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毒もみのすきな署長さん

回答数回答 4
有り難し有り難し 85

という、宮沢賢治の童話があります。

署長さんが赴任した町には、禁じられた漁法があります。その一つが毒もみで、自然由来の材料で作った有毒な薬を川に浸すなどして、浮いてきた魚を獲る方法です。署長さんは町の人たちを取り締まり、いかにも職務を全うしているかのように装いますが、ある日、こっそり毒の材料を取引しているところを町の子供に見られてしまいます。町の大人たちは真偽を確かめようと、署長さんに詰め寄ります。署長さんは憤慨し、名誉にかけて犯人を捕まえると約束。しかし、皆が当てはあるのかと問うと、ちゃんと証拠はあると言い、町長さんの前にずいと顔を突き出して、こう告げます。

「実は、毒もみは私ですがね」

かくして、署長さんはお縄頂戴となり、死刑が確定。そして、いよいよ死刑執行のその時、彼は笑ってこう言いました。

「ああ、面白かった!俺、毒もみだーい好き!今度は地獄でやろっかな」

皆はすっかり感服しましたとさ。おしまい。

という話なんですが、人は誰しも「分かっちゃいるけど、やめられねえ~アホレ~スイスイスイ~♪」ってことが、よくありますよね。その理由は自己を客観的に見れない切なさに起因していると思いますが、例え、見れても根源的な欲求が満たされない限りは苦しむ。

その根源的な欲求とは「生きる意味」ではないか。そこがそもそも欠落しているから変なことをし、そして、これをどう捉えるかで人生が変わる。後付けでその理由を作った人、にっちもさっちもいかずに道元禅師を尋ねた人、何かに夢中になることで考える暇をなくした人。色々、居ます。どれを選ぼうが本人の自由で、また、それ故に人を愛し、人を傷つけ、妬み憎んで七転八倒。それを糧にして物を作ったり、歌ったり、ままならぬ人生の詩を詠んで何とか生き抜き、それが今度は他者を慰める糧となる。

大事なのは、覚悟を持って挑めるかどうか。誰が何と言おうが、坊さんに叱られようが「ああ、面白かった!次は地獄で!」と腹くくって言えるなら、それでいいじゃないの。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と言いますが、我々は圧倒的に愚者。経験に学ぶしかない。大事なことはスムーズには進まないし、簡単には伝わらない。だから、お坊さん怒らないで。皆、助言には感謝しているけれども、対等な姿勢を示さないと逆効果だと私は思うのです。

※言葉足らずだったら後で補足します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私もこの話は好きです。

 私は100分de名著でこの話を観て、実際に読んだら非常に面白かった。すべての苦しみが解けた気がしました。世の中は善悪で出来ているわけではないということをこの話は示しております。テーマは「あるがまま」ではないでしょうか。宮沢賢治は非常に仏教的な話を多く作っている気がします。
 賢者か愚者かは別に誰が決めているわけではありませんが、上記の諺は同じことを言っているのではないでしょうか?そしてどちらが良いか悪いかは無いと思ってます。
 あまり、善悪にこだわらず、悪を作らない生き方をしてみませんか?

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実は、私自身も「署長」ですがね

 毒もみの話は初めて知りました。いろいろ考えさせられますね。確かに私自身も(比喩的に)「毒もみはだめだ」と言いながら毒もみをしてしまっているのかもしれません。

 仏教では「同事」という教えがあって、相手の立場になって考えるという事です。
 おっしゃる通り、私たち僧侶は、相手の立場になり、相手の幸せを願って声をかけるべきだと思いました。対等ではないと感じた回答があってごめんなさい。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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ん?

なんか腑に落ちないご質問だなぁ〜と思って過去の問答を拝見したら、あなた、答えは全て持っていらっしゃるんですね。

最初の質問で「子供の頃から疑う心のせいで苦しい」とありますね。
貪・瞋・痴・『疑』・慢・悪見は六大煩悩です。煩悩とは、自分で自分の首を絞めるような苦の原因です。あなたは最初から答えを持っていたんですよ。

でも2つ目の質問、「人間社会に対して、正しく疑いを持たなければ危ないと感じる」。それが辛いことだと分かっていながら、その実感さえも疑って苦しむ。
もちろん社会生活には疑う心も必要ですよ。詐欺もカルトも毒男毒女もいる。でも、疑うことを100か0かで考えたら生き辛いですよ…

で、4つ目の質問で「若い僧侶が注意した青少年に逆ギレされて殴り殺されたと聞いてショックだった。フラッシュバックするほど」とおっしゃりつつ、今回は署長さん。その署長さん、質問文を拝見する限り丸っきりあの青少年ですからね?あなた結局どっちなの?という話です。
なぜそういう形で迷うかというと、それはあなたがお坊さんだけでなくあなた自身を疑っているからです。

そしてお坊さんを疑っている自覚があるから、怒られるハズだと恐れる…前回のご質問は結局どこにお坊さんが傷付く要素があるのか全く分かりませんでした。最近私はあるお寺の奥さんには怒りましたけど、あなたに怒る要素ありませんでしたし、私が見る限り他のお坊さんも誰一人怒った様子はありませんでした。結局それも警戒心からくる疑いの心です。

楽になりたないなら、疑問に思った順に質問するのは絶対に止めるべきです。
数学だって最初に四則演算やって、小学校の算数やって中学校の数学がやって高校の…というように順番にやらないと全くモノになりません。
仏教も同じです。四則演算もおぼつかない人がいきなり微積分やるような質問を繰り返しても、ますます心が迷います。
お寺の坐禅会とか法座みたいな所に定期的に通い、仏教なりの、各宗派なりの、各お坊さんなりの手順にゆだねて順序よく積み重ねていかないと無茶ですよ。

思い切って疑の煩悩と訣別するアクションを起こさないと、何千何万の問答をしても全て悪循環にしかなりません。もう、そんな生き方、疲れたでしょ?疲れていいんです。疲れたから疑いの螺旋を止めたい…それでいいんです。

追記
決め付けてしまい申し訳ありません。失礼しました

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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自分の執着を客観的に愛せるか。

人間の本質は、執着(シュウジャク)を愛する生き物です。仏教は執着からの解脱を推奨しますが、執着に囚われていると理性的な意思決定ができず、結果的に色々苦しみますよという至極理論的な話。人に迷惑を掛けない限り、執着に溺れて死ぬのも本望でしょう。
 "毒もみ"のケースでは、共同体に迷惑掛けていますよね。執着に囚われた人間というのは、思考に柔軟性(寛容性)がないので、社会生活にとっては害悪。パワハラの上司とか。トランプ現象しかり、政治の場面などでもよく目にします。ちなみに、教義に執着した宗教をカルトと呼びます。
 執着を完全に無くすと、すべてを平等に俯瞰できる神様になれるでしょうが、きっと愛情や命の価値もすべて理解できなくなる(サイコパス)ので、人間の身分としてはナンセンスな話です(お釈迦様も所詮人)。
 しかし自分の執着を、絶対の真理だと盲信し他者を排斥する状態と、世界に数多ある執着の一つだと客観視しながら愛している状態とでは、大きな違いがありますよね。他人に迷惑を掛けていないかも確認できますし、なにより自利として、より楽しい執着を見つけられる可能性が広がります。
 仏教は、善行のために自分を押し殺して生きろなどと説いていません。至極合理的な生き方として、執着を俯瞰するとより楽しく人生が送れるよと説いているのです(結果的に善行ともなる)。
 確かに物事を俯瞰するには"知性"が必要です。近視眼的な愚者には、遠い歴史が見えず、足下の経験しか見えない。しかし、自分の執着に少しでも疑問を持とうとする気概さえあれば、愚者は簡単に賢者になれるのです。学歴でも何でもありません。

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おきもち

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
字数制限のため、後半が乱暴になりました。

大鐵さん
>テーマは「あるがまま」
その通りだと思います。私は善悪決めつけて考えやすい傾向にあったので、このお話を読んだ時はとても印象に残りました。
>宮沢賢治は非常に仏教的な話を多く作っている
賢治さんは仏教を一生懸命勉強した方で、「法華経日蓮上人にご帰依」を家族や知人に勧めていて、雨ニモ負ケズの最後には「南無妙法蓮華経」と書かれています。
>あまり、善悪にこだわらず、悪を作らない生き方
そうですね。そういうことだと思います。ありがとうございます。

大慈さん
>その署長さん、丸っきりあの青少年
この物語は上記のような理由で、そういう話とは違いますよ。
>お坊さんだけでなく、あなた自身を疑っている
自分を疑う部分があるのは認めますが、お坊さん皆を疑っているわけではありませんよ。私はお坊さんを同じ人間だと思っています。なので、いろんな人が居るだろうなと思っています。
>そしてお坊さんを疑っている自覚があるから、怒られるハズだと恐れる
「怒らないで」と言ったのは、実際に他の方の問答で、ご自分の仰りたいことが上手く伝わらなくて、その末に激怒されている方がいるとお見受けしたからです。また、その方は仏教に対してとても情熱を注ぎ、皆を助けようと頑張っていらっしゃるご様子でしたので、その気持ちがあまりに強く、逆に伝わらないのではと思った故です。ここでは質問以外に伝える方法がないので、何とかこれを見て下さればと思ったのです。私の質問に回答下さる方は、お優しく仰って下さいますが。余計なお世話でしたら、申し訳ありません。
>前回のご質問は結局どこにお坊さんが傷付く要素があるのか
犠牲になった方のご家族や関係者のお坊さんが、こちらで活動されている可能性があると思ったからです。その方が見れば傷付くと思ったのです。なので、前々回のお礼コメントの時にも前置きしたのです。

中山雅紀さん
仰っていること、すごくよく分かります。私も本来であれば、そういう考え方です。ただ、この童話を引っ張ってきたのは上記のような理由によります。そこを上手く伝えられずに誤解を招き、申し訳ありません。

最後に
文字制限だけではなく、私の質問のまとめ方がまずかったのは認めます。
過去の質問を参照なさって分析いただけるのも大変、ありがたいです。何せ、文字情報しかありませんものね・・・ただ、「決めつけ前提」でお話しするのではなく、「そうなのでは?」という疑問形でお話し頂けると、もっと有難かったです。hasunohaは質の高い質問サイトですが、文字のやり取りはとても難しいものがあります。私も含めてですが、そこをもっと考えて頂けましたら、もっと素敵なサイトになると思います。ありがとうございました。

大慈さん(追記に寄せて)
ありがとうございます。私の気持ちが少しでも伝わって嬉しいです。
最初にお礼コメントを書いた時は出来るだけ感情的にならないように、必死に事実だけを書くように努めました。けれど内心は、こんなに伝わらないものなのかと悔しくて、辛くて辛くて、胸が締め付けられるほど、やりきれない気持ちになりました。そんな風に思わせてしまうほど、私の過去の質問は悪く捉えられていたのか・・・真剣に向き合って下さる回答僧の方々に私も本気でぶつかったつもりでした。それが、皆さまを不快にさせてしまったのでしょうか。文字だけのやりとりは、本当に難しいと痛感させられました。ただ、あなたの言葉は一部でも当てはまることはありましたので、それとは別にきちんと考えさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

光禪さん
ありがとうございます。
生意気なことを言って申し訳ありませんでした。けれど、あなたの言葉で私は本当に救われました。ネット上で大事なことを伝えるのは、私が考えている以上に大変なことだと思います。もどかしい気持ちになることも、時には厳しいことも言わなければならないこともあると思います。しかし、それでも私はこのサイトは皆のディープな悩みに寄り添える唯一の電波寺だと思っています。

お坊さんの皆さま
お体に気を付けて、適度に気晴らししながら、皆に「智慧と慈悲」を届けてください。幸運を願っています。

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