正しく生きると正直に生きるの違い
正しく生きるとは、正直に生きるとは、どういうことをさすのでしょうか?
両方とも似た言葉ではありますが、どことなく意味が違うような気がしています。
法律を守れば、
モラルを大事にすれば、
素直であれば、
人を傷つけなければ、
いろいろあると思います。
モラルに反しても、苦しんでいる人を救いたい助けたい気持ちは良くないのか。
誰かをひたすら罵倒しても、それが正義だと疑わなければ正しいのか。
何が正しく生きることなのか。
どれが正直に生きていることになるのか。
変な質問をしてしまって申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
かいぃ〜の(戒、善いの)
正しく生きるとは、仏教的に言えば苦を離れて楽を得ながら生きることです。
正直に生きるとは、仏教的に言えば誤を認めて反省しながら生きることです。
じゃあ「楽を得る」って何だよという話です。クスリやってラリってHすれば苦を離れて楽を得るってことなのか?と。当然そういうことじゃありません。
長いこと猫背で暮らしていると、だんだん腰が痛くなりますよね。ある時点を過ぎるとだんだんどころかどんどん痛くなるでしょう。でも、正しい姿勢で暮らしているとおのずと身体の調子が調う。身体が調うと自然と心も調ってくる。そういうのが「楽」です。
安倍政権を罵倒して政治を良くしよう!まぁ仮にそれで待機児童無くなったとしましょう。それで幸せになるか?なりません。なぜなら人々の心に罵倒する癖が付くから。どんなに改革改善しても、さらにケチつけてやろうもっとケチつけてやろうと悪いトコ探しをして止まない心の習慣が育つ。
こうして数値上は良くなってるハズなのに、人心は社会が良くなっていると実感できないという現象が起きます。闘い方が間違っとるんです。
この罵倒の例は際限なく満足しないむさぼりの心であり、罵倒する怒りの心であり、それらを助長しておきながら間違っていると思えない愚かさの心です。つまり貪(とん)瞋(じん)痴(ち)の大三元そろって役満ツモ。
そういう偽善をしないために仏戒というものがあります。例えば不説過戒。他人の過(とが)を説かざる戒。首相は人格が悪い!とか人格否定で口撃しない。
他にも…戒には色んなバリエーションがありますし字数食うので貼ります。光禅師のご回答をご覧ください。
https://hasunoha.jp/questions/25671
戒こそ正しく生き、正直に生きるための道です。
以前、内容がちょっとかぶるご質問がありましたので貼っておきます。こちらもよろしければご覧ください。
https://hasunoha.jp/questions/25284
私も参加します。
なるほど「正しい」と「正直」ですね。興味深い話題です。
明治時代の坊さんたちが、「仏法僧を敬う」というのを言い換えて、「明るく・正しく・仲良く」と申しました。「何をするか?」は「正しいことを」。「どうするか?」は「明るく。そして仲良く」と分けた訳です。
その中に「正直」はありませんね。私見ですが「正直」とは「自分の思いのまま」ということでしょうから、仏教はそれを余り推さないのではないか…と思います。
人生には苦がある。苦とは「思い通りにならないこと」だ。「人間の思いの中には怒りや貪りもあるから、それらに正直に従って行動すると無理が生ずる」。だから仏教を学び実践して、「自分の思いや行動をコントロールしましょうね」というのが仏教であると私は捉えています。
「だって、本当に欲しいんだもん」「だって、本当に心からそう思うんだもん」と言う自分を疑え。そんなメッセージでもあるかなと。
だから私としては、「自分の正直な気持ちを無視したり誤魔化すことはしなくてよい。けれど、それを実施するかどうかは、仏法僧に照らして判断せよ」ではないかと。
ちなみに、「正しい行い」は「八正道」と呼ばれますが、「正見=正しく見る」って何だ?という一つ取り上げても、膨大な定義になります。でも、取りあえず「ありのままに見る」と置き換えたとしても、「自分の思い」を通して見るのは色眼鏡になりそうですよね。
「俺はあの子が好きだ。だから、あの表情は”俺に気があるアピール”に違いない。よしアタックだ」とか。
ただし、「自分の心のまま、は一切ダメよ」とも思いません。自発的に、かつ仏教に沿っていることに従っていくと、多分無茶なことはしなくなるのではないかと想像しています。何かあった時、「でも俺は正直に行動したからいいのだ!今後も同じことするぞ!」という言い訳に使わないで欲しいなぁ、「正直」を。
「正しく」と「正直」の違い
よーこさん、こんにちは。
「正しく」と「正直」は、似ている形で使いますが、言葉通りで解釈すれば、「直」の部分だけ心のレベルが更に上ですね。直は素直の意味です。
正しい生き方は、その国や宗教・道徳の文化によって、価値観が違います。仏教では「八正道」といって、正しい生き方の定義があります。それに基づいて生きることが正しい生き方です。ですから、国も宗教も違えば、正しいの価値観が違うのは当然です。社会道徳でいえば、心は反していても形が整っていれば正しい生き方であるといえますが、正直となるとその生き方を素直に受け止める、つまり心から守るという意味も含まれてきます。宗教は心からの正しさを求めます。先ほど仏教でいえば八正道といいましたが、その八正道の中、十善戒で、心の部分の三つの戒め(慳貪;財物などをむさぼり求める、異常な欲)瞋恚;いかり憎む。邪見;誤った見解)は、形だけでなく、心のあり方まで求めますので、正直の部分なのかも知れません。
言葉のこだわりですが、そのように感じました。合掌
質問者からのお礼
皆様、本当にありがとうございました。
よくよく読ませていただいて、正しいとは何か、そして正直とは何かを考えてみようと思います。
苦と楽、それについてもよく考えてみたほうがいいのかなと思いました。
このことを感じとるには、熟読せねばいけないような気がしました。たくさん考えなければ答えが出ないような気がしました。未熟者で申し訳ありません。
自分を戒め、正しく、そして人には優しく生きていきたいと思います。