母方の祖母が亡くなるのが怖い。
理由は自分の母親が悲しむ姿を見たくないからです。
母方の祖母は遠い田舎に一人で住んでおり、自宅から祖母の家までは車で約6時間ほどかかります。
大型連休しか帰省出来ないため年に2回、多くて3回、父親は仕事のため母と私の二人で帰省します。
祖父は私の母親が生まれる前に亡くなっており、祖母は一人で家にいることが多いため、私たちが帰省すると嬉しそうにしてくれます。
祖母は90歳、今年卒寿のお祝いをしました。
母親はいつお迎えが来てもおかしくない、覚悟はしている、と言いますが帰省から戻る車の中で泣いていてその姿を見るのが辛かったです。
数年前、友人の祖父が亡くなりおじいちゃん子だった友人は見るに絶えないほどやつれました。
その時から、祖母が亡くなるという事も現実的で近いうちなんだ、と想像するようになり、ふと祖母が亡くなる悲しみ辛さよりも、私は母親が悲しむところを見るほうが悲しく辛いんだと思ってしまいました。
もし私自身、母親が亡くなってしまったらと、そういう事を考えるだけで涙がぼろぼろ出ます。
母親もそういう気持ちになるのではないかと思うと祖母が亡くなるのがより一層怖くなります。
祖母に亡くなって欲しくない、理由は母親が泣いて悲しむところを私は見たくないからと、そういう自己中心的な理由で祖母の健康を願ってよいものなのか。
そんな考えをしてしまう自分が嫌で嫌で、罪悪感を感じます。
祖母には良くしてもらい、良い思い出ばかりなので余計に自分の考えが嫌になります。
私は21歳ですが年齢的には母親離れが出来ていない方だと思います。
そのせいもあり、そういう考え方をしてしまうのだろうかと自問自答しています。
祖母に電話する度、会う度に申し訳なさや後ろめたさでいっぱいになります。
心の持ちよう、考えを改めたいです。
ご助言いただけることがあれば是非ともよろしくお願い致します。
不信【信じない事には何も始まらない】 昏沈【心がめいってふさぎこむこと】 擬【ものごとを決め兼ねる】
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誰かが悲しいから、私も悲しい。
質問文拝見しました。
おばあさまへの心の持ちよう。
『わたしもお母さんも』健康を願っているよ。
わたしだけではなく、私とお母さんが一緒な思いという形はいかがでしょうか。
そうだと、自分だけという自己中心という呪縛を手放すことができるかなと思います。
なんで沙雪様が悲しくなったか。
それはお母様が悲しいから。
何でお母様が悲しいか。
それはおばあさまとの思い出が深いから。
自分の側から見たら自分本意かもしれないが、見方を変えれば母に寄り添っているともいえる。
ご自身を責めなくてもいいですよ。