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孤独死した父の供養

回答数回答 3
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先日、父が孤独死しました。
死因もわからず、棺桶の窓も開けられない状態。
遺体は布団の中だったそうで、苦しんでいなかったのでは、というのが唯一の救いでした。

両親は離婚していますため、実家の菩提寺には葬ることができませんでした。
父の親戚の霊園に埋葬することが決まり、先日無事に納骨が終わりました。
父のためのお仏壇はありません。

生活保護を受けていた関係で、火葬されるまで一度もお経はあがっていません。
あまりにも可哀想だとうちの母が実家の菩提寺にお願いして、お経だけあげてもらいました。
納骨にも時間の都合で立ち会うことができませんでした。

自宅に遺影だけを持ち帰り、我が家には仏壇はありませんので、テレビ台の上に遺影を飾っています。
この話を母にしたらお父さんが迷うからそんなことをするな、水も酒も下げろ、花も飾るなと言われました。
そんなものなのでしょうか?
いまは、ビールとたばこを供えています。

わたしとしては、供養らしいことも何もできていないのが心残りでしているのですが。
ほんとに迷うのでしょうか?しないほうが良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の家でご供養を

メリー・クリスマス
あなたにとってはたった一人の親でしょう。
お父さんお母さんの関係=夫婦というのは複雑な関係であると純粋な気持ちで供養できない場合があります。
ですあ、あなたはあなた。
あなたにとってのお父さんへの気持ちは、あなたがあらわにしない限り解消される事はありません。
クリスマスに何かプレゼントしてもらったことはありませんでしたか?
お月様は太陽の光を受けて暗い夜道を照らします。
あなたもお父さんから頂いた無量無限のプレゼント・布施・恩愛を受け取ったままではいけません。
月が反射するように、報恩の反射、報謝をなさってください。
よって、今日はクリスマス。
神も仏も仲良し大国日本です。
どうしてお父さんにだけ、そんな寂しい思いをさせてしまえるものでしょうか。
お父さんが好きだったものを買ってきて一緒に楽しみましょう。良い一日を。メリー・クリスマス。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

迷うのは残された家族の心

供養をする事は、残されたあなたの心を救う事にもなります。ぜひできる事をしてください。可哀想な思いをさせてしまったという残された人の思いを、供養というかたちで、浄化していくのです。

お父様が迷う事はありません。お線香やお水などを上げる事は、良い事だと思います。手を合わせ、今のご自分の存在に感謝し、日々の習慣にしてください。是非是非。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

迷いません

確かに嫁にいけば他人となりますが
火葬拾骨に立ち会うことまでは妨げません。
あなたが不在であってもお父様にお経があがっていればそれで安心なさい。
遺影は片付け、経木に俗名、死亡年月日を書いて読み上げ、それに毎朝、熱いお茶をお供えしてください。
経木は仏壇屋に。なければ紙で。
毎朝、一番水で沸かし一番茶をお供えします。手間暇かけるところに供養の真が通じるのです。
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気持ちが大事といいます。ならばその気持ちは必ず形、態度にあらわれます。
形、態度を見れば内心など簡単に見透かされると、緊張感をもってしっかりとお父様のご供養をなさってください。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

お坊さんに迷いません、と言い切っていただけることがこんなにありがたいとは。
本当にありがとうございます。

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