hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お嫁さんとの関係で悩んでいます。

回答数回答 2
有り難し有り難し 20

現在は状況が変わり 2年程前から息子夫婦と同居しておりますが お嫁さんとの関係が上手く行っていません。
結婚前より気を使ったつもりの事が 悪い方に取られたりしていて 他県に居た為にほとんど会う事も無かった事もあり あまり良い状態ではありませんでした。

色々ありまして同居する事になりましたが 私が同居を反対していた事も彼女の心の中に強く残っていた様でした。

私の発言が彼女を傷付けてしまったり 嫌な気持ちにさせてしまって……

話し合いの場を持ち 私の発言で嫌な気持ちになった時は言って欲しいとお願いしました。
安易な考えや その場で浮かんだ言葉を発していて 相手を想う事が欠けているのだなと思ったからです。
深い意味や嫌味な気持ちがあっての発言ではないですが 相手が嫌な気持ちになったり 悲しい気持ちになったりしたらそれは言ってしまった私が悪いと思ったからです。

最近はこんな事を言ったら こんな事を聞いたら?どう思うのか?と考えすぎ 息子に言ったり聞いたりした事が また彼女には嫌だった様です。

多分お嫁さんは今すぐにでも別居したいと思っていると思いますが 息子夫婦2人の仕事の事や孫の保育園関係で今すぐには動く事が出来ない状況です。
環境が整い次第出て行きたいでしょうね…
それは仕方ないですし いずれは自分達の家が欲しいと言っていたので…
ただ今の状況では喧嘩別れになってしまいます。
出来れば気持ち良く行って欲しいし 送り出したいです。

お嫁さんに嫌われている今 私はどう接して行けば良いのでしょう?
会話も必要最小限です。
極力同じ所にも居たくない様子ですが そんな彼女に接する態度はどうしたら良いのでしょうか…

嫌い苦手と感じたら なかなか相手の事を良く思えないのは私自身も同じなので気持ちもわかるので すぐに戻れるとは思っていません。

構えず最小限の事を言ったり聞いたり接して行けば良いのでしょうか…


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

立場を捨ててフレンドリーに

「私は万人の友である」
お釈迦さまは万人の友です。
「私」「わたくし」「自分の立場」がありません。
仏教という立場すらありません。
ただの人間になってみることです。
勿論、多少の礼節は必要でしょうがそれも要らんと思います。
私は幼稚園に送り迎えに行く時に見知らぬお子さんが急に話しかけてきてそこでお友達になったり、そこでお別れします。
人間関係とはかくあるべきものでしょう。
あなたがあなたの立場を捨ててしまう。
嫁。シュートメ。妻。ハハ。息子。夫。義理の母。そういうものを捨ててしまうこと。
「みんな出会い頭はただの人。」
これを真言と思って常に念じてください。
自分の立場があるからこそ人は人とうまくいかんのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

誠実に謝ってみてはいかがでしょう

拝読させて頂きました。
あなたがもしお嫁さんの心を傷つけてしまったのならばあなたは反省なさりお嫁さんに素直なお気持ちで誠実に謝ってみてはいかがでしょうか?そして適度な距離を置いてゆったりと息子さん夫婦をお見守りなさってみてはいかがでしょう。
そしていざという時にはどうかお力添えなさってみて下さいね。
おそらくこれからの未来に息子さん夫婦やお孫さんには大変なことや困難もあるでしょう。そんな時には立場を尊重しながらも適切に支援なさってあげて下さいね、
あなたのお力添えが必ず必要になる時が参りますからね。
同居は難しいものだとは思いますが、人とのつながりなくしては人は生きてはいけないですからね。
もののない時代貧しい時代には皆肩を寄せ合って生きていたのですからね。別居するだけが答えではありません。

あなたや息子さん夫婦やお孫さんが皆さん共にお互いを尊重し思いやりながら仲良く幸せに心豊かに共に生きていかれますようにと心からあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きますね。

ご先祖様は皆さんが仲良くお健やかに生きて下さることを何より望んでいらっしゃいますし、皆さんをいつ如何なる時お見守りなさっていて下さいますからね。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

回答頂きまして ありがとうございます。
現在は拒絶感がビシビシと伝わって来る状況ですが(話し合いの際に謝罪はしています) 日々回答のお言葉を念頭に置き 過ごして行きたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ