あるお坊さんのサイトを見て
あるお坊さんのサイトを見た時、こんなこんな考えがあるのかと思った事があります。
「ヘビに食べれそうになっていた猫を助けた人が称賛されている。食べ物を奪われたヘビの気持ちはどうなのか、人間が他の生き物の生き死にを決めていいのか」
この考えを見て、猫を助けるべきだったのかそうでないのか、答えは無いと思いますがお坊さんの考えを聞きたいと思って質問させて頂きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ヘビの気持ちはヘビにしか分かりません。猫もそのうち死にます。
おはようございます。
猫の生き死にを決めたのではなく、猫の命を救ったのことに賞賛されているのではないでしょうか。
たまたま救われても猫はそのうち死にます。
ヘビの気持ちはどうなるのか?
この問いは誰に向けて発しているのでしょう?
自分自身でしょうか、あるいは自分以外の誰かでしょうか?
他人に向けてのものであれば、僕はそんな聞き方しません。
ヘビの気持ちはヘビにしかわかりません。
察するにヘビはその気持ちを引きずっていても獲物は返ってこないので、
本能として次の獲物を探すでしょう。
自分に対しての問いなら、
私なら、ヘビに何がしてあげられるのか、ヘビへのフォローをどうしよう?になります。
余談ですが、
ヘビじゃなくてタカの話ならインドの仏教昔話で聞いたことあります。
タカの餌になった生き物を救って私の身を差し出す。
それを美談のように書かれていた気がします。
でもそれなら単なる食物連鎖の域を超えません。
輪廻すると伝えたい立場のお坊さんもいますが、
私は輪廻から抜け出すことを伝えたい立場です。
猫を助けるべきだったのかそうではないか。
答えが無いのではなく、ひとつに決められない。
それは自分の状況がその時々で変わるからです。
なので、私の考えとしては、その時の気分で変わる。
助ける時も助けないときもある。
助けようが助けなかろうが生き物はやがて死ぬ。
なので生き死にをコントロールしているとは言えないなという考えです。
どうせ死ぬのだから、の先のどんな行動を取れるのか。
死に方がどうであろうとも、その生あったものの尊さを見いだせるか。
相手の大事にしていたことを汲むことができるか。
葬儀を司る身としてはその点を大切にしています。
仏教と道徳の違い
もし猫が助かったなら猫には生きるご縁(えん)があり、
蛇には餌を奪われるというご縁があったと言えます。
また猫が食べられたなら猫には死というご縁があり、
蛇には餌に恵まれるというご縁があったと言えます。
「縁(えん)」とは条件と考えててもよいかも知れません。
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縁ということを考えて世の中を正しく見て生きましょう、というのが仏教です。
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食べられそうな猫を助けましょう。
お腹がすいた蛇に餌を与えましょう。
どちらも道徳です。
あなたが今疑問に感じたように、道徳と道徳がぶつかったとき、道徳では解決できないことが世の中にはたくさんあります。なので仏教が必要になってきます。
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そもそも人間は不完全な生き物なので、行いも考えも不完全になってしまいます。
道徳とは不完全な人間の「不完全な考え」のことを言います。
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一方、仏様は完全ですから分からないことがあったり迷うことがあれば仏様にお聞きすれば間違うことがありません。
どんなに偉いお坊さんも人間ですから不完全な考えしかできません。
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なので、お坊さんは個人的な間違った考えでみなさんを間違った方向に向かわせないように、
自分の考えを全部捨てて、仏様の教えはこうだよ、お経の中にはこう書いてあるよ、と言うので決して間違ったことは言わないのです。
もし自分が蛇にかまれたら
もしあなたが蛇にかまれたら、あなたはその蛇をどうしますか。そのままにしておくなんてことはないでしょう。どうにか自分から離す事を考えるのでしょう。時には殺してしまうこともあるかもしれません。
その時その時の状況によって、判断はかわるのではないですか。
そこにどんな決断が善で悪なのかなんて存在していないでしょう。その時の事実が事実としてあるのみです。
生きるためにいのちをいただくことは私たちも日ごろ行っています。牛や豚などのお肉も直接殺さないまでも、いただいているわけです。そこに罪などないでしょう。無駄にしなければいいだけです。
見た目より 本質。
瞬時瞬時、自分の思った通りのことを選択して生きているのが人間。
猫やウサギがムカデやゴキブリの形をしていたら❝かわいらしい❞と思わない見た目すべて、都合全てのド偏見のカタマリなのが人間。
フェイスブックで毎日猫のアップしている人はいても、毎日ゴギブリのアップをしないのが人間。
クジラやイルカは可哀想だが、サメなら殺してもいいと思うのも人間。
アンパンマンは正義だが、バイキンマンやバイキンマンの家族は悪者と考えるのも人間。
クモとチョウチョ、ネコと蛇も同じこと。
真実の探求をすればそれは平等な命であると分かる。
とっさにどちらかを助ける行動をしたとします。
その選択が良いか悪いかは後で決める事。
その選択が良いか悪いかにこだわるのが人間。
そこに良いも悪いもないという「所」を見極めるのが仏の目。
それを知った上で、状況に応じて人の心をしてよき方向へ導けるのが人間菩薩。
あなたは、この事をもう少し学んで、物事の本質を知ると良いでしょう。
そして、およそ大半の人間が見た目の良さ、デキる人ばかりを重宝しますが、そうでない所にこそもっと素晴らしい輝きがある事を見出してください。
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質問者からのお礼
質問に答えていただいてありがとうございました。
自分にもこのような事があったら、どちらかに被害、利益が出てもそのご縁があったと区切りを付けようと思いました。