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修行をするとは?

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有り難し有り難し 8

この一年、私の病気のこと、私の労働環境について考えました。
結論は、「私が考えても改善策が見つからない」ということです。社会の1つ改善すると、別のところが負荷がかかり、そこを改善すると新たな分野に負荷がかかる。そして、スタートに戻ってくるのです。だから、解決は難しいと考えています。
では、なぜこのような苦しい状況になったのかと考えてみましたが、「楽したい」という欲や「自分で守るべきところまで人にさせ、いいところだけ自分のものにしたい」という欲が大きくなってきているのかなと思いました。
この点で欲を持ちすぎるといけないのかなと思いました。何か、世も末だなと思います。人に対してどうすることはできませんが、私自身はこれからの生活を見直していこうと思っています。

現在、精神的な問題で仕事を休んでいます。
精神的に不安定になったり、身体面で入院したりしましたが、本を読む時間はたくさんできたので本を読んでいました。
病気を薬に頼らなくても済むように、これまでの原因は根本的に解消したいと思い、症状に関する情報も集め、実践してきました。
私は、「過剰適応の適応障害」と言われました。適応できなかったのではなく、頑張りすぎちゃったようです。でも、これでも、与えられた仕事は、6割ぐらいに抑えていました。このような働き方を改善できないかと考えていました。

でも、私は、暗い気持ちにもなっていません。趣味を作ろうといろいろチャレンジしてきました。そのうちの1つにゴスペルを始めました。私は、英語が苦手なので、歌詞をあまり理解できませんでしたが、この前、レッスンで歌っていて歌詞の意味が理解できました。家に帰ってきて、歌いましたが、いい英語の歌詞だなと思いました。
それで、ふと思ったのです。修行として、日常的にお経をあげると、お経の内容も理解できるようになるのかなと思ったのです。もしかしたら、お経(歌)に向かう姿勢も大切なのかなと思いました。念仏を唱える修行をしているうちに、突然に世の中の道理が分かるようになるという仮説をたてました。これが分かるようになるのは、いつか分かりませんが。

お経をあげていると、内容が分かるようになりますか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

理解しようと思いながら唱えれば

お経は漢字なので、英語より理解しやすい可能性があります。
理解しようと思いながら唱えていれば、少しずつ理解が進むと思います。
ただ、現代文にはない漢文の言い回しや、仏教用語もありますので、お経だけを読んでいても意味がわからない部分もあると思います。

お経や念仏を唱えるのは脳のリズム運動でもあり、セロトニンの分泌が良い具合になる可能性があります。
ゴスペルもそうかもしれません。
なので、唱えるという行為自体にも、心を落ち着ける効果があるかもしれませんね。

あと、お経を間違えないよう唱えるためには、集中力も必要ですし、心に浮かぶ妄想雑念を制御しなくてはなりません。
これも心を落ち着ける修行になると思います。
お経の内容(善)に共感するのも、善の心を育てる修行になります。
たとえば、「仏心者大慈悲」(仏の心とは大慈悲である)というフレーズに共感しながら(素晴らしいと思いながら)唱えていれば、自分の慈悲の心が育つかもしれません。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

〉願誉浄史 様
ご回答、ありがとうございました!
脳科学については、まだ分かっていないことが多いようです。しかし、先人は、何となく心を穏やかにする方法を見つけていたのかもしれませんね。
小学校などの国語の音読。日本語のリズムとそこに含まれる意味を解釈するなら、意義あることなのかもしれないなと思いました。

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