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『業』につきましての質問です

回答数回答 3
有り難し有り難し 65

いつもお世話になっております。

自分は業というものについては、何か元々持って生まれてきた運命とか前世の行いからとか漠然と考えておりました。

最近は仏教に関しまして少しずつ知識を深めている中、少し違うのかなと思い始めました。

業というものは、自分のしてきた罪深い行いが苦しみとなり、気付けば体に芯のように刺さり背負っているのかな、と思いました。

ここ数年、一年一年、毎日毎日、それが深くなっていっています。

過去には戻れない。
したことは変えることができない。

業というものはこの先も永遠に抱えていくものなのでしょうか。
業については、このような解釈でよろしいのでしょうか。

お教えいただければ幸いです、
どうぞよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

善き『この先』。

はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。

「業」とは一見、運命とか前世の行いの報いということばかり思われがちです。
なので『「少し」違うのかな』と雅子さんが思われたのでしたら、それは私もそう思います。(運命を感じちゃうことはあるかもしれませんが)
もちろん実際には、伝統的な注釈では、前世の業という考え方自体は否定されていないのです。

でもそれは、注釈によればあくまで「縁起」という過程の一部分であることを押さえておくべきかもしれません。仏教が「業」という理解を取り入れる理由は、単純に過去だけでなく「未来(というより今)を見据える」からではないでしょうか。
つまり、「前世にしろ過去の行いにしろ、それが何かしらの影響を今の自分に与えている可能性はある。でもそれは『これから変えることができる。』」ということです。

ですから業の理解にのっとるのでしたら
『過去には戻れない。 したことは変えることができない。』
は間違ってはいないと思います。

しかし『この先も永遠に抱えていくもの』ではありません。
なぜなら「業」という何か固体のような「もの」があるわけではないですし、申し上げたように、「これから変えることができる」という自分自身の決意に、いつでも寄り添ってくれる考え方だからです。
私はそう信じています。

過ちにしても悔いにしても過去は私たちに深い影響を与えています。
それらを「無かったこと」にはできませんが、
「永遠に抱えていくもの」でもなくて。
「それを許し、引き受けたうえで、より善い行いをしていこう」と思っていただけるのでしたら、
それが「業」の実践につながるのではないでしょうか。きっと知らず知らずのうちに変化が起きると思います。
出来ること出来ないことはあるかもしれません。
でもほとけさまはたとえ罪深くても、そんなふうにして自分自身を見つめる私たちこそを、いつでもゆるしてくださっています。
そのことを想い、お手を合わせながら、善き『この先』を雅子さんが築いていってくださるのでしたら
私たちにとっても、また苦しみを抱えている多くの人にとっても、そのような方がいらっしゃることが支えになるのだと信じていただきたいです。

そのようにお祈りしております。

                        南無釈迦牟尼佛 合掌

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有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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拝読させて頂きました。
そうですね、私たちは自分ではわからない中でも悪しき行い、悪業をなしている存在ですし、その業によって今の自分があるとは思います。

毎日唱えるお経の中に懺悔偈(さんげげ)というお経があります。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

自分が気が付かない中でも或いは忘れてしまっている中にも私たちは知らず知らずに罪を作ってしまっている存在である、だからこそその悪業や罪をことごとく仏様の前にさらしお伝えしてその一切を心から懺悔して、これからできるだけそのような悪い心や行いをしないように勤めるように仏様にお誓いしていき、これからの毎日を正しく生きていくよう心がけるのがそのお経をお勤めする主旨です。

Wikipediaにもその説明が出ていますが、
私がはるか遠い昔から作ってきた様々な悪い業は、
いつかもわからない遠い過去からしてきた貪瞋癡すなわち三つの毒によるものです
それは我が身で行い我が口で話し我が心に思ったという三業から生まれたものです
ですから私は今それら全てをことごとく仏様に懺悔します

私は毎日このお経をおとなえしお勤めをしています。仏様はいつでもその思いを受け止めて下さいます。
そしてこれからを少しでも心を清め正しい行いをしていこうと仏様にお伝えしてお勤めさせて頂いています。

七佛通戒偈(しちぶつつうかいげ)にあります様に
仏教とは
諸悪莫作(しょあくまくさ)・・・もろもろの悪を作ることないように心がけ
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)・・・もろもろの善いこと進んで行い
自浄其意(じじょうごい)・・・自らのこころを浄めていきること
是諸仏教(ぜしょぶつきょう)・・・ それがもろもろの仏の教えです、それが仏教です

ですからこれからの人生や生活をどう生きていくことが善いかどうかです。

あなたは仏教に出会ったのです。
どうかあなたのこれからの未来を心を清めて正しく生きて頂きたいと切に願います。
それがこれからのあなたの人生の中で業として善き報いとして表れてくる、そしてもたらされるでしょうからね。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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レッツ業

欲張れば欲張るほど欲張り癖がつく。
怒れば怒るほど怒り癖がつく。
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こだわればこだわるほどこだわり癖がつく。

殺せば殺すほど、盗めば盗むほど…。

罪業・悪業・悪カルマの法則?

しかし、だとすれば、だからこそ!

譲り合えば譲り合うほど譲り合い癖がつく。
慈しめば慈しむほど慈しみ癖がつく。
集中すれば集中するほど集中癖がつく。
手放せば手放すほど手放し癖がつく。

許せば許すほど、施せば施すほど…。

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有り難し
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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

【吉井 浩文 様】
ご回答いただきありがとうございます。

凝り固まった考え方をしていたのかもしれません。

お教えを読ませていただき違う視点から考えることができました。

この30年、いろんなことがありました。
いろんな局面を迎え、いろんな通過点があり、岐路がありました。

自分の罪と最終的な判断により子供をはじめ沢山の人を悲しませた事が、日を追う毎に深く深く突き刺さってきています。

善行を積み、いつか自分を許すことができるでしょうか。

業という諦め、そこにばかり囚われることなく、教えていただいた「善きこの先」をつくっていけるように努力をしていきます。

お忙しい中、お言葉をいただき本当にありがとうございました。

【Kousyo kuuyo Azuma 様】
ご回答いただきありがとうございます。

沢山のお知恵をお教えくださりありがとうございます。

おかげさまで仏教を学び始めてから、懺悔偈は般若心経の前に朝夕お唱えしております。
でも、とおいとおい昔からの罪に対してなんですね…。
自分の感覚が生じる前からの罪なんでしょうか…。

でも今回の相談以外でも、人は生きている限り毎日なんらかの罪をおかしているような気がします。

今後は悪いことをせず、善い行いをし、今考えている業というものを「善い業」に変えていけるようにしていきたいと思います。

希望が持てました。

お忙しい中、本当にありがとうございました。

【願誉 浄史 様】
ご回答いただきありがとうございます。

自分自身で善い癖付けをしていくことが肝心なのですね。

毎日の行いでカルマが決まるのですね。

過去にばかりとらわれずいなきゃ。と。

背負うものは背負っていきます。
でもレッツ善goします(^^)
コツコツやっていきます。

お忙しい中、ご回答いただき本当にありがとうございました!

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