最後の努力。
借金
親のすねかじり
友人についてきた嘘
沢山ホラも吹いてきた。
生きてても、迷惑。
もちろん、死んでも迷惑。
でも、あと一回だけの迷惑なら、死んでいいと思う。
誰にも会いたくない。
仕事もしたくない。
痛いのも、考えて苦しいのも、いやだ。
一日だけ、考える。
無理なら、死ぬ。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
みんな迷惑をかけ、悲しみの中で生きています。
はじめまして。亀山純史と申します。
永六輔さんの言葉に「生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。」という言葉があります。もしかしたら、ゆたゆたさんも聞いたことのある言葉かもしれませんね。この言葉の中の「誰かに借りをつくること」とは、「誰かに迷惑をかけること」ということです。そして「借りを返してゆくこと」とは、私としては「仏教の教えに生きて行くこと」だと思っています。私たちは迷いの中を生きています。私たちは迷いの中を生きているからこそ、そこに仏教は生まれたのです。
自ら命を絶つこと、それは一回限りの迷惑ではありません。その悲しみを背負う人(家族等)にとっては、生涯を通して続きます。生きることは誰にとっても簡単なことではありません。人に迷惑をかけていて、この世を生き辛いと感じている人もいれば、悲しみの中で生きていて、生きることに辛さを感じている人もいます。私は悲しみの中で辛さを感じています。だからこそ、私には仏教の教えが必要なのだと思っています。
以上が、私からの回答です。少しでもお役に立てればと思います。
親より先に死んではいけません。
それが一番の親不孝だから。
借金のことはプライドを捨てて、親や弁護士に相談しましょう。
親のすねをかじって、その代わりに、例えば親の仕事を手伝って、辛抱強く生きて欲しいです。
雨の日も風の日も辛抱強く耐えて、実を作る作物の様に。