愛されていなかった、愛されていないと認めてもいいでしょうか
両親に愛されていない・愛されていなかったと認めることで苦しみが軽くなりました。 こういう風に思うことは間違ってはいませんか?
今まで「親だったら子に対してこうあるべきなのに私の親はそういうことは全くない」と思ってきました。 納得いかなことは挙げればきりがありませんが私の親の対応を人に話すと皆ビックリする状況です。簡単に表現すると「無関心」ということです。経済的にはほどほど裕福でほどほどの地位と名誉を持った親です。)
最近気づいたのですが、「親は普通こうあるべき」と べき論で親を見て、かけ離れている親を認めることができませんでした。
もちろん、世間で普通と言われる状況を基準にすれば私の両親が良い親とは言えません。しかし、両親それぞれが自立していて自分の生き方で生きています。(母はなくなりましたが自立した人生を全うしました。)
私に面倒や迷惑をかけたこともありません。(身勝手ですが)
究極を見つめると「人は誰かのために生きるものではなく、自分の生命維持の為に生きるものだ」と私は思っています。
そういう観点から考えたら両親がしてきたこともまた『そういう生き方であった」と思えます。
「べき」を手放してみると、そして、「愛されていなかったんだ」と認めてみたら
親との心の距離が離れ楽になりました。
諦めとかし失望ではなく心の恨みみたいなもの、こだわりが少し無くなった気がします。
このように考える(?)感じることは良いことでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛より慈悲に目覚めよう
「愛されていた」「愛されていなかった」という図式で見ることも「べき論」ではありませんが、似たようなものです。
それによって心の浮き沈みや凸凹が生じるのでしょう。
42%愛されていなかったけど58%愛されていたと思ってみましょう。
本当に愛されていなければ手放したはずです。
虐待されたり、警察沙汰になっていたはずです。現にそういう親子関係も多数存在しています。
「私が望む愛の形ではなかった」と思いましょう。
「ヘタな愛情表現だったけど親なりに愛してくれた」はずです。
親の不完全を認めてあげるのです。
生まれながらに愛情表現が得意な人などいません。
愛をたっぷり受けたからって、わがままちゃんだっています。
真実の愛はあなたが今から生み出せばいいのです。
あなたが誰かに愛を廻らす事こそ一番大切なことではないでしょうか?
愛でなくてもいいのです。
人間の不完全を肯定することで慈悲心が沸くのです。
私どもと一緒にほとけの慈悲を広める活動をなさってください。
はい ^ ^)
子どもを愛せるかどうかは、因縁によるので、自分の子どもを愛せない親が当然います。
もちろんそのことで子どもは苦しむのですが、自分の親は自分を愛するという能力、あるいは因縁がなかった、と認識することで、子どもは楽になるのです。親に愛されなかった子どもにとっては、これは極めて自然な流れです。良いも悪いもなく。
怒りを伴わないあきらめ、なら良い
原因がわかれば結果を受け入れられる、ということはあると思います。
ご両親の子育て方法の偏りが原因で辛いことが起きたのだ、そもそもは、あなた自身が悪いわけではなかった、と思えれば良いと思います。
仏教では、怒りや憎しみは悩み苦しみの原因だと考えます。
また、欲や執着も悩み苦しみの原因です。
なので、愛情を注いでくれなかった両親への怒りを捨てること、「もっと愛情を注いで欲しかった」という執着を捨てることは、あなた自身のストレス軽減に役立ちます。
そのような方向に向かうのは、良いと思います。
べき思考をやめることは良いです
べき思考により、私たちは苦しめられます。男なんだから、女なんだから、受験生なんだから、子供なんだから・・・
すべてその後に「べき」がついて回るのが一般的苦しみ思考。
しかし、私たちの生活には「べき」というものは存在していません。そこに気がついたあなたは素晴らしいです。
親なら子に対しこのような対応をす「べき」ではなく。あなたの親はそのように表現したという事です。よその親と比べてどうこうという事ではなく、それがあなたの親なのです。
愛があるかないかは、ご両親本人にしかわからない事。あなたがあるなしを決める事ではないです。「べき」思考を、卒業し、親からの自立のチャンスだと捉え、あなたが今度、他の人に愛を届けられたらいいですね。
質問者からのお礼
遅くなりました。 アドバイスありがとうございました。
帰省の前に質問内容の心境になって帰郷しましたら父との日常が以前よりも穏やかになりました。
帰省中、何度も何度もアドバイスを読み返し考えてみました。
満たされなかった気持ちが消滅したわけではないのですが、その部分に拘りが無くなったようで気にならなくなりました。
愛情があったんだとは思えませんが、「42%愛されていなかったけど58%愛されていた」と感じることができるようになっていました。 (過去のことというよりは今現在の父の態度に対して)
人間の不完全を肯定することが少しできたのかもしれません。
少しだけ自立できたということなんでしょうかね!
まだまだおぼつかないので感情が行きつ戻りつでしょうが一歩一歩ちゃんと自分に向き合っていきたいです。そして、「他の人に愛を届けられる自分」になっていけたらいいなと思います。
ありがとうございました。