたら幸いに存じます。

「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」一休宗純禅師

川口英俊合掌

5年前

笑いにある話は聞きやすい

ウォーター様へ

みなさんが得意かはわかりませんが
いろいろな話をする中で
当然笑いがあったほうが人は聞きやすいようです。
私も法話では場合にもよりますが、少し心がけています。

増田様が言うように
日々の生活でいろいろな知識を得て、いろいろと考えたりすることにより
時にはとんちのようなことができるのではないでしょうか。合掌

5年前

うまいこと言いたい

ウォーターさん、こんにちは。

とんち伝説、有名になっていますね。
お坊さんは皆とんちが得意!・・ではありません。残念ながら。

とんちが得意になりたいと仰いますが、きっと「うまいこと言いたい」ということなのかな・・そう思うんですが。どうでしょうか。
practice practice and practice.練習あるのみ・・ということですが、「研究あるのみ」といってもいいかもしれません。

お坊さんは、なんだかんだと仏教にからめて考えたり、仏教の眼鏡をかけて見ることができます。練習や研究あるのみ、だからかもしれません。
ウォーターさんもテレビやインターネットで情報収集するなり、練習してみてください。

5年前
回答僧

観音寺

大鐵

すべての縁を大切にしなさい

 私の尊敬する僧侶の一人、一休さん。頓智で何事も解決した。皆さんは頓智はクイズやなぞなぞと同じではありません。
 誰でも経験したことあるでしょう。道に過った友人(大げさかな)をどう説得したらよいか。自分の意志を分かってもらうとき親に何と言ったら理解してもらえるか。そのときに頓智が活用されます。綺麗ごとや思いを直接伝えるだけが解決方法ではない。相手の立場や性格を判断し相手に合う話し方、表現方法を模索するのが頓智の行きつく先である。これはアニメの一休さんを見ると度々見かけるシーンである。
 お釈迦様がなぜ、仏教を創造されたか、それはカースト制度からの解放である。当時、インドはバラモン教の下、カースト制度で人間が分けられておりました。お釈迦様はそのカースト制度で苦しんでいる人々を救いたいがために仏教を興した。六道輪廻はもともとはカースト制度であり、そこから解脱(解放)するにはどうしても新興宗教を創り、人々を自由にするしか無かった。
 一休さんは頓智を通じて人々を苦しみから救った僧侶である。人々を苦しみから救うのがお釈迦様以来の仏教徒(僧侶)の布教である。他の方法を使い人々を苦しみから救っている僧侶もいる。
  私も模索している最中である。その際にどうしても必要となるのが、幅広い知識、様々な角度の視点、寛容な心、それはあたかも六波羅密の実践のようだ。(六波羅密は検索して調べてください。)取り敢えず今は人との出会い、読書、テレビ、DVD、映画、恋愛、結婚、仕事、家事、旅行・・・すべて縁と思い吸収している。私は最後は経験がものをいうと思うので。
 ある不良息子が親の勧めで僧侶になりました。息子は条件として「酒を飲む、肉を食う、女性とも付き合う」ことを言いました。親は仕方ないので承諾しました。息子はお経も読みましたが条件通りの生活をしてましたら、天から阿弥陀様がやってきて「おい!何をやっている。そんなもの捨ててしまえ。」
そこには①酒②肉③愛人④経典がありました。その息子は言われた通りその中の要らないものを捨てました。そしたら阿弥陀様は「うん!それで善い。」と言って、天に帰っていきました。果たしてこの息子何を捨てて何を残したでしょうか。

答えはすべて捨てた。(こだわりを捨てた) これは修行時代に講師からお聞きした話です。出典は忘れました。 すいません。  

5年前

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