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逆観の縁起について

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有り難し有り難し 16

順観と逆観について調べていると、逆観について二種類の解釈の仕方が有って非常に混乱します。

一つは、「無明が滅すれば、行が滅する...生が滅すれば、老死が滅する」という上から下へ降る否定の形式です。

もう一つが「老死が滅すれば、生が滅する...行が滅すれば、無明が滅する」といった逆に下から上に昇る否定の形式です。

これらの解釈は宗派によって分かれているものなのでしょうか?
また、二つの言い回しの違いは、それぞれどのような意味が有るのでしょうか?
何卒お坊さま方の智慧をお借りしたく存じ上げます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

書き直しました

失礼しました、確かに二種あるようですね。

吉井師のご回答は『行を滅すれば(方法)、無明が滅する(目的)』(無明の滅が後)とおっしゃっています。
一方で(水野弘元『仏教要語の基礎知識』春秋社、p,183)では…

>パーリ文によって十二縁起を紹介すれば次のごとくである。
>「(中略)しかし無明の残りなき離滅の故に行の滅があり、行の滅の故に識の滅があり、(中略)生の滅の故に老死、愁悲苦憂悩が滅す。このように一切の苦蘊の滅がある。」

…となっています。これは『無明を滅すれば(方法)、行が滅する(目的)』(無明の滅が先)と読めます。

ここで↓の私と吉井師の回答を比較します。
https://hasunoha.jp/questions/26295

私は輪廻転生を考慮しない全て現世での解釈です。
吉井師は輪廻転生を前提とした解釈です。輪廻を考慮すると、「無明・行が過去世から現在への因果」「識から受までが現世の果」「愛から有が現世から来世への原因」「生・老死が来世の果」に当たります。
ここで輪廻転生を前提とすると、「現世から来世への執着を断つ(愛→取を滅する)ことで来世(有→生)が滅し、対応して前世(行→識)も滅し、それによって解脱(無明・過去世の業の滅)」になります。
最初私は悟っていない(無明が滅していない)のになぜ老死が先に消えるの?と不思議でしたが、この時系列ならスッキリ納得しました。

これを「三世両重の因果」と言うそうですが、どうも上座部最大手の説一切有部が言い出したようです(田上太秀監修『図解ブッダの教え 普及版』西東社、p.130)。前掲の水野本でも部派仏教になってから、原始経典では述べられていない(p.183)としています。

あくまで手近な所で調べた範囲なので違うかもしれませんが、「三世両重の因果」以前以後の違いのような感があります。田上本でも右ページと左ページで矛盾したことを書いてしれっと両方紹介しています。

でも考えてみれば無明の滅が先なら「悟れば(方法)諸々の苦がドミノ倒しに滅する(目的)」という方向性であり、無明の滅が後なら「1つ1つ正しく調えれば(方法)悟れる(目的)」の方向とすると、どちらも成り立ちます。お釈迦さまが両方おっしゃっていても不思議ではないのではないでしょうか。

勉強になりました。ありがとうございます。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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to do

例えば

『無明を滅するために(目的)、行を滅する(方法)』

『行を滅すれば(方法)、無明が滅する(目的)』

論法の順序が違うだけで、どちらも同じことを言っています。
基本的には無明の滅が後に来るはずです。
たぶんこれを混同されているのではないかと思うのですが。。

逆観に二種類の解釈があるというのは私は聞いたことがないですね。
強いていえば
『A無明→B老死』の順観を前提に
『B老死の滅→A無明の滅』という逆観が成り立ちますが(これはお釈迦様が説いた明確な教えです。)

「『A無明→B老死』の滅」を言う場合があります。
これのことを『無明滅すれば老死滅す』と言っているのだとしたら。
これ自体は逆観ではないですよね?いうならば「『順観』の滅」でしょうか。
でもそれだと
「『順観』も無く、よって『逆観』も成り立たなくなる」、ということになります。
とすればおそらくそれは
般若経の思想だと思われます。

追記
拙い回答ですみませんでした。
それでも因果や縁起についてずいぶんと熱心に質問され、また回答されている方々の問題意識に、私自身励まされているように感じました。御礼申し上げます。
有難うございました。                    合掌

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吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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質問者からのお礼

吉井様、大慈様のお二人からご教示下さり感謝致します。
まだまだ楊枝の先の埃程度の収めしかない小生ですが、これからも精進させて頂こうと思います。

「仏教における縁起」問答一覧

内面を磨く

いつもお世話になっております。 hasunohaではたくさんのご回答から、より良く生きるヒントをいただき、本当に有難うございます。 おかげさまで仕事先からは、たくさんのお呼びの声をいただけるようになりました。 職場の先輩方は、弱音や愚痴を極力表に出さず、上手に巧みにわかち合って、お互いに一意専心・以心伝心で昇華させながら、補い合って進めていきます。そんな今の職場の人間関係に恵まれたこと、収穫もある毎日が鍛錬と喜びの連続です。 ひとつの大きな人生課題として、あらためて家でも内面を磨くこと、こちらも専念していきたいと願っています。少し前に浮かんだ遠い目標を考えた上でも、自分が変わることが未来をより幸せに明るくする鍵だと思いました。 人生いろいろ、なかなかうまくいかないことも目の当たりにすることがありますが、自分が折れることも大事だし、適度に緩めて、毎日学ばせていただきながら、周りの円満成就の良き実例に倣っていきたいです。 熟練の先輩方と、同世代の働き盛りの仲間、そして心身を支えてくれる若手の心強い味方からの心遣いを糧に、家庭人としても内面を磨いていきたいです。 108の煩悩の倍の時間ほど、家族のためにと外で働けた辰年の睦月に感謝、多くの御縁と仲睦まじく一年を過ごせるよう楽しみます。

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無我と縁を意識したら、体調を崩した

 いつもお世話になっております。無我と縁について疑問です。  「無我」は、徹底的に自分を殺すこと。自分に気持ちに蓋を して、とにかく相手を優先すること。  「縁」は、他の事物や人物が自分に、自分も他の事物や人物に 影響を及ぼしていること。  そう考えて生活していたら、精神に異常をきたしました。  「無我」…「他人様を不快にさせてはいけない。皆さん私を どう思うだろう。我慢をしなければいけない」と常に考えていたら、 自分と同じく障害を持つ者が、店員さんに怒鳴ったり健常な異性に 絡んでいるのを見て、自分まで健常者さんに申し訳なくなりました。 デイケアでも我慢をしました。    「縁」…「自分も他の人に影響を及ぼしている」と常に考えて いたら、燃え尽き症候群になってしまった支援者さんを見て、 私のせいだと思いました。  結果、体調が悪化しました。終いには、 「私たち障害者は、人様に迷惑をかけてばかりで、生きていても 誰も幸せにならない。死んでしまいたい」 という結論になりました。  泣きながら訪問看護師さんに伝えたら、入院を強く勧められ ました。  主治医の先生、カウンセラーさん、保健師さんなどのお力を 借りてだんだん体調がよくなりましたが、「無我」と「縁」に 関しては、10年以上仏教を信仰していて、長年の疑問です。  自分を殺せ、どんなときにも我慢しろ。仏教では、そんな にもカルトチックな事を説いているのでしょうか?  今回体調を崩し、主治医の先生からは、 「ストレスコーピングを身に着けるように」 と指導されました。  それを受け色々調べていたら、「自分は自分であると自信を 持て」と私の尊敬する科学の先生が教えを説いていました。  「あまり周りのことを考えすぎても、周りが見えなくなる。 自分自身も見失い、最終的に悩みが大きくなり精神病になる」 「礼節を守ったうえで、自分は自分だという自信を持てば、 無用な事を怖がったり、ストレスが少なくなる」 なるほどと思いました。  もし、「とにかく相手に尽くせ。どんなときも自分を殺せ。 とにかく我慢しろ」と仏教が説くなら、私は「仏教はカルトと変わらない じゃないか」とショックです。実際に、私はこれで病んだのですから。  ご教授いただきたく存じます。よろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ