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寝ることができないとき・・・

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

寝よう寝ようと思って、睡眠には入れないとき、どうすればいいですか?
考え事をしてしまい、寝ることができません。

考え事の中身は、自分自身についてです。

寝ることができないとき、調子が悪いとき、「もし、あの時、~だったら」と考えてしまいます。いい経験も、悪い経験も、どれか1つかけると、今の自分がないと思います。しかし、苦しいときなど、ネガティブ感情を抱いてしまいます。

アイデンティティーとは、肉体と親や先祖から受けた教え(メガネ)、学校で学んだ教え(メガネ)、仕事で学んだ教え(メガネ)、私的な勉強会の教え(メガネ)の総体である。私は、このように考えています。メガネは、いろいろな度数(価値観)やフレームがあります。たくさんのメガネ(価値観)をかけると、屈折が大きくなることがあります。見えなくなることがあります。これか、病気なのだと思います。病気を根本的に治すというのは、メガネを外していく作業なのだと思います。
その過程で、調子を崩したり、苦しんだりするのかと思います。メガネの性質を確認しながら進めていくと、かけているメガネのアドバイスが他人にできるかと思います。その性質は主観です。他人がそのメガネでどう見えるかは分かりません。メガネを完全に外したとき、それはアイデンティティーをなくしたことになるかと思います。しかし、視界はクリアになるはずですが、認識できる自分がなくなります。

肉体は、命をいただいて、体の一部を少しずつ取りかえている。だから、10年前の自分の肉体と今の肉体は違う。肉体も思考も縁によって結び付いたもの。地球も、宇宙の物質が縁によって集まったもの。たまたま集まったものにすぎない。しかし、その存在を尊重しなければならない。

寝ることが出来なかった分、こんなことを考えていました。

寝ることができないときは苦しいですし、病気休職中で生活リズムを整えないといけないと考えて苦しくなります。

このようなとき、どうしたらいいですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

アイデンティティとはメガネ?

おはようございます。以前から何度か、質問は拝見させて頂いておりました。
アイデンティティとはメガネの総体である。独創的な捉え方と思います。ただ、「自己同一性、という言葉から感じる一体感に反して、実は何物かの寄せ集めである。故に一つずつ外せる」というのが気になります。それはつまり、「統合されていない」という事ですね。それは正しいですか?
何かの価値観について、源流を突き止められますか?そこまで意識できるものでしょうか?重複や漏れが出ませんか?
また、あげておられる諸々の価値観を「外していく」事に、何かイイコトがあるのでしょうか?
理屈の成り立ちから「最後のメガネ」を外す事ができないという無理を抱えていると存じます。「最初のメガネを手に取ったのは誰ですか?に対する答えがない。
算数や数学の問題は、可視化できれば解けたも同然と言いますね、理科社会と異なり、それ以上調べる事もないですし。言葉を弄ぶのも結構ですが、アイデアは図にしてみると整理しやすいと思いますよ。

という事で、「つらつら出てくる言葉は、図に整頓してスッキリしましょう」が私からのお答えです。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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瞑想してみては

日本テーラーダ仏教協会のホームページに、
慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想のやり方が掲載されています。
布団に横になったまま瞑想をやってみてはどうでしょうか?
眠れないなら眠れないで、長時間瞑想できるから功徳・修行になってラッキー、眠れたら眠れたでそれもラッキーだと思いましょう。

私なんかは不真面目なので、布団に入って瞑想したらすぐに寝落ちして気づけば翌朝、です。

あと、昼間は日光に当たるようにしましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

〉佐藤良文 様
こんにちは。ご回答、ありがとうございました。また、私の質問をご覧になっているとのこと、感謝申し上げます。
私はメンタル面での不調が始まりで休んでおります。根本的に見つめ直し、再休職しないという目標で日々取り組んでいますが、定期的に気分と言いますか、調子が下降してしまいます。誰かと話をしているときは、様々な話をしますので、その度に自分の考えを修正できます。実家に帰っても家族と接するメンタルにないこと、仕事のやり取りの都合上、一人暮らししていますので、すぐに誰かと話ができないときはこちらを利用させていただいております。不安定になったとき、救っていただき、有り難く思っています。

「一体感がある」というのは、「調和がとれている状態」ということだと考えます。「調和が取れていない」というのは、「調和がとれておらず、違和感がある状態」だと思います。違和感がある状態は、ストレスになります。そのストレスを解放するために、引きこもって悶々と考えたり、誰かと議論して考えを修正したりするのだと思います。一時的な逃げ場として、趣味に打ち込むということはあります。趣味をやっているときでも、ふとした瞬間にストレスの根本原因が分かったような気になることがあります。解決してないじゃないかって思いますが、結局、自分というのは、これまでに出会った人やものの総体なので、調和が取れる状態になって生活に支障がなければそれでいいのだと思います。自分の中で、今までの価値観が「統合されていない状態」が病気なのだと考えています。メガネを外すことは実際は難しい問題です。どんな人や物の集まりかということは、完全に把握することは不可能に近いからです。できることは、かけたメガネのどこかの度数を少しずつ変えることができるかもしれません。何かの修行で変えることができるかもしれません。病気の状態のアイデンティティーを述べる場合、メガネの喩えで説明して正解だと考えています。

価値観の源流を突き止めるには、父親の歴史や母親の歴史、学校の担任の先生や友達の歴史、地域の人々の歴史、職場の人々の歴史、国の歴史など、自分の中に取り込んだものの歴史を細分化しなければ、厳密には分かりません。ということは、意識できないということになります。メガネをかけていることに何の不自由もなければ、外す必要はありません。むしろ、外す作業事態が害であるかもしれないので、気にせず前に進んだ方がいいと思います。しかし、かけていることによって不都合があり前に進むことができなければ、その状態で進むのは自分にとっても他人にとっても危険を及ぼす可能性があるので外すか調整するかの対応が必要だと考えます。とりあえず、前が見えるなら、もしかしたら他にはこういう思考の流れもあるのかもしれないなと考えつつ、前に進んでいくことが大切かなと考えています。

最初のメガネを手に取ったのは、自分自身です。なぜ、それを取ったかといえば、それがなければ前に進む手段がなかったので、与えられたものを身につけて前に進んだのだと思います。

日記帳に、文や図解で書けるようにするなど、いろいろ試しているところではありますが、一歩踏み出せなかったり、不安に思ったりする自分がいます。
佐藤様のご回答で、少し前進した気持ちになりました。ありがとうございました。

〉願誉浄史 様
ご回答、ありがとうございました。
早速調べて、できるところから始めてみたいと思います。
今朝は、日常生活で起きたいという時刻に外に出て太陽の光を浴び、朝ごはんをたべました。少し仮眠をとり、現在に至ります。朝日と朝食によって、体内時計がリセットされると聞いたからです。
新しい視点や知識をくださり、感謝いたします。

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