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喧嘩するにはどうすればいいですか

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有り難し有り難し 31

父と喧嘩がしたいです。
自分の意見を言ったら絶対に喧嘩することになります。それが嫌で、ただただ肯定したり怒られても反論することもできませんでした。

ですが、ここ最近それが辛くなってしまって、意見を言ってしまいたくなります。
耐えるのが辛いです。

家を出てけと言われて、靴もはかせてもらえず出されることが過去あったり、1週間家に帰ることができなかった事もあります。
(その時は頼る親族がいた為かもしれませんが)

就職しており、自分で稼いでいて自立できる目処があれば特に気をつかうこともなかったのですが、就職してるわけでもないので家を出されてしまうと私はまだ何もできませんし、どうしようもありません。

「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ。」
「庇護してもらってる身では口ごたえするな。」
と言われたこともあり、確かにそうだとは思ったりもするのですが、そんな事言うならもっと出来のいい子を産めれば良かったのにねと心の中でしか言えません…。

父に意見し家を出されれば身の振り方はわかりません。
やはり今、庇護してもらってる身では耐えた方がいいのでしょうか。
耐える方が良いのなら、何か良い耐え方がありますでしょうか……。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これだから昭和の親はq(´-ω-`)p…と怒らず冷静に。

親との年齢は2,30年離れているものですから、価値観が相容れ合えないのは当然のことです。
親は子供をわがままに育てないように骨を折ります。それはわがままこそ生きていくうえで沢山のトラブルを生じますし、人にも迷惑を掛けますし、何より自分が一番苦労するからです。
この故に、親は子供の
「生意気さ、反発心、態度の悪さ、非・素直さ」をサイテーな方法で治そうとします。
それが解消されると人類はもう少し進化すると当山の仏典には記されているのですが、いかんせん昭和なパパやママはそれができまへん。
子どもが嫌がるようなことをして、かえって反発を招くという最悪のシナリオが進行します。
これを「にっかつの影響」「にっかつの乱」と言います。
もっと賢くなりましょう。
親は従順さを求めるものです。
スンゲー賢い親であれば、その子どもは子供の人生であるのであまり、ああしろこうしろ言いませんし、言うにしても子供がへそを曲げないように、不機嫌にならないように伝えるものです。そんな理想的なパパママがこの世にいたならば私もここでこんなことしてません。世界はとっくに平和で、悩みのある人すらいないでしょう。ああ、昭和の父母といふものは彼ら自身が愛をふんだんに頂けなかったがために、その負の連鎖で親にされたようなことをそのまま子供にしてしまうのです。呪うべきは祖父母か先祖かそれとも時代の流れか。♫~
大切なのはあなたが何を言われてもカチンと来ないようになること。
感情的に🐓コケ―!(# ゚Д゚)怒ってトサカに来たらその時点であなたの負けです。
親を乗り越える姿勢を保つにはあなたはケンカしちゃいけないのです。
調冷静に親を論破する、納得させることの方がより建設的なのです。
心を乱したくなければ坐禅して「わたくしする心」をグッバイすることです。
自分が思ったことに振り回されんようになる。
自分が思えたことでもそれは自然に思えてしまっただけのコト。
自分が自分の心の中で沸いてきた思いを放っておけるようになってください。
家が近けりゃお寺に来て坐禅会にご参加ください。
お悩み相談は電話でもOKです。
親というものは今は鬱陶しいようでもあなたの一番の味方です。
言われ方はムカつくでしょうが、言ってる内容だけはキャッチできるよう大人になりましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まずは自分を変える

お父さんの言動には問題があるかもしれません。
家族が虐待やパワハラを受けているなら、警察や児童相談所に通告してはどうでしょうか。
そこまで深刻な状況でないなら、あなたは、まずは自立できるように自分を高めましょう。
精神的にも、肉体的にも、経済的にも。
例えば、筋トレやジョギングやダイエットは無料でできます。
見た目が変われば気持ちも変わる可能性があります。
今年は「自分を変える」年にしてみて、お父さんと対決は来年のお楽しみにとっておいては?

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

願誉浄史様

ご回答ありがとうございます。
深刻な状況ではないと思ってます。
やはり庇護してもらってる身としては、自立してから喧嘩すべきということですね。
今年は自分を高めて少しでも家を出て行く礎を築こうと思います。

丹下覚元様

確かに父は親から愛情をあまり受けていなかったのだと思います。
自分が自分の心を放っておく方が楽なのかもしれませんが、そう思った自分を自立する力に少しでもかえてやろうと思います。
親を越えるには喧嘩はダメなのですね。
父より大人になる努力、します。ありがとうございました!

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