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一休さん

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一休さんはとんちが得意なのですが、お坊さんはみんなとんちが得意なのですか?
どうやって磨くのですか?とんちが得意になりたいです。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

決まりがないという道理を知れば 頓に智を現ず

①先日ワタクシたんげは、近所の大型スーパーのビン回収ボックスにビンを持って行ったら、うっかり落として割ってしまいましたんげ。
アララ~、みんなが見てルルル~♪ 
即座に私は車の中からティッシュペーパーのボックスを取り出して、中身をガボッと抜いて、その箱を破いてチリトリ状の形に裂いて、落ちた細かなガラスの破片をザザザッと拾い集めました。
その間僅か数十秒。冷静かつ迅速な対応でした。
我ながら機転がきくなぁ、何故サラリとこんなアイデアが出てくるようになったのか不思議&自分にウットリ♡でした。

②今日はある宿泊施設に泊まっているのですが、昨晩室内のランプが倒れて折れてしまいました。
フロントに連絡するとお金が発生するかもしれない|д゚)、と
今朝方、コンビニでアロンアルファを買ってきて、無事接着完了。難を逃れました。(後日請求アリ?)

絶望的状況の中に活路を見出す
危機的状況から脱却するためのチエ
巧みな対処
機転がきく
とても大切なチエだと思います。
「とんち」そのものを養ったことはないのですが、ものに対するイメージ・先入観・固定観念が外れると、誰でも自由な発想が内側からふつふつと湧き出てくるものだと思います。

○ことが足りる 要が足りる しさえすればよい ということがあればあるもので何とかするようになる。
○ユーモラスであることが無限の発想を生む
○救われる状態 好況 を描いていれば自然にアイデアが湧く
○物事にもともと決まりはないということを知っておくことがボーリングの玉を漬物石に変える。
時数上、書ききれませんが、この感覚が頓智、発想力、イノベーションを産み出すのではないかと思います。 うちの講座にお越しあれ。

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一休宗純禅師

ウォーター様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちになじみ深い「一休さん」は、やはり国民的漫画・アニメの世界の「一休さん」でしょう。

実は、そのモデルとなった実在の人物が、一休宗純禅師でございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/一休宗純

禅僧としての優れた資質を発揮された面と自由奔放さによる奇行的な面との二つの評価がありますが、極めて方便に巧みな僧侶であったのはおそらく間違いがないかと存じます。

方便とは、様々に工夫を用いて、相手に対して物事の善し悪し、道理を上手に納得させるための方法・手法のことですが、一休禅師は相当に優れておられたことが様々な逸話から伺い知ることができます。

この方便に優れたところが、悟りの智慧からの機知・機転に優れるという意味である「頓知・頓智」として、漫画・アニメの「一休さん」像における「とんち」咄として後世において色々と創作されていったのではないかとは存じます。

一休禅師の禅風には、「とらわれ」・「執着」を徹底して離すということと併せて、現実実際における物事のありようについての「あるがまま」を真摯に受け入れて、ではいかようにして生きるべきであるのかを指針なされたようなところがあるのではないかと、浅学非才の未熟者の拙生ではございますが僭越ながらにもそのように存じております。

「とらわれ」を離れて、「あるがまま」を受け入れること・・実は非常に難しいことでございます・・

さて、「とんち」を磨かれたい、得意になりたいということですが、とっさの機転・機知というものも、常日頃からのトレーニング、シュミレーション、繰り返しの訓練、意識・潜在意識への植え付けなどの努力は欠かせないものになるのではないかとは存じております。

また、是非、この機会に実在した一休宗純禅師のウィキペディア内における逸話だけでも読んで頂きまして、その意図せんとされているところについても少しお考えを頂けましたら幸いに存じます。

「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」一休宗純禅師

川口英俊合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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すべての縁を大切にしなさい

 私の尊敬する僧侶の一人、一休さん。頓智で何事も解決した。皆さんは頓智はクイズやなぞなぞと同じではありません。
 誰でも経験したことあるでしょう。道に過った友人(大げさかな)をどう説得したらよいか。自分の意志を分かってもらうとき親に何と言ったら理解してもらえるか。そのときに頓智が活用されます。綺麗ごとや思いを直接伝えるだけが解決方法ではない。相手の立場や性格を判断し相手に合う話し方、表現方法を模索するのが頓智の行きつく先である。これはアニメの一休さんを見ると度々見かけるシーンである。
 お釈迦様がなぜ、仏教を創造されたか、それはカースト制度からの解放である。当時、インドはバラモン教の下、カースト制度で人間が分けられておりました。お釈迦様はそのカースト制度で苦しんでいる人々を救いたいがために仏教を興した。六道輪廻はもともとはカースト制度であり、そこから解脱(解放)するにはどうしても新興宗教を創り、人々を自由にするしか無かった。
 一休さんは頓智を通じて人々を苦しみから救った僧侶である。人々を苦しみから救うのがお釈迦様以来の仏教徒(僧侶)の布教である。他の方法を使い人々を苦しみから救っている僧侶もいる。
  私も模索している最中である。その際にどうしても必要となるのが、幅広い知識、様々な角度の視点、寛容な心、それはあたかも六波羅密の実践のようだ。(六波羅密は検索して調べてください。)取り敢えず今は人との出会い、読書、テレビ、DVD、映画、恋愛、結婚、仕事、家事、旅行・・・すべて縁と思い吸収している。私は最後は経験がものをいうと思うので。
 ある不良息子が親の勧めで僧侶になりました。息子は条件として「酒を飲む、肉を食う、女性とも付き合う」ことを言いました。親は仕方ないので承諾しました。息子はお経も読みましたが条件通りの生活をしてましたら、天から阿弥陀様がやってきて「おい!何をやっている。そんなもの捨ててしまえ。」
そこには①酒②肉③愛人④経典がありました。その息子は言われた通りその中の要らないものを捨てました。そしたら阿弥陀様は「うん!それで善い。」と言って、天に帰っていきました。果たしてこの息子何を捨てて何を残したでしょうか。

答えはすべて捨てた。(こだわりを捨てた) これは修行時代に講師からお聞きした話です。出典は忘れました。 すいません。  

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
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日々の生活で磨く

とんちは漢字だと頓智で、瞬間的にさっと出す智慧のことです。考えるという作業は確かにいいことではあるのですが、それを「迷っている」と思えば、考えずにすむにこしたことはありません。お坊さんはみんな得意かというご質問ですが、お坊さんは、頓智が得意になろうと努力をする存在であって、完成された人ではありません。また、そのような努力自体を推奨しない宗派もあるでしょう。

どうやって磨くかは、自身の言動で迷わない練習をするのはいかがでしょう。
レストランでパンかライスか聞かれた時、サラダのドレッシングの種類を答える時、電車で座っている時に、前にお年寄りが立たれたとき、小さな子どもさんが泣いている時、、、、

私も頓智が得意になりたいので、普段そんなことを心がけています。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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笑いにある話は聞きやすい

ウォーター様へ

みなさんが得意かはわかりませんが
いろいろな話をする中で
当然笑いがあったほうが人は聞きやすいようです。
私も法話では場合にもよりますが、少し心がけています。

増田様が言うように
日々の生活でいろいろな知識を得て、いろいろと考えたりすることにより
時にはとんちのようなことができるのではないでしょうか。合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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うまいこと言いたい

ウォーターさん、こんにちは。

とんち伝説、有名になっていますね。
お坊さんは皆とんちが得意!・・ではありません。残念ながら。

とんちが得意になりたいと仰いますが、きっと「うまいこと言いたい」ということなのかな・・そう思うんですが。どうでしょうか。
practice practice and practice.練習あるのみ・・ということですが、「研究あるのみ」といってもいいかもしれません。

お坊さんは、なんだかんだと仏教にからめて考えたり、仏教の眼鏡をかけて見ることができます。練習や研究あるのみ、だからかもしれません。
ウォーターさんもテレビやインターネットで情報収集するなり、練習してみてください。

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臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

他人がやってる寺を兼務で引き受けたくない

40代独身で、500件ほどの檀家がいる田舎の寺の住職をしております。 近所の住職死亡後、やり手のない寺を数件、兼務しており、合わせると500件ほどになります。 もともと別の自宅住まいでサラリーマンをしてましたが、途中親が病気にかかり、長男で跡取りだった私に、やってくれと親から頼まれて継いだのがきっかけで、仕事を辞めて継いだのですが、もともと私は他人とコミュニケーションを取るのが苦手なので、現在寺の檀家との関りが大変で、葬式が入る都度、寺の仕事が嫌でたまりません。 そのような状態で、精神科に通院しながら、精神安定薬と睡眠薬を処方してもらいながらなんとか寺の仕事をしてます。独身の姉にも協力してもらい、私が檀家の対応全般、姉は裏で火事全般しながらどうしてもの時だけ檀家の対応・・・みたいな感じでやってます。 近所に檀家100件にも満たない兼業住職がおり、結婚してますが子供に恵まれなかったようで、私はその寺のほうるいという立場になってます。 その寺の行事を手伝っているのは私だけで、ほかにもほうるい住職が数名いますが、書類の名前だけで、何かあっても一切かかわりたくないような状態になってます。 その住職が近々危なく、後もいない状態で、その住職の兄弟などの身内はいても、皆仕事をしており、寺なんかやりたくないと皆いっております。 今後その住職はなくなった際は、ほうるいの私がその寺を兼務として引き受けないといけないのでしょうか? 今現在500件ほどの檀家の対応を私と姉で行っており、相当きつく、これ以上ほかの住職がやってる寺の檀家のめんどうまで見れません。 正直な話、もう今なんとかやってる自分の寺の檀家の対応だけでも相当大変なので、これ以上ほかの寺の檀家まで兼務で押し付けられたくなく、関わり合いになりたくありません。 こういった場合、今後その住職がなくなった際、その寺の兼務を断ることは可能でしょうか? 本山に事情を説明し、頼めばだれか代わりの住職を派遣してもらい、後を継いでやってもらうことはできるのでしょうか?

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お坊さんの勤務形態について教えて下さい

離婚問題で悩んでいる時、バツイチのお坊さんと知り合いました。最初彼から遊びの誘いがあり。失礼な人と断りました。今は友人として付き合っています。 友人関係が続いたのは、後日先日の行動が人として大変失礼な対応だった。反省していると、彼から謝罪があったからです。その際にも、ちゃんとしたお付き合いの話はありませんでした。 私は元夫から多種のDVをうけ男性不信になりました。いつか恋愛出来たらいいなと夢見ながら、男性が怖いです。結婚は絶対に無いです。 加えて彼は寺の跡取りで一緒に家庭を築き、寺に入り子供を産める人を探しています。私は子供を産むこともできません。だからあえてハッキリさせないようにしてました。 その後仲良くなるにつれ、プライベートを明かさなかった彼が以前より私にプライベートを見せるようになりました。気付けば毎日メールで連絡をし、月2~3回程度、昼夜時間を割いては健全に遊んでいます。トキメキはないけど気持ちは【凪】です。友達以上恋人未満の1番いい感じの時 自然と今以上仲良くなる予感があり、仲良くなりたそうな行動が見えたり、泊りがけで旅行に行くような話もチラホラ、ただ、お坊さんの勤務形態ってどうなんでしょう? 私は会社員で有給もあります。毎月月末に翌月の予定が未定。次のデートの約束は大抵決まりません。休みがまだ決まらない。分からないって、そんな事ありますか?もうずっとそんな状態で、深く付き合いたくないから、遠回しにそう言ってるのだと思うようになりました。 嫌なら嫌と言って欲しいのに旅行は行きたい、遊ぶのも仕事終わりなら全然大丈夫、凄いケチなのに自分から遊びにも誘って車も出してくれます。 どうゆうこと?と、モヤモヤしてますが、でも誰にも聞けず、彼もはっきり言わないので、やっぱり遊ばれているのでは?と思う反面、彼は嘘をつくのがべらぼうに下手で、私には嘘をついた事がない為、もしかして本当なのかも?と思いたい気持ちからこちらにお聞きしました。 休みが分かりにくいって業界的に本当ですか?何でですか?ちなみに彼は実家の住職をしながら、別のお寺に本業で務めています。本業の休みの日に実家で法事をしたりしています。 この関係がハッピーエンドにはならないと分かっていますが、一緒にいるだけで気持ちが穏やかになれる相手です。嘘ばかりの元夫の毒が抜けていく気がして魂が救われています。

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尊重とはどこまでですか?

ハスノハのお坊さまのおかげで「他者を尊重することが大事」なのはよくわかったのですが、尊重とはどこまでするものでしょうか? モラルに欠けた発言なども尊重するべきなのかと考えたりします。そもそもモラルというのも曖昧だと思うのです。人によって違うと思うので。 「平和だからこそ戦争が必要だ」なんて言う人もいると思うのです。これは一般的には理解されないし尊重されないことだと思いますが、「他者を尊重することが大事」ならそれすらも認めることになるのかなと思います。 これが"尊重"なら、もし私が仮にいじめを受けたとしても「これ(いじめ)すらもその人の一部なのだな...」と思うのではないかと思います。 いじめや犯罪や浮気や不倫など、世界の"事"全てです。 社会のルールを基準にするのかな?とも思いましたが、それは"社会の思い込み"の可能性もあると思いますし、何よりそれは「他者を尊重できている」のでしょうか? 社会のルールという名の"正義"で個人個人を存外に扱っているのでは?と思います。 倫理も一緒です。全て人によって違うと思うのです。 例. Aさん「別に人をいじめてもいいでしょ?」← これも"Aさんの考え"で「Aさんの一部」なのかなと捉えてしまいます。この場合、Aさんは他者を尊重できていないと思います。ですが、それを注意すればAさんの価値観や考えを否定している(尊重できていない)ことになるのかなと思います。 そうなると無関心に見えると思いますし、この文章の通り「〜と思います」や「〜なのかな」などボヤっとしてハッキリしなくなると思います。 その結果、他人が「〜でしょ」や「〜です」と言うことに神経質になると思います。なぜなら、それがその人の思い込みの可能性があるからです。 でも、その人の思い込み = その人の意見なのでモヤモヤしても無理して尊重する。 尊重とはどこまでですか? 行き過ぎれば無関心に見えてきます。"相手とは違う自分の意見"を言えば否定されていると思われ、注意すれば「他者の意見を尊重できていない」ことになり、じゃあ何も言わないとなれば、無関心と見える。 お坊さまは尊重する際、何を"基準"に持ってらっしゃいますか? 乱文で申し訳ございません。

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