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死んだ後は何処に行くんですか?

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人は死んだ後に何処に辿り着く
のですか?
やっぱり天国や地獄ですか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

骨になり、土になるだけ。

死んだあとは、どこにも行かないでしょう。生命の活動は止まる。その後体はだんだんと土にかえっていくだけでしょう。
思いや記憶、考えこそ自分だと思っていると、色々と考えてしまうのかもしれません。
死後の世界とか。しかし、死んだ人は今生きていないわけで、正確なことは分からないでしょう。そこを大切に生きるより、今生きている人生をどう生きるかではないでしょうか。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

あの世があると言う事も無いと言う事も出来ない

あの世が確実にあるとは言い難いです。
でもあの世が確実に無いとも言い難いです。
なので釈尊は「無記」として明確に示す事を拒否しました。

つまり無いとも決して仰っていないのです。

なぜならな、この世とて確実なモノではないからです。

一人ひとりの思い込みや偏見で、この現実ですら全く違う世界に見えているかもしれません。
この世で確実にこうだ!などと断言出来る事とてないと思うのです。

六道輪廻という考え方が仏教にはあります。
六つの迷いの世界を生まれ変わり死に変わりしてぐるぐると巡るのだと言います。

しかし、六道は「迷い」の世界であるが故に確実な世界ではありません。
ですから「ある」と断言してしまう事は出来ないのです。

六道とは地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天界 です。
つまり我々がいる人間界も迷いの世界に他なりません。

迷いの世界であるこの世界での事を、確実な事実だとする人が亡くなったら、
その人に取って、恐らくあの世も現実味を帯びてあるのではないかと思います。

だからこそ、葬儀や法事があり、迷いの道から逃れるように促すのだと思います。

あくまで私の突飛な私見になりますが、
死んだら全てが終ると言うのではなく
我々は実は「生まれた」という偏見の中で、物理的な物事を楽しんでいるのだと思うのです。
その流れの中で「死」という偏見も起こり、あの世と言う偏見も起こるのだと思うのです。
逆に言えば、迷いの世界の中では、あの世も物理的にあったりすると思う方が自然であると思います。

しかし、あなたが生まれる前からずっとあり続ける
命の根源は変わらないと言う事だと思うのです。

もしもあなたが、現実的な「今」では無く、
あなたの心の本当に刹那の今を突詰めて行って、自分と思っているものが溶けて
大いなる根元に至れたとしたら、
この世もあの世も仮の世界であると解り
全てが大いなる根元…
仏そのものの現れであると知るのかもしれません。
たとえ物であっても、耳かきや、鉛筆だって、仏そのものと…その立場に立った時に初めて言える事であろうかと思っています。

その事を知るためには、逆説的に見えるかもしれませんが、命を大事にして日々の生活の中でしっかりと自分を見つめて生きる事が一番大事だと思います。

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おきもち

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仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

死んだ後にどこかに行くのですか

「死んだ後にどこかに行くのではないか」という思いをあなたが生み出してあなたを悩ませているのです。
それをあの世という。
あの世とはあなたが頭の中で生み出した現実ならざるもの。
そこ以外にあの世はない。
それを知らない人間はあの世があるかのように思う。
それが実物ではない所を妄想して、この現実をくらましている自己の思いに騙された生き方です。
そういう思いに騙されない生き方になりたければ、禅・仏教を学んでください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

全員地獄です。

今の時代を末法(まっぽう)といい、今後二度と仏様が現れない時代をいいます。また、末法には終わりがありません。
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2500年前、お釈迦様は現在のネパールにお生まれになり人々はお釈迦様に出会い救われました。しかし今の僕たちはお釈迦様、あるいはそのような聖人に出会うことができません。それは過去世に大罪を犯した結果です。結果には原因があります。今を見れば過去を知ることができます。
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罪を犯した人は必ず償っていかなければなりません。この世は娑婆世界(しゃばせかい)といいます。堪え忍ぶ世界という意味です。
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過去世の大罪の償いをするために僕たちはこの末法の世の中に生まれています。これが不都合な真実です。
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償うというのはひどく辛いものです。しかし生まれてきた目的がわかっている人は苦難を堪え忍ぶことが出来るので地獄に行くことはありません。
一方、生まれてきた理由を、幸せになるためだ、とか苦しみから逃れるためと自分の都合の良い解釈をして
辛い罪の償いから逃げている人は必ず地獄に落ちます。
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あなたの家族が殺されました。犯人は殺人の罪を償うことを嫌がり遠くに逃れて普通に楽しく暮らしています。
あなたはこんなことが許されますか?
犯人には罪を償ってもらいたい。人を殺したならば罪を償うのは当たり前だ、そう思いませんか。
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僕たちが娑婆世界に生まれたということは
大罪を犯した結果なんだということなのです。
生まれてきた目的を誤魔化す生き方をしていれば僕たちは全員地獄に行くのです。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

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