愛憎と生と死
お世話になります
現在、きっと感情がぐちゃぐちゃになっています。
最近フラッシュバックが時々起こり、虐待されていた瞬間が点滅するように脳に蘇ります。
仕事中でも家事をしていても、寝る寸前でも。
恐怖が、とにかく恐怖が頭の中を覆って叫び出したくなります。愛されなかった子供の頃の自分が甲高い悲鳴を上げてフラッシュバックの中を逃げ回って、気が触れそうになります。
フラッシュバックから何とか戻ったら、恐怖から憎しみに感情が変わり、父親も味方である姉も知り合いも道行く見知らぬ人もすべてが憎くなります。
時には声に出して呪います。「死ね、死ね」と何度も。でもそのうちに死んでほしいのは自分だと気付くのです。愛されなかった自分が許せないのです。賢くなかった自分が、若くして死んだもう一人の姉のかわりになれず父親を満たせなかった役立たずな自分が、憎くて憎くて、大嫌いです。
せっかく生まれてきたのにこんな風に自分を責め続ける人生とはなんでしょうか。いっそ死にたい。でも死ぬ前に一度でいいから父親に愛されて、生きてて良かったと感じたい。
もう父親に会うことは絶対に無いのですが、父親に対する憎悪と同じくらい父親からの愛に飢えているのです。
こんな惨めな人生は嫌だ。幸せというものを理解したい。
死にたくて、生きたい。
瞑想時の呼吸法で落ち着こうとするのですが、感情がジェットコースターのように急速に急回転してうまくいきません。
憎しみとはなんでしょう。愛とはなんでしょう。
死にたいと生きたい、どちらが本当の気持ちなのでしょうか。
めちゃくちゃな文章で申し訳ございません。
命の価値が分からない。 過去を捨てられない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの迷う気持ちは、助けて、私を愛して の叫び。
そぅ。。。今でも 記憶が あなたを苦しめているのね。。。
身体に、心に、大きく 深い傷を残す。
虐待、こんな酷く苦しいことはないわね。
もう、そんな苦しみから、解放してあげたいよ。
生きて 解放される道を、幸せに満たされる道を、一緒に探そう。
愛も憎しみも、背中合わせ。形を変えて、同じなのかも知れない。人間は欲張りだから。
いろんな愛があることを伝えたい。
知ってもらいたい。
遠く離れていても、あなたを大切に思っているよ。
あなたの迷う気持ちは、助けて、私を愛して の叫び。
あれからも、あなたのことを、大事に想っているんだよ。
この電波の向こうで、ちゃんと繋がっているよ。
本当も偽物もない。あなたはあなた。
色んな感情がグチャグチャになっているのですね。あなたにとっては苦しいその感情のどれもが今のあなたを形作る要素。本物とか偽物とかではなくどれもがあなたなのでしょう。
虐待の過去がその人に与える影響はあまりにも大きいものがあり、それとの決別は難しいものがあります。だからといって虐待された子が幸せになれないなんてことはあってはなりません。子はその親を、家庭を、環境を選んで生まれて来たわけではないのですから。
「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」Create Media遍
https://shop.dze.ro/books/75
https://www.amazon.co.jp/日本一醜い親への手紙-そんな親なら捨てちゃえば-Create-Media/dp/4907623240/ref=pd_lpo_sbs_14_t_0?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=5V0Q7XEYGZA3TZ8R8FS8
という本があります。
親からの虐待を生き延びた方たちが親に向けて(ある意味では自分自身へ向けて)書いた訣別と希望と勇気の手紙です。是非読んでみてください。
子は親に完璧な人間であることを求めます。子にとって完璧とは自分を愛してくれる存在であるということです。
でも親も一人の人間。世の中に完璧な人などいません。それは親も子も。
親という偶像と決別して一人の人間対人間として向き合い、それまで「親」としてみていた目の前の人間を不完全なものとして受容、あるいは捨てる、あるいは超越、あるいは認識…なんらかの形で乗り越えていけるかどうかなのかもしれません。
親に愛されないのは子が悪いわけではありません。それなのに愛されないと子は自分を責めてしまいます。現実には親も不完全な人間であるがゆえに、愛することができない人も、愛し方が下手な人も、愛し方がゆがんだ人もいます。それは悲しい現実です。
その現実を現実として見定め、自分の中の親への思いと決別できるかどうか。そのタイミングは自分自身もまた不完全な人間であることに頷けた時に訪れるのかもしれません。
あなたは何も悪くないのです。あなたは幸せになっていいのです。
あなたはあなたでいいのです。あなたでしかないのです。
またいつでも。
質問者からのお礼
ご覧頂きありがとうございました。
愛されたい気持ちは確実にあると思います。しかし、それと同時に「私なんか愛してもらえるわけがない」「私なんか幸せになって良いはずがない」とも思っています。
自己肯定感の低さはどうやって解決していくものなのでしょうか。
そして、私は確かに両親に完璧を求めていたと思います。「理想の両親」を求めていました。その通りになってくれなかったから許せないのかもしれません。
いつまでも憎んでこだわっているのは、父親からの支配から抜け出せていないのでしょうね。
「理想の父ではない」「完璧な人間ではない」と理解したくても、父親から「理想の娘」「完璧な子ども」を押し付けられた苦しさを思い出し、「なぜ私があいつを受け入れてやらなければならないのか」と脳が拒絶してしまいます。
堂々巡りですね。
きっと唐突に訪れるこの感情の濁流は、これからも続いていくのでしょう。時間をかけて親と自分へのこだわりを手放す必要がありそうです。
中田様、私のことを大事に思っていると言ってくださってありがとうございます。涙が出るほど嬉しかったです。
吉武様、「幸せになっていい」というお言葉、嬉しいです。いつか「私は私でいい」と思えるように自分を大切にしたいと思います。