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拭えない虚無感

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有り難し有り難し 19

私の家庭は母子家庭で、母からネグレクト(育児放棄)を受けて育ちました。

私には兄と弟がいるのですが、双方に軽い知能の発達障害があります。

母は小さい頃から私にだけ塾に通わせ、あなたは良い学校へ行かないといけないんだと言い聞かせられ、「あなたがしっかりしないと、兄弟はどうなるの?」
と、全ての責任は私にあるような口調で勉強を強要させられました。

勉強は好きでした。しかし、掃除をしない家は小さい頃からゴミ屋敷で、ご飯も作れるような台所ではありません。

小学校のころから学校が終わり、塾が終わり、帰ってくると夕ご飯はなく、コンビニでお弁当を買います
ゴミ屋敷なので、ノートを広げられるような机も部屋もなく、勉強は図書館や、テスト期間は庭のコンクリートに下敷きを広げました。
テストではそれなりに良い成績をとれていましたが、それでも母から認めて貰えることはなく凡ミスをしている箇所、足りない箇所を指摘されるだけでした。
小学生のころから中学生までいじめを受けていましたが、母に心配をかけたくないと言うことは出来ませんでした。

中学生の時、ふと自分はなんの為に勉強をしているのか分からなくなり、これまでの疲労感だけがどっとのし掛かった気持ちになりました。そう考えてから勉強ができなくなりました。学校に行けなくなってしまいました。

母も、兄弟も、「クズ」「お前は勉強しないなら生きてる意味がない」
と、毎日のように言われました。

自分なりにこれではいけないと16歳の頃、助言をいただき、児童相談所に相談に行き、家を出ることにし、親戚は血がつながっていないので縁も薄くバイトをしながら寮にいますが、

5年経った今もずっと、期待に応えられなかった、私は何も出来ない、という罪悪感が襲ってきます

中学の頃の友達と連絡をとると、行きたかった大学で楽しんでいたり、家族と仲良くしていたり、
何とも言えない壁を感じてしまいます。

お正月ですが、独りきりでいるとどうも暗くなってしまいます。
本音で話せるような人もいず、楽しみもこの先の希望もありません。

頑張ったって報われない、と思ってしまいます。
それでも、生きていたいと思います。できれば明るく生きたいなと、漠然と思います

毎日を少しだけでも明るくできる心がけを教えて頂けたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もうそれ以上自分をイジメなくてよい

あなたが落ち込む原因は確かにそういったことに行きつくことはあるでしょう。
ですが、そとに原因を求めて、それを無くすというスタンスで解決するのはあまり良い解決法とは言えないと思います。
誰かを責めても変わりません。
過去を取り扱ってもそれは今の目の前の事ではありません。
過去はあるかのように思えるでしょうが、今のあなたの目玉は目前を相手にしています。
人から言われた暴力的な言葉を何度もリフレインさせて、何度も何度も苦しむのはやめましょう。
それは情報の世界です。
あなたが苦しんでいるのはいつも脳内情報の世界です。
肉眼や耳が効いている、現実の世界は、いつでも、それ、そこです。
あなたの思いを加える前に、元から、いつでも、いつでもあなたの側にいてくれる真実です。
それを如来とか、真実とかいうのです。
いつでも来っているが如く、去るが如くの一期一会です。
あなたはもう過去のものは取り返せない。
心はいつも新しく生まれている。
今をのみ相手にしましょう。
先の事は頭では描けるけど、いまだ来ていません。
だからこそ、今のことを親しむのが人間の誰でもの真実です。
私が過去にアホだと言われたとします。
それを今でも「アホなんだ」と思い続けて、そのアホという言葉に苦しむべきではないと思うのです。
アホという言葉はただの言葉。情報。
自分の実質は、今を新たに歩んでいる。
拭わなくていいのです。
拭うものなどないのですから。
あるかのように思っているだけ。すでにそれを認めているからいけない。
相手にしているものが雲の様な、自分んが作り出している情報、モヤモヤの方を相手にしている。
正月でありながらそっちのモヤモヤは絵に描いた餅。リアル餅は焼けたら柔らかいうちに食べんと固くなってしまう。そういう生きた現実の方を相手にしましょう。
自分の一念のモヤモヤ発生以前の実物を相手にしましょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

人生のアドベンチャーを楽しむ

シリアなど海外では、内戦やテロリストのせいで祖国を追われ難民となり、身内もいない外国に逃げている子供達も多いのです。
日本でいると、周りの日本人とばかり比べてしまいますが、実は、日本で住めるだけでもかなりラッキーで恵まれた環境なのです。
水道の水をダイレクトに飲める国も少ないでしょう。
また、ご兄弟の中であなたが健常者であることも、恵まれているのかもしれません。
お母さんのネグレクトの背景には、障害のあるお兄さんの子育てを独りで抱えこんでしまって燃え尽きた可能性もあります。
色んなことが複雑にからみあって、いろんな不幸が襲ってくる人生ですが、できることはたくさんある、まだまだ色んなものになれる、と思います。
障害者の方でも、NPO法人を立ち上げて他人を支援している人もいます。
身体ひとつから始めても、色んなものを作り出せるのが、人生のアドベンチャーです。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ